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独占しない愛し方

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僕は、僕自身のあり方を、「ポリアモリー(複数恋愛)」というよりは、「非独占愛」あるいは「非排他的愛」とよびたい。 お互いがパートナーのこれからの可能性を、つぶしてしまわない恋愛。…
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2022年6月の記事一覧

恋人と話し合うのは「妥協点」じゃなくて「おたがいが心地よい関係性」。

先日、「恋人と喧嘩しちゃって、どうしたらいいかな」という相談を受けた。 僕が答えたのは、「おたがいが意見を主張し合って、どちらかが折れて、妥協点を見つける」っていう話し方そのものを変えた方がいいんじゃないかな、ってこと。 二人でお互いに話し合うときに、「どっちが悪い」とか「あなたのここが嫌だからこうしてくれ」みたいに二人が対立軸になってしまうと、結果的にどちらかが折れたとしてもそれから先の関係性が不平等になってしまう。 だから最初から、お互いの困り事や譲れないこと、何を不

いつだって、現在進行形の「好き」を見ていたい。

好きだった人を嫌いになるのってとても心が苦しい。 できるだけ嫌いになりたくないから「ここまでやったら許せない」というラインをどんどん下げていって、いつの間にか自分を浸食させてしまったりする。 嫌いになることを決意すると罪悪感を覚えたりもする。 でもそれは大事な一歩だ。 誰にでも優しくありたい、寛容な人間でいたいという欲望はわかる。 僕もそういう人間だ。 だけど、人の能力は無限ではない。 キャパシティは限られている。 僕の手は、好きな人を支えるためにある。 僕は、たくさん

人を愛せる大人になりたい、けれど恋にも未練あり。

恋とは。愛とは。 また考えてる。 恋は求めるもの。本質はたぶん「欲」だ。したい。なりたい。 愛は穏やかだ。ただただ、相手のしあわせを願う気持ち。 頭で考えるならば、恋よりも愛がいいと思う。 安定してるし、暖かいし、嫉妬も不安もない。 ……でもさ、恋って楽しいんだよね。 恋に恋してるんだよな、僕は。いつまでたっても。 「愛に愛してる」って言わないもんな。恋はさ、やはり「乞い焦がれる」ものなんだな。 はじめは恋だったものが、じっくりと愛に変わっていく。 それはよくわかる

「誰かに必要とされないと生きていていいと思えない」からの卒業。

好きな人と話していて、僕、いい感じに歳を取って38歳まで来たなぁ、ってあらためて話した。 若い頃からわりと、メサイアコンプレックス気味でつらそうな人を助けてあげたくなるんだけど、それって誰かに頼られて必要とされていないと自分が生きていていいって思えなかったから。 要はそれって、「自分を削って誰かを助けていることに、生きている意味を感じる」ってことで、破滅的なんだよね。 自分の手の届く、できる範囲を超えて手を出して、共倒れしてしまう。 どうして「誰かに必要とされないと生き