幸福論
例えばカレーが好きって人がいたとしたら、
カレーが嫌いだって人もいて。
甘いものが好きな人がいれば、
甘いものが嫌いな人もいて。
みんなと居るのが幸せだと感じる人がいたとしたら、
孤独の方が幸せと感じる人もいて。
俺は世の中は全て表裏一体だって思ってるからこそ、
自分の好きなものを嫌いな人がいるのかなって思ってる。
今生きてる事に幸せを感じてる人がいるのなら、
その反対で、
生きてる事が辛いと感じる人もいる。
そういうものだと思ってる。
三大幸福論と呼ばれる、
ヒルティの幸福論も、
アランの幸福論も、
ラッセルの幸福論も、
あくまでもその人個人が解いた幸福論なだけであって全員に当てはまるものではないし、
もしかしたら、
寧ろほぼ確実に、
真逆に位置するところに幸福を感じる人もいると思ってる。
勿論この場合の幸福は、
あくまでも「相対的に」の話だから本当に幸福なのかと言われたら分からない。
分からないけど、
もしかしたら、
この人にとってはこれが1番幸せな道だったのかもしれない。
そう思う事があった。
コロナ禍においても、
コロナ禍じゃなくても、
遠からず近からずの距離に、
自ら命を絶ってしまう人の存在はあって、
そう言った出来事に直面した時に深く考えてしまう。
どれほど辛くて、
どれほど苦しかったのだろうって。
「それでも生きてて欲しかった」なんて簡単に口では言えるし、
勿論心の底からそう思うけど、
本人の痛みは本人にしか分からない。
どれほど耐え忍んで、
どれほど必死に生きたのかは、
本人にしか分からない。
絶対に誰にも分からない事なんだ。
だから、俺は、半分以上は、寧ろ殆どは、自分の事を守る為に、
「この人にとっては、きっとこの選択が1番楽になれる選択だったんだな」
って思う事にした。
その事実を目の前にした時に、
嘆き悲しんで立ち直れなくなって、
その人の後を追ってしまうくらいなら、
ちゃんとその人の選択を受け止めて、
肯定して、その人の事を忘れないように、
そうやって送り出すことにした。
三途の川を渡った先でその人が笑顔でいれたらいいなって。
自分が向こう岸に行った時に、
笑顔で再会できるように、
自分の命を全うする為に。
前置きが長くなりましたが、
今度出す新曲はそう言う歌です。
だからこその幸福論。
ネガティブなタイトルにしたく無かった。
この記事を読んだらもしかしたらこの曲を聴けなくなるかもしれないし、聴けたとしても辛くなるかもしれない。
だけど俺は、
自分の中の奥底にあるこの気持ちを、
なぜかわからないけどこうして曲として、
言葉として残しておきたくて曲にしました。
お楽しみに。
とは言えない内容になっちゃったけど、
この曲がみんなにとっての何か、
救いのようなものになったらうれしいです。
以下歌詞です。
「幸福論」
たとえば 君が去って 思い出だけ残って
とめどなくただ泣いて 霞んだままの世界で
答えを聞けば何か 分かることはあるか?
君の願いをずっと 君の願いをいつかは
投げ出したあの日選んだ 傷付いた君の答えは
乗り込んだ 帰らずに 綺麗な川の向こうで
とめどなくただ泣いて 霞んだままの世界で
答えを聞けば何か 分かることはあるか?
抜け殻になった部屋を訪ねて
ただ通り過ぎた日々を眺めていた
渡ったあの日君がいたベランダに腰掛けて
「選んだわけを教えてよ」漏らした声がただ消えていった
たとえば 君が去って 思い出だけ残って
とめどなくただ泣いて 霞んだままの世界で
答えを聞けば何か 分かることはあるか?
君の願いをずっと 君の願いをいつかは
投げ出したあの日選んだ 傷付いた君の答えは
乗り込んだ 帰らずに 綺麗な川の向こうで
とめどなくただ泣いて 霞んだままの世界で
答えを聞けば何か 分かることはあるのか?
君の中の痛み、付き纏った呪縛、壊れてしまった心。
全てを捨てて君が選んだ道がそれなら、
君が望んでそうしたなら、
その選択が君にとっての4つ目の幸福論だったなら。
今、向こう岸はどんな景色だ?
今、君の頬は緩んでいるか?
たとえば 君が去って 思い出だけ残って
とめどなくただ泣いて 霞んだままの世界で
答えを聞けば何か 分かることはあるか?
君の願いをずっと 君の願いをいつかは
投げ出したあの日選んだ 傷付いた君の答えは
乗り込んだ 帰らずに 綺麗な川の向こうで
とめどなくただ泣いて 霞んだままの世界で
答えを聞けば何か 分かることはあるか?