#0002 「ライターズ・ブロックと共に住まう」 第2回
ライターズ・ブロックと共に住まう
(第2回)
楽しく書きたい| ᐕ)φ⁾⁾
相変わらずのスランプの於兎沢です。
みなさま、筆の進みはいかがでしょうか。
同じように書けてないなぁ、という方もあれば、作品バリバリつくってるよ、という方もありましょう。
春が近づいている(地域によっては、もう充分という方も?)昨今ですが、私の作が花開くまではまだ長そうな気がします。
前回は、スランプから脱け出すためにも自己分析はしたい、とか、書きたいと望むもの自体はあるらしい、とか。どのみち近道など無いし、幻想だよね、とかそんなお話になってました。
で、どうせなら楽しく書きたい。
執筆においてなにを楽しめるかは、みなさまそれぞれに異なるものかと思います。
私の場合、以前は世界観構築でこだわりが強かったです。
あとは音あそび、言葉あそびとか。
意味の重ね掛けしてリドルめいた詩歌を詠むのも好きでしたねぇ。
それと、トールキンの影響が強かったため、独自の言語生成もがんばっておりました。
結構な量の単語と造語用の部品があって、当時ほどには自分でわからなくなりましたが、いまだに愛着のあるものです。
さてあれ、楽しめることは肝要でしょうね。
下手の横好きでも、楽しんだもの勝ち。
あるいは好きこそものの上手なれ、とまでなれば芸は身を扶くことにもなりましょう。
さてさて。
ともかく日本語で文章を書くことを楽しみたい。
では、どんな文章を書けば楽しいのか、と自問自答がつづくわけで。
あるいは、どういう風に書けば楽しいのか――かも知れませんね。
どんな雰囲気の作品なら、とかどんな設定でなら、またどんなキャラクターが居たら、……などなど。
この辺は本当に、多種多様な“楽しめるところ”があるかと思います。
別に“作品一つにつき一つの楽しみ”、でなくてもよいのは言うまでもなく。
けど書けない。
楽しみたい、と思って筆を執りました。
試みに構想から練ってみよう、あるいはすぐに書き出してみようとしてみます。書けない。うん。
私の場合、汎用で使える世界観はあるので、細かな設定はともかく、なにかしらは出て来てくれてもいいハズなのですが。
ネタ出しで失敗しているのか、というと――それもまぁ、ありそうです。
より精確には、ネタの組み合わせ方に悩むのかも知れません。
単調というか、焼き直しになるというか、どうにもツマラない。
楽しくないのです。
ところで、このnote記事はわりと楽しめている気がします。
あれ?( ੭ ᐕ)⁾⁾
たぶん、ただ書くだけなら大丈夫なんですね。
書けるけど、楽しくない?
物語になると、途端にハードルがグンッと上がる気がします。
ストーリーラインにこだわりがあるのでしょうか?
盛り上がりが欲しいのでしょうか?
書きたいものはある、とは前回書いたとおりです。
構想を練ると、なにも出て来ないわけでもないのです。
問題は、長編向けの設定しか出て来ない……
今はそれをやり切る心身の状態でもないし、なによりサンプルとしてひとに見せれる小品がつくりたい。しかも、物語の小品です。
そういう欲求が邪魔しているようにも思われます。
(あくまで、私に場合はですけれど。)
「……短編や掌編をまとめ上げる技術が足りないだけでは?」
そんな核心をつく方もあるかも知れません。
それもアタリだろうな、とは思います。
楽しい短編小説って、どんなの?
読むだけであれば、短編も掌編も好きです。
ただ、特に掌編は傾向があって、だいたいこんな感じ、とイメージが固まっています。書けるかも知れませんが、何番煎じになるやら。
短編小説というのは、およそ原稿用紙30枚~100枚程度を言うそうですね。
文字数にすれば、1万2千文字~4万文字。
考えてみれば結構な文量になりそうな気もします、が……
実は長編向けと思っていたネタも、書いてみれば短編に収まってしまうかも知れない。
ただ、たとえばこれをシーンごとに分けてみますと、1場面5枚分としましょうか。
場面6つで30枚になります。8つでも40枚程度です。
私は6場面式(序破急の派生)、または8場面式(起承転結の派生)で一つのまとまりをつくることが多いのですが、はてさて5枚でなにがどれだけ書けるやら。
ここは、たとえば川端康成が得意な「動作のなかに、周辺のものや背景の描写を混ぜ込む」など工夫すれば、内容を濃ゆくできるかも知れません。
しかしまぁ、そんな風に工夫してみるとしても、なんか物足りない。
なにゆえ⁇ となる。
ネタそれ自体が長編向けだと、これがとても書けないと言いますか。見せられたものにならない。
作品にさえならない。これが、なかなかの苦痛です。
ポーや芥川の詳しく書いて来た短編の魅力については、ごめんなさい、私が浅学なのでさて措(お)きます。
ただまぁ、短編ならではの良さというのもあるし、それ相応のまとめ方がありそうです。
なんでこんなに短編、短編と言うておるかといえば、習作をつくることを、習慣づけたい。そのためにはある程度短い作品がよいからで。
もちろんひとさまに提示できる作品としても幾つか代表作が欲しい、そんな願望も含みます。
で、ですね。
私的に楽しい短編ってなんだろうと悩むわけです。
先達がさんざん考え悉(つく)したようなところですけれど、私なりに、書いても読んでも楽しい短編ってどんなだろうか、と。
答えは――たくさん浮かんで来たなかでなにを書くと程よいでしょうか。
キャラクターに魅力が欲しいのは書いておきましょうか。
人物を魅力的に描いてみたい、書き分けてみたい。
さて、そのためには関係性や変化・成長なども充分書かれていないと楽しめない気がします。あるいは、短編ならそれを予感させるだけでもしておきたい。
楽しく書けない。なぜ?
やはり私の場合についてですけれど。
わざわざ挙げてみただけ、登場人物については気になるところのようです。
いわゆるキャラもの路線なのか、そこは微妙なのですけれど。
(もちろん、それ以外の路線でも楽しめる場合はありましょう。)
ともかく、キャラクターを掘り下げないといけない。
人物を掘り下げるためには、背景がしっかりわからないといけない。
なにより、出て来るひとの数だけ物語が――
そんな風に脳みそこねこね、思考を重ねて行くと、書き出せないくらいに案が膨らんで来たり、出し惜しみしたり、逆に全部吐き出したくなったり。困ったものです。
現状、これで上手く行ったことがありません。
文筆に関わって長い癖に、経験不足が過ぎますね。はい。
というか、小説の書き方に慣れていない。(詩歌ならてきとーに詠みますけれども。)
だからこそ練習したいのに、練習する前に難易度を跳ね上げてしまい、スモールステップにならない、一段々々がやたらでかい、となります。詰んでる。
クリアできないハードルを設けてしまう癖が、どうやらあるようです。
そりゃ自罰的にもなりますし、より自己評価が下がります。アホです。わかってますが、アホなのです。
課題設定のスキル
考えてみて、「これか、」となったのが課題設定のスキルです。
これをレベルアップさせないと、書けないままになりそうです。やだ怖い。
昨今の文章読本では、課題付きのものもあるでしょう。
自分で設定できないなら、と利用してみるのも手かも知れません。
そうです。利用してみるのがよいのでしょう。
ここで問題が発生します。
好みに合わない。
……前回や前々回を振り返ってみますと、おわかりいただけそうですね。
はい、私などは、「書きたいものへのこだわりが強い」タイプです。
課題・⌒ヾ( ᐛ )ポイッとして進めません。
というか、好まないネタほど書けないし楽しくないものはありません。
そういうタイプなのです。
やっぱり自分の課題設定のスキルを上げるしか無さそうですね。
最近は簡単な文章の翻訳でインプット/アウトプットの双方を兼ねて、しかし不満足なまま、それを練習としております。あまり捗りませんが。
いやまぁ、ドイツ語・エスペラントの対訳フレーズ集などは、近代のもので生活様式が古かったのも資料的価値があって楽しめたのですが、それはまた別のおはなし。
(これは1冊まるっと終えたのですが、2周目行こうと思える程度には良いものでした。余談までに。)
第2回のまとめ
結局のところ、作品づくりの練習にはなってませんね。
そんなこんなで、楽しく書けていないのが現状です。
書いていて楽しめるような課題づくりができるようになること。
自分への課題をつくるのが課題……ということで、今回はひとつ。
ここまでお読みくださった方々、大きにありがとう御座います。
このシリーズは、こんな感じで勝手に内省してなんか文字に起こすだけ起こす、という流れでつづくかも知れませんし、ご意見あればまた変わるかも知れません。
今後ともお付き合いいただければ幸いです(ノ_ _)ノ
二〇二三年三月二十二日 風鳶堂