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「非独占愛」はカテゴリーじゃない。 @fuduki_ren つぶやきまとめ
今日、久しぶりに恋愛関係についての取材を受けて、また一つ言語化を獲得したな、と思ったことがある。僕が「ポリアモリーではなく非独占愛」と言いはじめたことについて。非独占愛というのは新しいカテゴリーではないのだ。なぜなら「非」から始まるから。
— 文月 煉 (@fuduki_ren) August 15, 2020
「非」から始まる非独占愛の定義は「独占する愛ではないもの」であって、「〇〇なもの」ではないんだよ。だから「非独占愛者」みたいな共通項でくくることはできない。そしてそのことが、僕にとっては重要だったんだ。「同じカテゴリーの人たちと集まる」のは、僕には馴染まない。
— 文月 煉 (@fuduki_ren) August 15, 2020
正確に言うと非独占愛は、「愛はいつでも独占するのが当然であり自明だとは思わない」くらいの広い定義で十分で、当然そんなの「当事者」「非当事者」でわけられるはずがないんだよな。
— 文月 煉 (@fuduki_ren) August 15, 2020
ああ、なんかすごくすっきりした。僕にとっての「ポリアモリー」と「非独占愛」の決定的なちがい。どうして非独占愛がこんなにしっくりくるのか、ということ。カテゴライズしないこと、アイデンティティにしないことの意味。
— 文月 煉 (@fuduki_ren) August 15, 2020
ついでに言うと「LGBT」も本当は「非定型愛」くらいの言い方がいいんだけどな。そうすれば「LGBTQQIAAPP……」みたいなことにならないですむんだよな。
— 文月 煉 (@fuduki_ren) August 15, 2020
僕は「あなたはLGBTですか?」と聞かれたらNOと言わざるを得ないし、だから「当事者でもないくせに」みたいに自分で思ってしまうこともあったのだけど、「非定型愛」はいわゆる普通の愛、というものに疑問を抱いた時点で全員が当事者だ。これは心地良い。
— 文月 煉 (@fuduki_ren) August 15, 2020
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