音楽覚書 米津玄師『YANKEE』
あらためて米津玄師のアルバム「YANKEE」を聴いていると、その歌詞から、彼が実際に「生きづらい人」の身近にいることに気づかされる。それも、ときどき落ち込む、とかじゃなくて、ずっとしにたい気持ちを抱えながら生きているような人に、寄り添っているリアルさ。
「WOODEN DOLL」の歌詞は「楽しいことでさえ、あとで落差が怖くなって嫌なんだ」「見下されるのが怖くて仕方ないから何もかもを見下しているんだろ?」「得られたものだってあるのに、なくしたものばかりだっていつも嘆いてるじゃん」と「認知の歪み」を具体的に指摘してる。
アルバムでその次に置かれた「アイネクライネ」は「WOODEN DOLL」への返歌だ。「あなたに会えてしあわせだからこそお別れを考えちゃって悲しい」「あたしといるせいであなたが呑み込まれてしまったらどうしよう」とおそれながらも最後に「あなたの名前を呼んでいいかな」と大袈裟ではない小さな希望。
でもその次の曲が「サンタマリア」なのは、簡単にめでたしめでたしとはならないことを感じさせる。そこがまた、残酷なくらいにリアル。「面会室」「点滴」というのは……救急車で運ばれた後、なのかな。
米津の曲はちょっと剥き出しでリアルすぎて、あんまりフラットな気分で聴けるものではないな。
なんかこういう「生きづらい人に寄り添う曲」って、いくつかのバンドたちがインディーズだったころに通っては卒業していった経緯があるように思う。思いつくのはBUMPとかRADとか世界の終わりとか。
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