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牧のことを考えていたら4時19分になっていたので、僕は正真正銘の牧モンペ。

やばい。もう完全に生活に支障が出はじめている。今日だけですでに2話を3回観ている。義務感ではない。飢餓感でもない。もっとナチュラルな日常動作に近い。食べる。排泄する。寝るに近い感覚で、「さ、『おっさんずラブ』観よ」ってなってる。

特に休日じゃなかったのに。なんなら昼間は取材に出てたのに。朝イチで一発。仕事から帰ってきて一発。そして夜のリラックスタイムにもう一発という感じ。『おっさんずラブ』がお酒やタバコじゃなくて本当によかった。お酒やタバコだったら完全に体を壊すレベルだし、万が一違法薬物だったら出所→薬物使用→逮捕を繰り返してる。田代まさしになってる。

2話もよかったですね…。のっけから春田さんを起こす牧が見られるとは。オタクが脳内妄想していたものを公式に上書きされる幸福体験。

和食からの「わ〜、ショック」とか何を見せられたのかと思った。スピンオフのノリを堂々と本編に持ち込む2人。2期になってちょいちょい牧がキャラ崩壊する瞬間があって、そのたびに僕の平常心も崩壊している。

春田さんのお母さんに結婚のお祝いをされたあとの2人の表情もいいんです。目尻いっぱいにシワをつくって笑う春田さんと、笑いながら目の端がほんの少し潤む牧。牧にとって「孫の顔だって見たいじゃない」「ずっと創一と友達でいてね」は呪いだったから。やっとそこから解き放たれた。自分たちは幸せになっていいんだと堂々と胸を張れるようになった。

(まるきり余談だけど、親ウケを狙った牧のファッションは寒色系のニット。1期で実家に帰って父親に交際の許しを得ようとしたときも寒色系のニットカーディガンだったので、牧の中で「寒色=きちんと感」という図式がある模様。逆にデート服ははっきりとした暖色だったのが牧の浮かれ具合を表しているようで、そう考えると6年遅れであのデート服にめちゃめちゃ萌えます)

この第2話をひと言で説明すると「Revival」でしょうか。屋上のキャットファイトから嫁姑キッチンバトルになったのはもちろんのこと、春田さんの「つーか、さっきのは何?」から始まる変顔脳内会議もそう。焼きそばが焦げそばになったのは、おかゆがおもちになった6話のセルフオマージュだし、和泉さんの「うるせえ唇だな」は、牧の「うるせえなと思って」の口封じキスを彷彿とさせるものだった。1期の名場面を自らリバイバルするように散りばめていく。だから、なつかしさと安心感がある。

『おっさんずラブ』の続編をやるにあたって、最も難しかったのは部長を本筋にどう絡ませるかだと思うんですよ。春田と牧のカップリングはもはや絶対不変のもの。今さら部長を横恋慕させることは難しい。でも、『おっさんずラブ』はこの3人あってのもの。だから、劇場版では記憶喪失という禁じ手を使ってでも、再び部長→春田の片思いを復活させたけど、同じ手は二度使えない。春田と牧の愛を描きながら、部長をどう絡めていくか。今回の「姑」というポジションはこの難題に対する最適解だと思うし、最初に設定を読んだときは「なるほど、この手があったか」と膝を叩いた。

ただですね。ただ、牧のモンペとして一言言わせていただくとですね、牧にとっては姑というより、その前に「春田さんの昔の男」なんですよね。

牧が家を出てからの空白の1年。そこで部長と過ごした時間を、春田さんが「付き合ってる」とカウントしているかどうかはもはや謎。つーか、見る限り春田さんの中であれは「付き合ってる」に入っていないっぽい。とはいえ本人の認識はどうにせよ、さすがに結婚式まで開こうとした仲を「付き合ってる」にカウントしないのは無理筋というもの。牧から見て、部長は元上司である前に、やはり「春田さんの昔の男」といった方が自然でしょう。

それが週に3回も家に上がり、身の回りの世話をするのはさすがにキツいって〜。僕なら部長が洗濯した春田さんのシャツを、もう1回自分で洗い直すレベルです。あるいは、わざとツーショット写真をそこらじゅうに飾ってマウントをとります。それをしないだけ牧は菩薩だと思っている。

にもかかわらず、義母に振る舞う料理を部長に代わりにつくってもらうのは結構ダメージがデカい。もちろん春田さんの優しさからだというのは承知の上。でも、その優しさを噛みしめるより先に、自分に対する無力感が湧いてくる。同じ牧に楽をさせるなら「Uber Eatsで、いーんじゃない?」って僕の中の夏木マリが言ってる。「で〜までっま、出前館♪」って浜ちゃんがサンバを踊ってる。何が悲しくて、パートナーの昔の男がつくった料理を、パートナーの母親に食べてもらわねばならんのや???

だからこそ、春田のお母さんが唯一完食したのが、牧のつくったほうれん草のおひたしであることに泣いた。今回のいちばんの感動ポイントは間違いなくココです。ちょいちょいふざけたノリを盛ってくるけど、こういう繊細な描写を欠かさないから『おっさんずラブ』が大好きなんだよおおおお。

思うに、牧が今やらなくちゃいけないことは完璧主義をやめることだ。牧は常に完璧を求める。でも決して器用で飲み込みの早いタイプではない。牧が完璧にこなしているように見えるのは、人の倍努力しているから。そして、牧が完璧であろうとしている理由もまた、決してプライドが高いからではなく、自分に自信がないからなのだ。

牧の根っこにあるのは、いつも不出来な自分だ。それを隠すために、「こうあらねばならない」という理想の自己像で自分をコーティングしようとする。そして、それがうまくできないと、できない自分が歯がゆくなって、つい春田さんにも当たってしまう。

でもどうか忘れないでほしい。春田さんが好きなのは、なんでも完璧な牧じゃない。一緒にいると楽しくて、細かいし怒りっぽいけど、ダメな自分を全部受け止めてくれて、くしゃっとした笑顔で笑っている牧が好きなのだ。だから常に完璧であろうとなんてしなくていい。

「俺、こんなうまくつくれないですよ」と落ち込む牧を見て、牧に必要なのは料理の腕ではなく、たとえ焦げても気にしない平野レミのメンタルだと思った。だって、牧にはいつも「おいしい」と喜んで食べてくれる春田さんがいるんだから。春田さんが死ぬ前に食べたい料理は牧の唐揚げに決まってるんだから。

多くの人がそうだけど、付き合う前のほうが相手に対して優しくできるんだと思う。それは牧とて例外ではなくて。付き合う前は、春田さんの力になりたくて、悪徳不動産屋に一緒に乗り込んだり、いろいろと尽くせた。でも付き合うとどうしたって自分の事情もあったりで。むしろ人前でデートをするのも恥ずかしがってた春田さんのほうが愛情表現がストレートで、牧のほうがずっと照れ屋でぶっきらぼうで気持ちの伝え方が下手くそだ。新婚初夜でも、牧の希望を春田さんはしぶしぶながら受け入れていたのに、牧は春田さんの希望をまったく聞く気がなかった。嫁気質のようで、実はゴリゴリ昭和の亭主タイプなのかもしれない。

でもそんな牧が自分の希望を譲ったのが、今回のラスト。結婚式をやりたいという春田さんの夢を叶えるために、式を挙げることを決意する。あのときの春田さんの喜びようったら、これぞ春田さんという感じで、きっとあんな春田さんの笑顔が見たくて、牧は結婚式をしようと決めたんだと思う。

一緒に生きるとはどういうことか。今回の答えは、相手の笑顔のために自分にできることをすることだ。

2人の結婚式はどんなものになるのだろうか。どうか公式には式の日取りが決まった暁には、ちゃんと劇中で明示してほしい。そしたら、我々はそれを春田さんと牧の結婚記念日として未来永劫お祝いしますんで!

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横川良明
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