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二〇二三年 十二月三十一日 「物事のいろいろは微妙な意思のバランスで方向づけられてゆく」

 南房総に来ている。旅館からほど近い海岸沿いを、家人と歩く。Google Mapで見ると、今いる位置はわかるのだが、海岸線を指で上下になぞってみてもこの場所に名前はないらしい。駐車場を抜けて階段を上がると、たくさんの黒いテトラポットが墜落した星のように、どこか戯画的に集積しているさまが見えてくる。少し雲を浮かべた晴天の下には、鉛色を深く抱え込んだような群青色の外海がはるか向こうまで拡がり、地平線は白い靄でぼやけている。埠頭に向かう途中、コンクリートのブロックを嵌めこんだ斜面に、おじさんが一人、右腕を両目に乗せて寝転がっている。ずいぶんと寝相のいいひとだと思う。カモメが六羽、小さく揺れる海面に等間隔で並んでいる。白い折り紙のように頼りない姿で、よく見ると縮れるように羽が微動している。高校の体育の時間にやけに広大なプールで、男子たちが立ち泳ぎの練習をしていた光景を少し連想する。なぜか男子しかやらなくてよかったメニューだ。海面に静止しているのは、きっと楽ではないのだろう。シンクロナイズドスイミング然り、だ。
 私たちは埠頭の先端付近に、心地よい場所を見つけようとする。「こっちビュー」は、埠頭のおかげで外海を遮り波は穏やかだが、等間隔で居並ぶ釣り人たちを拝むことになる。「あっちビュー」は、遮る人工物のまるで無い外海だが、波は時として荒く、白く砕けるさまと幾重にも重なる残音の轟を甘受しなければならない。私も家人もどちらでも良かったのだが、多分、ドチラニシヨウカナテンノカミサマノ、の最後に、テッポウウッテバンバンバン、をつけ足す程度に、わずかに家人の希望が勝り、私たちは「あっちビュー」の方角に腰かけた。物事のいろいろは、そういう微妙な意思のバランスで方向づけられてゆくものだ。
 近くのドラッグストアで買っておいたアイスジャスミンミルクティーを二人で飲む。アルミの蓋にストローを刺すタイプのやつだ。爽やかで、適度にこくもあって、ちょうどいい。真冬の海岸だからと着こんできたダウンジャケットとウールのストールは早々に脱ぎ捨てており、しかしそれでもやや汗ばむほどの陽気である。暖冬などという既成のことばでこの異様を表現してしまうことに、今冬は誰もが、本能的な危険を感じていると思いたい。ヤバいよね。あり得ないこんな冬。そう言いながら、地球規模の物流が運んできたドイツのクッキーを抓む矛盾は、そろそろ改めなければと思っているが、あるいはのっぴきならない事情で、そもそも選択肢として消えてゆくのかもしれない。
 空は晴れ、海は穏やかなはずだが、それでも少し怖いと思ってしまう。海岸近くの潮水は、テトラポットや岩に圧されて、複雑に向きを変えながら溜まり、ところどころで渦を成している。沖合はあんなにも穏やかなのにと思うが、冷静に考えれば沖でもやはりままならない波が立っているに違いない。結局は、近づいて視ないことには、水の動きをちゃんと捉えることはできないのだ。岩々は、地層の線を手で描いたような太さの揃わない縞模様が入っていて、どこか樹木のようでもある。また、厳しい波を何度も浴びるうち、どの岩も片側だけが丸く削られていて、背中を丸めた人間のようでもある。もし、遥か昔にこの地で津波が起きていたとしたら、波から逃げたくても逃げられず岩となったという伝説が生まれているだろう。この名もない海岸を北上すれば、3.11の被災地に着くはずだ。私はまだ、東北を訪れたことがない。ドイツのクッキーを抓んでも、東北はいまだ遠いままだし、結局はドイツも遠いままだなと思う。
(うみ、こわい。おうち、かえる)
 上の子が二歳の頃、初めて寄った曇天の海岸はやけに不穏で、あの子はすぐに帰りたがった。その後しばらくは、海を思い出すたびに、〇〇ちゃん、うみこわーい、おうちかえるー、いってたー、とその体験をひとに話して聞かせた。あの子がもう声変わりをして低めのテノールを出している。そのあいだにあの岩たちはますます削れ、人々は入れ変わり、冬は暖かくなったのだ。時間は刻々と降り積もっている。あの子もまた、そのうち立ち泳ぎでもやらされてしまうのだろうか。男子だけのメニューとして。
 私たちはお茶を終えて立ち上がり、散策を再開する。今度は、「こっちビュー」も目に入ってくる。トンビが一羽、来る前に寄った車道沿いのドラッグストアの上空を、ゆったりとした調子でホバリングしている。海岸には、流木がたくさん落ちている。幹そのものが流れ着いていたり、短い枝が転がっていたりする。男の子たちが喜びそうな枝がたくさんあるなと思うが、ここには少しの釣り人と私たちしか居ない。年の離れた兄弟の母親をやっていると、今さら、子どもがいない海岸というのもずいぶん珍しく見えてしまう。
 白木は美しい山吹色に変色するらしい。あたたかみのある黄色の幹がたくさん転がっている辺りに、魚の死骸もまたいくつか打ち上げられている。頭だけに千切れているものや、全容を残しているものがいる。四十センチほどもある大きなヒラメかカレイの死骸は、天日干しが進行している。目は黒い空洞で、見たこともないほど大量の蛆が湧いている。きっと死骸になってから、打ち上げられたのだろう。生身で打ち上げられたなら、きっと鳥たちに食い散らされてしまう。
(うみ、こわい。おうち、かえる)
 私の胸のなかで、再び幼子の声が鳴る。
(帰ろうか)
 と言う前に家人が歩き出したので、私は少しほっとして海岸沿いを離れた。やはり、物事のいろいろは、微妙な意思のバランスで方向づけられてゆくのだ。
 今年最後に見た海は、「あっちビュー」も「こっちビュー」もそれぞれに怖かった。けれど、晴天の下に釣り人たちの並ぶ遠景は、どこまでも長閑に見えている。そのことが、何かの暗喩でなければいいと思いながら、わたしは助手席のドアを開けて乗り込んだ。


 帰路は木更津を抜けて、アクアラインを目指す。イヤホンをつけて、YoutubeでDemocracy Nowを聞いて過ごすことにする。集中している瞬間にだけ、断片的に英語の意味が入ってくる。紅海での船舶撃墜から……パレスチナとイスライルの紛争からより広範な中東の火種につながると思うか……どんな大儀を掲げようが、真に受ける必要はない。彼は自国だけの法律で動いているのであって、強靭な政治家であり続けるという姿勢にもとづき・・・・・・・一世紀にわたって続く広報戦略、偏った解釈、流用、嘘、誇張、歪曲はかつてほどうまく機能しなくなっている・・・・・・・そのことも、イスラエルの行動が過激化する要因になっている。
 きっと私の耳は、自分にとって心地悪くはない情報を自然に拾っているのだろう。それ以外の箇所は、漠然と子どものことを考えたり、トンネルとか、住宅とか、過ぎてゆく風景に気を取られている。日常を超えてゆくのは、けっこう難しいものだと思う。
 家人は、
 「俺はイスラエル派」
 などと言って、毎日スターバックスでソイのベンティ(特大サイズ)を頼む習慣をやめる気はないままで、私はほとほと気が滅入っていたのだが、面倒な妻を押しのけてまでスタバに行くのは面倒、という二重の怠惰から、この年末はその行動を改めつつある。
 家人のイスラエル派宣言にはスターバックスに行く以外の意図を全く感じないが、実際のところ、イスラエル派の人も多いのだろう。―ガザは西岸のように、もう少し傀儡を受け入れてうまく立ち回るべきだ、精神的蹂躙を受け入れて死者を減らすのが為政者であり、ハマスはそれが下手なんだ。日本は東アジアでちゃんとソレをやってきたじゃないか―。何度か聞いた暴論だ。しかし、我らが背負わされている役目はむしろイスラエルに近いわけで、そういうミッション、つまりターゲット民族を浄化せよ、が下ったら、その方向へと一色に染まるのはけっこうたやすい国民性だろう。そうなるくらいなら、温和なかたちで人種のメルティングが進むといいな、と思ってしまう。―これから、人類の大移動が始まります。しかし恐れることはありません。歴史上のターニングポイントで、私たちはいつもそれを行ってきたのだから―。今年聞いたとある非営利組織の女性トップの言葉であり、正論だが、大移動のなかであまたの個体や文化が失われるのもまた事実なのだろう。戦禍もまた免れ得ない。
 (やだなあ……最悪ヤン……)
 結局は、平板で生理的な言葉を胸の中に吐いて、私はイヤホンを外した。考えることは、どうしても苦手だ。ああ……これ以上は考えられない……と思うとき、私は「中間階調応答速度」という、かつての仕事で聞きかじった言葉を思い浮かべる。液晶画面を中間色から別の中間色へと切り替えるときの速度のことを言うらしく、この処理に優れていると映像が滑らかになる。白黒間なら高速に行えるが、現実にはそういう極端な変化は稀で、中間色から中間色への切り替えがほとんどであり、白黒とは比較にならない性能を要すると言う。私が現実の中の真実を見極めようとするとき、映像はいつだって不鮮明だし、その複雑さにはどうしても追い付けない。頭脳がスペックを超えると、白黒判断がやはり心地よい……。その正しくなさだけはさすがに知っているから、「とりあえず保留」が増える一方でここまで来たが、いよいよそれでは立ち行かない局面なのだろう。
 頭が疲れ果てたところで、祖母宅にいる子どもから連絡が入る。楽しくレトロ版のファミコンをやっているとの由。ここで完全に、浅くて楽な身体が去来した。頭で考えなくても済む状態でいられる何かというのは、やはり幸福の一種なのだろう。


 暮れ始める頃、鮫洲近くの蕎麦屋に寄る。米一途という日本酒の熱燗一本、米茄子の田楽、だし巻き玉子、煮豚の竜田揚げ、笊そば二人前。狭い長机の角に二人腰かけて、それらを夫婦で山分けする。珍しく子どもの居ない、大人だけの食事だ。控えめに言っても旨すぎる。米茄子は小舟のように縦長に切ってあり、揚げた皮は艶やかな深い紫色になっている。煮豚の旨そうな脂と大根おろしのみぞれがこってりと混ざり、深い皿の中から大ぶりのスプンで掬って食べる。細打ちの蕎麦ののど越しは滑らかで、コシが充分にあっていい塩梅だ。この食事をまさか、何も考えてないだけとはいえ「イスラエル派」の家人の経済で喰っているのかと思うと一瞬強く苛つく。自分ひとりの稼ぎなら、こんなに気軽にたくさん頼めない。しかし気がつくと、
 「一年間お疲れ様、ありがとう」
 などと唐突に言ってしまい、はあ?と、和気あいあいと笑いが起きる。やはり微妙なバランスで成り立っているのだ、物事のいろいろは。
 長机には計十名ほどの客が腰かけ、それなりに回転よく入れ替わるのだが、目の前の客はどでかいピーマンの天ぷらを四つも頼んでいる。まるごとを揚げたそれが四つもある光景はなかなか目を引いたのだが、なんと隣りの客も、二つ向こうの客もピーマンの天ぷらを次々に頼んでおり、長机の民の過半数が大晦日の「ピーマンの儀」を愉しんでいる。私の知らないうちに、大晦日にピーマンを食べる文化が根付いているのだろうか。まだ風習とは呼ばずとも、流行が来ているうちに、何らかの歴史上の逸話と絡めて商業的成功のループに入るようなやつが。
 「なんで皆ピーマン頼んでるの?ね、なんかあるの??」
 「ん?おーみそかだからだよ。ヱリ子、知らないの?」
 私が細い目を白黒させるのを、夫はニヤニヤ愉しんでいる。まさかピーマンに混乱して、年を越すことになるとは……。私の中で、何かのバランスが小さく崩れる予兆なのか。いやまさかね。
 衣に包まれたピーマンはぷうと膨れ上がり、羊のぬいぐるみのような姿で過半数のテーブル席を占めている。緑の部分がヘタくらいしか見えなくなったそれを、熱燗で心地よくなった身体が不思議に愉しく見つめている。確かに、悪くない夜ではある。 

*小鳥書房さんの三日連続日記に応募したかったのですが、文字数大幅超えのため公開しました。本年もよろしくお願い致します。

小声書房さんと誤って表記していたため、訂正いたしました。お詫びいたします。どちらも憧れの本屋さんです。


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