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お白湯を飲む。
お白湯を飲む。
* * *
お白湯(お湯)を飲む。
正式な白湯(さゆ)の作り方があって、それ以外はただの“お湯”だとする文化も知っている。
けれども、ケトルで沸かしたものをお白湯と呼ぶ。
そのほうが、なんとなく気持ちが落ち着く。
どこまでが文化的に正しく、どこまでが文化的に間違っているか。
それはかなり線引きの難しいところだ。
例えば、イタリアのパスタ事情。
スプーンを使うか否か、それは地域差もあって正式にどうこう言うのもいかがなものか、となる。
雑学として「子供の使う物」と得意がることは容易だ。
しかし、実際には大人も使う地域がそれなりにあるわけで。
“ブイヤベース憲章”然り。
名前こそオシャレに聞こえなくもないが、要は漁師が雑魚(ざこ)をその場で煮込んだ磯鍋(いそなべ)が元もとだ。
漢字にしても同じこと。
元より“にほんご”にとっては充て字(あてじ)なのであって、これが正しい、とハッキリ断言する人もよく間違えている。
また、JISで公式に変わったはずの“海”だとか“梅”だとかの漢字にしても、慣用的な風習が残っており、決して間違いとはされず、公務員も平気で使う。
無知の知。
無用の用。
どちらもありなのだけど、どの程度を文化として残すかは、我々自身の歴史への介入として、さまざま立場があるものだ。
私にも、私なりのやり方があってよい。
跋(ばつ)、
御無沙汰しております(*ᵕ ᵕ)"
筆名、使い分けるか変更するかまだ悩んでいる於兎沢です。
……いや、元のやつが語呂良かった分、姓名それぞれが合わんなぁ、ちう次第で。
(小説作品での)現代ものについては、たぶん別名義になりそうな予感:(っ'ヮ'c):
以前つくったキャラクターから名前もらっておりますが、ふつーに存在しない苗字やったりします。
さてあれ。
今回は久々にエッセイ(というか、印象記?)程度のものになります。
叙景(じょけい)もなにも無いようなものではありますが、啓発されるとこもあれば幸いです。
それでは、良き一日がみなさまにありますよう🍀 ́-