#65 人生における選択
みなさん、こんにちは。英語講師のふえです。
唐突ですが、人生って選択の連続ですよね。進学や就職という大きな選択もありますが、最近では朝布団から出るというのが、かなり精神力の必要な決断だったりします。
今日は人生の選択について、いろいろ考えてみました。何かを迷っている方や、このままでいいのか?と思っている方に、少しでも参考になればと思います。
人生における様々な選択
冒頭でも書いた通り、人生は選択の連続です。今はこれまでの選択の上に成り立っていますし、未来はこれからどんな選択をするかで決まります。全ての場面で最高の選択をするのは難しいですが、だからと言ってあまり考えなしで選んでしまうと後悔することもあるわけです。しかし、時は流れていきますから、あまり考えていると機を逃してしまうことも起こります。何とも難しい!
学生たちの進路選択
学生時代の代表的な選択といえば、私立か公立か、文系か理系か、大学におけるゼミや専攻…こんなものでしょうか。いずれも、基本的には選び直しがあまり効かないものです。幼稚園や小学校あたりまでで私立校を選ぶのは、ご家庭の意向が大きく関わりますが、年齢を重ねるほどに自分の選択は自分ですることになっていきます。
個人的には、文理選択は履修科目等の関係でその後受験できる大学・学部が変わってくるので、高校生にとって相当大きな選択だと思っています。一方、その選択が十分な考慮の上で成されないことがあり…。よくない決め方は「これまで数学が全然できなかったから文系にする」とか「歴史が絶望的に覚えられなかったから理系」とか…。これまでできなかったから、という理由で選ぶのは、ある意味では合理的なのですが、進路選択はその後の人生のためにすることです。したがって、これからの人生でなりたい姿を考え、理系の勉強が必要ならば、苦手であっても理系を選んで勉強していくべきです。そうでなければ、いつまでも苦手から逃げ続ける人生になりますからね。
大学進学でも、ここなら行けるから、などの妥協した選択をするのは好ましくないですね。理想論だと言われるかもしれませんが、大学は学びにいくところで、時間もお金もかかるので、「とりあえず」で行っていい場所ではないと思っています。
文理選択も進路指導も、教員側からよくない選び方を提示されることがあるのが嘆かわしいものです…。
就職における選択
就活をする方の多くが、何社もエントリーして内定を勝ち取ります。しかし、内定をどれだけ取れても、実際に働けるのは1社だけです。内定辞退した企業が、数年後転職するときに採用枠を設けているか、エントリーしたとしても採用してくれるか、そこには全く保証がないわけで、基本的には1社を選び、他を切り捨てる選択をしなくてはなりません。
就職に関していえば、新卒で就職できるのは1回だけです。新卒とそれ以外では採用の仕方や枠の数を変える企業が多数です。そして、新卒というのはある種のブランドで、これを十分に活かすため、大学にもう1年残る、いわゆる就活浪人をする人もいるわけですね。
会社も学校も、入ってみないとわからないことはたくさんありますが、事前のリサーチは欠かせません。毎日起きている時間の半分かそれ以上を捧げることになる組織を選ぶのに、何でもいいなんてことはないですよね。
専門を選ぶということ
私は英語と教育を専門にしてこれまで生きてきました。高校進学で1年間留学できる高校を選んだあたりから、英語の道で進んでいくことを決めたと考えると、もうそれから14年…。ここまで来ると、今更他の道は選べないなと思ってしまいます。ここからもう1回数学をやってみようとか、思わない訳ではありませんが、実際に行動を起こすことはありません。
しかし、本当は他の道に進めないなんてことはなくて、未経験でも何でもやってみたらいいはずなんですよね。ただ、ここまで続けてきたから、これ以外はやってこなかったから…と、そう思ってしまうだけで。さっき「これまでのことじゃなくて先を考えて選んだほうがいい」と書いていたのに、自分のこととなるとこうなってしまうのは、人間の性質なのでしょうね。
何故他の道に行けないと思うのか
これはいわゆるサンクコスト効果というものが働いています。それまでにかけてきた時間やお金、労力などのコストがもったいないと思い、判断が鈍るのです。例えば私の場合、高校留学、大学進学とお金も時間もたくさんかけてきたので、今後について英語をやらない選択肢は考えにくくなっています。一方で、もしかすると英語以外の道に進んだ方が成功できる(成功とは何かは置いておいて)かもしれません。でも、これまでのコストがその道に進むことを阻むのです。
勉強や研究を続け、大学院まで行って専門性を高める人もいます。そこで院を修了して将来をどうするかというときに、やはり専門職で、と考える訳です。それが既定路線だから考えるまでもないという人もいるでしょう。しかし、実際には道はいくらでもあって、ただ自分がそれらを選択肢から除外しているのです。ここまでこれ専門で進んできたし、今更これ以外はできないと思ってしまうのです。
とあるギタリストの話
ここで、私がこの人の選択はすごい!と思ったギタリストを紹介します。LACCO TOWERというバンドのギタリスト、細川大介さんです。彼は局所性ジストニアという病気になり、ギターを思い通りに弾けなくなってしまいました。10代からずっとギターを弾いてきて、バンドのギタリストやギター講師として生計を立ててきたギターを弾けなくなるのは、商売道具を奪われるのと同等のことでしたが、そこで彼は、左利き用ギターを練習し始めたのです。ちょっと長いですが、そのエピソードについてはご本人のブログをご覧ください。
彼は、人生がまだ40年以上残っていて、今からやればこれまでのギター歴を超えられると考えたのです。人生100年時代とは言われても、この発想はなかなかできるものではありません。しかし、これは我々の人生における選択について、示唆を与えてくれるものとなりそうです。
これからの選択
もちろん、時は戻りませんから、10代をもう一度過ごしたい!というのは無理な話です。それに、学歴や職歴のようなすでに通った道を変えることもできません。だからこそ、大切なのはこれからする選択です。何かを勉強しようとか、この仕事をやってみようとか、何か趣味を始めようとか…そういうものに人生のいつの時点で出会えるかわかりません。でも、それらを始めるのに遅すぎるということもありません。例えば何かを30歳から新しく始めても、60歳になる頃にはその道30年…これってかなりベテランの域ですよね?
できるようになりたいとか、そういう興味がある限り、私たちは全ての可能性を否定せずにいろいろ模索していくべきです。そうじゃなくても人生は進んでいきますし、何となく生きていけますが、私としては、常に自分の可能性を信じられたほうが楽しいと思っているので、できる限りそうしていきたいです。
最後に
何かを続けるという選択も、新しい道に進むという選択も、どちらも勇気ある選択です。どんな経験は無駄にならないので、興味があるならばいろいろやってみるのがいいと思います。私も、何歳になっても新しいことに挑戦していきたいです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!ご感想、ご意見などなどありましたら、ぜひコメントやインスタのDMで教えてくださいね。
次回の更新は12月10日(火)正午の予定です…が、ちょっと予定の関係でお休みするかもしれません。