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好きなことと生きていく〜はじめまして〜

山口県内で、演奏活動をしている笛吹です。
宇部市、山口市でフルートとオカリナ教室主宰しています。

まずは、私がフルートをはじめるきっかけのお話をさせていただきます。

わたしの家は、音楽一家の家では、ありません。うちの父(選手)、母(主婦)は、ドの音がどこか譜面を見てもわからないと思われます。
幼い頃ピアノを習わせてもらっていましたが。途中で、やめてしまいました。ピアノの先生がめちゃ怖かったんです。

小学校に入り、また音楽をはじめるきっかけになったのは、小学校にブラスバンド部があって、隣のお姉さんに連れてかれ、入部した事がはじまりでした。

当時8歳の同じ年の子達と何人かで、入部しました。歯並びの良いこは、トランペット 運動神経の良いこは、パーカッション。。

消去法で、特に小柄な私は、フルートを渡されました。


これが、フルートとわたしのはじめての出会いです。


ブラスバンド部の先生がとても熱心で、音楽の楽しみを教えてくださった最初の先生です。

全国大会に行く程の実力のある学校でしたので、
練習は、朝日が昇る前に起き 朝練と午後練、休みの日は1日練習でした。
小学校時代は、ブラスバンド漬けの日々でした。


気づいたときは、フルートを吹くことが生活の一部になっていました。

音楽以外の道は考えておらず、中学卒業後何の迷いもなく音楽高校に進学させてもらいました。

あれから、20年以上続けていると、どうしようもなくもう辞めてしまいたいと思う時期や音が出なくなってしまった時期がありました。泣きながらフルートを吹いたことや寝ようとするとにモーツアルトのフルートコンチェルト(難曲)が流れはじめ不眠症になってしまったこともありました。世に言うスランプということでしょうか。一丁前にスランプというとなんだかかっこいいですが。高校生、大学生の時は辛さと達成する喜びがすごい速さで行ったり来たりしている状態でした。

何がそんなに苦しかったのか

コンクールで賞をとること オーディションを受け演奏会にでること 1位になること


もっと上手にもっと正確に・・ 沢山の課題を人と常に競争しながら音楽をしていました。 人よりも沢山努力することこそが 自分を安心させる術でした。

我武者羅に進んでいました。

音楽をするということは、楽しむことだという小学校の恩師がおっしゃっていたことが今も心に残っています。
この言葉が、歩いてきた道を振り返るときに思い出す私の原点です。

今振り返って これからは どんな山に登りたいか考えました。みんなが1人ひとりを認めて音楽を楽しむ。人と比べず自分も認めてあげること。自分を認めているひとは他人の良い部分を認めて褒めることができます。みんなでそれぞれの良いとこを認め合って音楽を楽しめるそんな場所があったら素敵と思いませんか?

今は そんな楽しい未来を思い描いて歩んでいます。

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