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長い目で見て、ゆっくり生きる。

今の世の中、「ゆっくり生きる」とか「長い目で見る」ということが
圧倒的に欠けているように思う。

進化のスピードが速くなった、などというのはもう、
産業革命以降ずっと言われていることだろうけど、
僕たちにとって、身近で重大な要素はインターネットと携帯電話だろう。
情報のスピードが、目に見えて速くなった。
一日二日掛けて郵送しなくちゃいけなかったものが
インターネットで一瞬で送れるようになったとか、
家や会社に戻ってくるまで連絡をつけられなかったのが、
携帯でいつでも連絡をとれるようになったとか、
具体的な例はわざわざ挙げる必要がないぐらいだろう。

人々はこれを「便利になった」と思うのだろうけど、
実際はそればかりじゃない。
そういう技術が当たり前になったら、今度はみんな、
「待てなくなってしまった」んだと思う。
そういう速さが、本当に必要とされているうちはよかった。
「速さ」は商品の付加価値になるから、
消費者が「より速いもの」を選んで、企業は成長する。
だけど、実際はとっくに「速さの供給過剰」が起こっている。
速さの供給過剰は、商品の供給過剰と同じで、
過剰だからと言って後戻りするわけにはいかない。
業界全体で生産調整するのならともかく、
一企業だけが撤退してもなんにもならないのだ。
だから、「速さのデフレ」が起こる。
「速くてすごい」ではなくて、「速くて当たり前」になる。

今の世の中は、「速くて当たり前」だ。
本当は、人間の営み自体はそこまでの速さは求めていないと思う。
携帯電話にしたって、すぐに連絡がつかないと取り返しのつかない事態、
なんてそうたくさんあるとは思えないし、もしあるのなら、
いったい携帯電話のない時代の会社はどうしていたんだ?と思う。
でも今は、携帯電話ですぐに連絡を取れることが「当たり前」になっているから、
全てそれを前提に物事を決めていく。
だからいざという時に携帯電話がないと、非常に困る。

そんなわけで、今の人々は「速さ」に依存している。
それはつまり「長く待てない」ということでもある。
何でもかんでもすぐに結果が出ないと落ち着かない。
みんながみんな「せっかち」になっている。
その影響で、「長い目で見る」ことができなくなった。
去年おきた「リーマン・ショック」で、
その年のうちにたちまち山ほどの企業が採用を取りやめたりした。
何十年も続いていた企業が、たった一年の不況で、あっという間に破綻した。
「いい時もあれば、悪い時もある。未来を見据えて、今は頑張ろう」
と言える企業は、実際にはあんまり多くなかったみたいだ。

勘違いしてはならないのは、
インターネット、携帯電話という「道具」を開発したからといって、
人間の頭の回転まで飛躍的に速くなったわけではないってこと。
会社の体制が安定することや、しっかりとした信頼関係を作ること、
自分の進んでいる道に確信を持つこと。
そういうことには、昔と同じように長い時間がかかるんだ。
そもそも、寿命が延びて人間の一生自体が長くなっている。
一年の相対的な長さは、昔より短くなっているはずなんだ。
昔よりも急がなくちゃいけない理由なんて無い。

インターネットや携帯電話をあとから導入した人たちと違って、
若い世代の人たちは「速い」世界しか知らないから、
そういう傾向は特に強いような気もする。
過剰な「若さ」信仰も、そのせいなんじゃないだろうか。
「若いうちにあれもこれもしておかなくては取り返しがつかなくなる」
「三十歳になったらもう若くない」みたいなことを色んなところから言われて、
どっちに向かえばいいのかもわからないままに全力疾走だ。
常に焦っているから、とにかくシンプルな結論を求める。
「結局、イエスなの? ノーなの?」
悠長に細部なんて聞いていられない。時間がないんだ!
エンターテイメントの世界だってそうだ。
手っ取り早く感動を得られるものばかりが求められる。
「今は泣きたい気分なの。二時間で泣ける映画ある?」
「こんなに分厚い本読んでる暇無いよ。あらすじだけ教えて」

走り続けていた人が、六十歳になって定年を迎えたらどうなるのだろうか。
平均寿命でいけば、まだ人生は二十年もある。
お金は有り余っているけれど、それを使うための趣味もない。
そもそも「速さ」への信仰は体に染みついてしまっていて、
「ゆっくり」することなどできない。

僕は二十代だけど、そういう「速さ」にはうんざりしてる。
焦らずゆっくり、長い目で見ながら日々を生きたい。
ちっちゃな失敗も、長い目では糧になると思うし、
目先の安心や成功にとらわれて、人生を「諦めながら」生きていきたくはない。
僕だって、周りの「速さ」にとり残されていくことに、
どうしようもなく不安になったりはするけどさ。
今年は少しだけ、世界がゆっくりになったら、いいな。

(2010年1月1日執筆。当時28歳)

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