書けないときに書けた人 ― 牧野信一(二)
書けてはいたけど、
結論:「自虐と自己否定、アグレッシブな人たちへの迎合」
どうもです( ..)"
牧野信一の技法について云々する予定でしたが、おそらく技法とかでなしに、「自虐と自己否定、アグレッシブな人たちへの迎合」だったのではないか、となりました。
書けてはいたけれど、これでは作品としてはユーモアでなく、風刺でもなく、ただ“叫び”のままです。
ほかの方法を模索せざるを得ない……🤔
(ただし、自死2年前に物された「るい」は別。
むしろ苦境にありつつも芯を持ったひとへの憧れが原動力となっていました。)
芥川龍之介や藤村の場合は?
芥川龍之介の場合も考えてみると、やはり古典へのリスペクトとスタディ、翻案などから上手いことやっていた気がしました。
藤村島崎春樹も、古典にたいするリスペクトとスタディは欠かさず行って来たひとですね。
ただ彼の場合、紫式部を批判しつつ、清少納言(特に枕草子)に傾いたように、吸収するその時点で方向性が決まっていたように思われます。
尊敬する作家さんへの質問と、そのお返事から
先日、尊敬するファンタジー作家さん(絵師さん)に質問を投げかけてみました。
大変ご丁寧に、質問それぞれにお答えくださって、とても参考になりました。
「描けないときは描かない」、という方は多いようです。
この方もそのタイプらしく、しかしハードワークの日々のなか、どうにか創作に時間を作っていらっしゃるようでした。
(そんななかであのクオリティを……
ちなみに、“こまぞう”さんという絵師さんです。)
私は「書けないときに書く」を目指すつもりでいたけれど、これも違うのかも知れません。
書き溜めなどのストックづくりやネタ出しは、たゆまず楽しくやってらっしゃるご様子。
さてあれ、「書けないを書けるにする」としようかと。
現状では、なかなか集中して作業する環境を作れないので、短時間、スキマ時間等々、利用できるところを上手くやれたら、と思います。
しばらくネットもフリーWi-Fiでないとつなげない(自業自得←)状態なので、どげんかせんといかんですな( ˘ω˘ )
さてあれ、考えた結論があまりにあまりだったので、この記事はここまで。
読んでくださった方、ありがとう御座います。
今書けている方、書けないけどがんばってる方、お互い無理なく進めて行きませうฅ"
それでは、失礼いたします( ..)"
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