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視野を広くもつと、生きづらい、かもしれないけれど。

ちょっと偉そうで嫌味な言い方かもしれないんだけど、最近どうも、「視野が狭い方が生きやすいかもしれない」なんて思ったりする。

でもそれでも僕は、視野が広い方がいいな、できる限りでも。

例えば僕がよく言ってる、自分なりの倫理とか、Don't Be Evilとか、是々非々とか、ダイバーシティとか、そういう考え方って日常生活と同じ高さの層(レイヤー)では考えられないことなんだと思うんだよね。
そういうのを考えようとすると、自分のことを空から見下ろすような、一段高い層が必要になる。自分の経っている場所から見える範囲より、もう少し広く、世界を見るということ。

それで、そういう層から考えた上での結論って、必ずしも「自分が明日生きるために役立つ」ようなものではない。場合によっては、目先の利益でいうと自分に不利に働く結論をだすこともあり得る。

「これはめっちゃ儲かるけど、あまり世の中に広めたくないものだからやめておこう」とか、「こう書いた方がこの本は売れるかもしれないけど、傷つく人がいるだろうからしない」というようなこと。大きなことは少なくても、ごくごく些細なことも含めると、こういう選択を迫られることって実は日々の中でたくさんある。

それで、最初に書いたことにつながるんだけど、そういう視点が全くない人は葛藤することなく「自分が得をする選択」を選んでいく。もちろん、法的に問題があったり、明らかに非難されたりするレベルではない範囲でね。そういう人は、僕より生きやすそうだなぁ、なんて恨み節で思ったりすることもある。

だけど、自分の明日には役に立たなくても、社会をより良くするとか、未来を生きやすいものにするとか、そういう視点で選択を決めることは、価値のあることだと僕は思うから、たとえ自分に不利になってもそれを優先したい。


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文月 煉
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