⑥ 異国の地で、女ではなく人間として生きられる幸せを知った笛美。
前回、#metoo運動を遠い世界のこととして眺めていた笛美。
もう一生、結婚も出産もすることもないと思い、
しばらく外国に行くことにしました。
そこは日本より女性の地位が
はるかに高い国でした。
まず驚いたのは、
長距離バスやトラックの運転手が女性
だったこと。
営業スマイルはしないけれど、
気まぐれに心からのスマイルをする人たちでした。
夕方のスーパーには子連れのお父さんが
溢れかえっていました。
マネジメント以外は残業をしておらず、
これは私には不思議に見えました。
彼らは日本とちがい、
転職することで給与を上げる
雇用システムを生きていました。
だからこそ、会社ではなく自分に
根拠のない自信を持っているようでした。
そして雇用が不安定だからこそ、
安定した居場所である家族を
大切にしているようでした。
教育費は無料で施設も充実しており、
たとえ結婚しなくても女性が
一人で働いて子供を育てられるとのことでした。
実際シングルマザーも多く、
事実婚の人も多いようでした。
驚いたことに、女性の肉体というものが、
日本ほど性的に見られていませんでした。
露出が多いギャルがいても、
誰もジロジロ見ていない不思議な世界でした。
裸の肉体というのは自然なものであり、
恥ではないという考えを
持っている人たちでした。
アラサーの女性たちと友達になりました。
誰も彼女たちを産業廃棄物とかBBAと
思っていないようでした。
彼女たちは、
自分はこんなパートナーと付き合いたい。
こんな仕事がしたいと、
希望をもっていました。
自分たちの権利のためにパレードに参加する、
自由で堂々とした姿に驚嘆しました。
どんなきれいな若い女性も、
パパ活やギャラ飲みをしていませんでした。
学生でも生活が保障され、
もし子供を産んでも働いていける
希望があるなら、
男性のお金に頼る必要はないのだと思いました。
(男性の経済力がないこともありますが。)
いちど昔のクセが発動し、
男性に媚を売ろうとしたこともあります。
その男性は、喜ぶどころか、「そんなことしなくていいんだよ」という態度をとりました。
NOを言うことを覚えました。
私がもしNOと言っても、
それは自分の考えを言っているだけであって、
相手を否定するわけではない。
だからNOを言ってもいいのだと。
異国の考えに触れるうちに、
日本で山のように積み上がっていった
肩の荷が下りて行きました。
私は何をあんなにがんばっていたんだろう。
なぜがんばっていた自分を認めてあげられなかったんだろう。
なぜ自分のキャリアや肉体や希望を、
恥ずかしいと思って生きていたんだろう。
この国でなら、
子どもを産めたかもしれないな。
黒歴史⑦ 日本型雇用について調べ、生きづらさの謎が解けた笛美。