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ヱリ子さん思考日記2023年1月(たぶん①)「角を踏む女王」

【角踏み】
新年。はつゆめ、なるものをあまり意識したこともなかったが、「初夢」という文字がSNSの中をいくつか駆け抜けてゆき、2023年の初夢を記憶したようだ。わたしは、体育館のような場所を何周もしている。そして、コーナーのところで「角」と思える位置らしい、壁よりも五十センチ程度内側に入った辺りを左足で確実に踏んでゆかねばならぬようだった。周回を重ねるごとに、わたしの「角踏み」は上達しているらしく、絶妙な地点でスッと左足の脛を伸ばしてスマートに踏む。その疾走のリズムと、達成感、そして爽快感を、わたしは宙にむかって内心ドヤりながらコーナーを周る。(うぉら、うぉら、ドヤ、うぉら。)そうするうちに、今この「角踏み」にとても大切なわたしの身体の左側面に、五歳児が貼りついている現実がじわじわと思い出されてくる。そのぴたりとくっついて動かぬ体温を芯でよろこびながら、しかし今それどころではない、一つの角をも踏み逃せない、と切迫しつつ目を覚ました。覚めると、五歳児の体温と運動のせいでじわりと汗ばみ、ほんの少し息切れしていた。こんなフィジカル系の夢を見るとは・・・・・・。安い占いのように教訓めいたことはいくらでも言えそうな夢で、ちょっと恥ずかしくもある。わたしの初夢。

【六万円のジャケット、八・五センチのハイヒール】
 横浜のセールに行く。社会人になって上京したのが横浜だったこともあり、横浜駅で降りるのが今だに好きだ。イッツマイ新天地、横浜。昨今のブランドはよくわからないが、慎重に言葉を配した詩のように、一点一点を厳選して並べているセレクトショップが一つあり、秋に一度訪れた際、その店にすでに目星の商品をいくつか見つけてあった。白とボルドーと紺をデカルコマニーのように片面にだけ滲ませた赤茶色の鞄、チューリップのようにスカートの裾がつぼんだ鈍い草色のワンピース、純文学的な二重レースを胸元にほどこした黄金色を薄めたような明るいベージュのブラウス……。物欲、物欲、ああ物欲。それを胸いっぱいに充満させる。
  店内に入ると、さてそれらの商品はあるにはあったのだけれど、いざ買うとなると様々な現実が押し寄せてきた。洗濯は、雨に濡れたら、むむ値が張りますね、着ていく場所を自問自答。そうして、知る。ああ、わたしは、買い物するわたしを夢見ていただけなのだ。
 目的をうしない、綱が切れた浮標のようにショッピングセンターの海を漂っていると、なぜか今度は「六万円のジャケット」が欲しいと思い始めた。ふむ六万円とはなんぞや、その心は。六万円以上のジャケットというものを持つのは真のおとな、みたいな考えなんだろうか。よくわからない値段のこだわりよ。それでひとまず、六万円の予算もないのに、あちこちのジャケットのデザインを見たり、ジャケットの脇や袖を内側から触って値札を探し回ったりした。「六万円のジャケット」はさっぱり見つからなかった。十万円のジャケットはとても良かったが十万円だったし、たいして目も利かないのに二万円のジャケットは生地やデザインや縫製にどこか慎重さが欠けたり強い「量産」の匂いがして、それならGUの方がいいと思ってしまう。
 結局わたしは、「五万五千円のジャケット」を半値で買った。ダブルボタン、生地はピンク地に紫と緑のごく細かなグレンチェックだ。地はサーモンピンクとローズピンクの合間のような新鮮な色味だし、これに紫と緑が入ると奇抜になるのかと思いきや、ごく近視眼で見ないかぎりそれらの色が重なり合ってくぐもり、保守的な場面でも浮かない。いい塩梅の遊び感である。それにグレンチェックの流行りが過ぎても、「なにか?」と取り澄まして着ていられそうだ。今、クローゼットにそのジャケットが見えるのが、毎朝うれしい。ちなみに、着ていく場所はまだない。

  社会人になりたての頃、横浜そごうの靴売り場で、わたしは「八・五センチヒールのパンプスありますか」と尋ねた。なるべく高いヒールを履きたかったが、それ以上高いと静止している状態でも靴の裏が見えて下品だ、というのが私の考えだったのだ。同じ年ごろの【新人】というバッヂをつけた店員さんは、「八・五センチヒールですね、承知致しました」とジャリン子チエちゃんのようなちょっとしゃがれた声で言い、膝をつかんばかりの低いおじぎをして、手にメジャーを持ち、そこいらじゅうの〝可能性のあるハイヒール〟の高さを測ってくれた。店員さんはハアハアと肩で息をして、やっと二足ほどのヒールを並べてくれ、それなのに私はデザインが気に入らなくて買わなかった。そしてその儀式を季節ごとに三回ほどやり、なぜかいつも同じ店員さんが「おっ、お客様、確か以前にもご来店くださいましたでしょうか」と言って、ハアハア息を切らして律儀にヒールの高さを測ってくれた。なんたる女王様よ……。私も若く幼かったが、店員さんもどう振舞っていいかわからないくらいには十分若かったのだろう。ベテランならきっと、コムスメの懐具合を勘案しつつ適当な言葉でかわしただろうから。
  目も当てられないような恥ずかしい主従関係に陥ってしまったわけだが、私も彼女も不器用さの種類がそこはかとなく似ていた気がしている。似ていないと、あんな儀式はなかなか3回も成立しないだろう。いつかどこかで出会えたら、彼女もこのにっくき「8.5センチ女王」のことを覚えているのではないか。それでも、主人であった私とは違い、従者をやらされた彼女のほうは二度と会いたくないかもしれない。そういう反比例も、似ている二人に起こりがちだと思う。
 

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