「筆先三寸」日記再録 2000年8月

2000年8月6日(日)

 昨日のことだが、夕食を終えてから、家族でカラオケボックスに出かけた。カラオケボックスなど、下の子ができて初めてのことなので数年ぶりである。
 だからといって、最初から親が飛ばして、小さい子どもたちを飽きさせるわけにもいかない。で、歌うのは基本的にポケモンやウルトラマンである。あとは、「きらきらぼし」とか。
 目一杯口を開いて怒鳴り散らすように歌う幼児の常に反して、上の子の歌の上手なのには驚いたのだが(しかもモニターの歌詞を目で追いながら歌う。生意気である)、困ったのは下のチビである。
 なぜか怖がるのである。部屋にいる間中、半泣きで母親にしがみついている。無理に歌わせると、「おーきなくいのーきのしたでー」とか歌わないこともないのだが、すぐに「こあいー」と泣きだすのである。
 はじめは大きな音が怖いのかと思ったがそうでもないらしい。薄暗い部屋が怖いのかとも思ったが、お母さんが抱っこしていてもダメなのである。
 仕方がないので、飲み物もそこそこに四十分ほどであきらめた。
 チビさんは、帰り道でもまだめそめそしていた。上機嫌に「面白かったなあ、いっぱい歌ったなあ」と何度も言うお兄ちゃんとは対称的である。
 チビを抱き上げて夜道を歩きながら、聞いてみた。
「なあ、ともちゃん、なんでそんなに怖かったん」
 すると、こう答えるのである。
「おばけー、おばけー」
 え?
「おばけがいてたのか」
「うん、てれびにー、おばけいたー」
 ちょっと待ってくれよ。それではお父さんも怖いがな。
 背筋がマジで寒くなった。
 ギボアイコかお前は。


2000年8月7日(月)

 先週は立て続けに今の職場の大先輩と飲む機会があったのだが、みんなすげえやと思わせる人ばかりだった。
 まるでそれが当然のように、飲んでる間は仕事の話ばかりだったのだが、プラス思考と言うかなんというか、結局結論は、「あの頃(今の私の職場にいた頃)はほんまに面白かったなあ」なのである。
 仕事の中味を聞いてみると、「そんなはずないやろ!」と後頭部をはたきたくなるほど、大変な仕事や大きな問題や複雑な揉めごとを片付けてきた(それも同時並行で)というのに。もちろん、「そらもうしんどかったで」とも言うのだが、結論はやはり同じなのである。「その方がおもろいがな」とか。
 みんな頭は切れるし、度胸はあるし、酒は強いし、尊敬を通り越して開いた口がふさがらない。
 ここで、それにひきかえ私は……などと書き出すと落ちこむ一方なのでやめておくが、やっぱり身の引き締まる思いがした。
 過酷な状況を楽しまないまでも、「なにくそ」と引き受ける根性。それを打開するための迷路を切り抜けるセンス。仕事量を超えるほどの勉強。先手先手の計画や根回し。周囲と喧嘩を繰り返しても筋を通すプライド。
 今の私には何ひとつないものばかりである。
 見習わなければならないとも思うし、見習いたいとも思う。しかし一方で、そんなん俺には無理やしー、いややしー、しんどいしー、とも思ってしまうのだが(私は基本的にあかんたれなのである)。
 まずは「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ」と唱えるところからはじめないといけないようである。
 碇シンジか俺は。


2000年8月9日(水)

 ちかごろさっぱり小説を読まなくなった。せいぜい月に2、3冊である。
 ただし、暑いしー、じゃまくさいしー、かったりーしー、とかいうのでは全然ない。
 何だか一般の小説に対して食指が動かないのである。
 もちろん、面白い小説を読みたいという欲求は常にある。血湧き肉躍る冒険譚を、結末に驚愕するようなミステリを、人間の心の深淵を覗き込むような純文学を、読みたいと言う思いは常にある。
 しかし、いざ本屋で棚に並ぶ膨大な書物を前にすると気持ちが萎えるのである。
 たとえば、小野不由美の「十二国記」シリーズでもよい、有栖川有栖でもよい、宮本輝でもよい、太宰の未読の何かでもよい、もちろん前々から読みたいと思っているものばかりだし、読めば読んだで凡百の小説を超える充実感なり快楽なりが得られることもわかっている。
 それでも、いざ本屋で手にとってみて思うのである。
「どうせ面白いしー」
 我ながらどうかと思うが、面白いことがわかっている、言い換えれば自分がどんなふうに興奮してどんなふうに感動するのか想像がつくような小説を、わざわざ読む気がしないのである。
 思うに、私は読書の快楽に倦んでしまったのかも知れない。単なる面白い小説には、もう飽いてしまったのかも知れない。
 私はきっと、読書にあってさえ、新しい興奮を、新しい体験を求めているのであろう。
 幼い頃、初めて星新一に出会ったときの驚きを、学生時代に読みあさった冒険小説や柴錬から得た興奮を、かつて得た、それらみずみずしいと言えば言える熱狂に似たものを、あらためて体験したいと思っているのである。
 だからたとえば小説ではなく、岩波文庫の黄帯や白帯、みすず書房に手を伸ばしてみたりしてしまう。小説でも、明治大正期のものやナボコフなぞを読んでみたりしてしまう(ちょっと見栄入ってます)。
 昨日もふと、カポーティの『冷血』を買ってしまった。
 病膏肓に入るとはこのことかも知れない。因果な話である。
 どなたか適当な小説をご存じあるまいか。


2000年8月13日(日)

 この週末は子どもを連れて実家に帰っていたのだが、そんなことより車が大変であった。
 まず、金曜日の午後、実家にたどり着いたのはよかったのだが、駐車したとたん二度とエンジンがかからなくなったのである。こないだから、どうもエンジンのかかりが悪いとは思ってたのだが、とうとうどうにもならなくなったらしい。クーラーなんかは動くのだが、セルモーターがうんともすんとも言わないのである。
 しかたなくJAFを呼んだら、やはり原因はバッテリーがへたってるせいらしい。車を買って4年ほどそのままにしてるというと、JAFの兄ちゃんもあきれ顔であった。なんでもバッテリーってのは、よくて3年でへたってくるものらしい。
 まあ、そんなことくらい自動車に乗ってるものなら常識なのかもしれないが、知らなかったものはしかたがない。だいたい、私は車を買ってからというもの、バッテリー液でもブレーキオイルでもエンジンオイルでもよいが、何かを確かめるためにボンネットを開けるということすらしたことがないのである。運転手失格かもしれない。
 それで、来てもらったついでにJAFの兄ちゃんにバッテリーを交換してもらったのだが、帰り際に、兄ちゃんが右の前輪を指さして、「これだいぶ空気抜けてますよ。どっかで入れてもらいなはれ」と言ったのである。見ると、なるほどぺちゃんこに近い。
 一発でかかるようになったエンジンに気をよくして、近所のガソリンスタンドへ行ったら、おっちゃんはタイヤを見るなり、「これパンクしてまっせ」と言った。とほほのほーである。
 調べてもらうと、3センチくらいの釘が見事に深々と刺さっていた。「気ィつきまへんでしたか。これ、だいぶ前からでっせ。錆びてまんがな」とも言われてしまった。当然、その場でパンクを埋めてもらって3千円の出費となったのだが、ここでも帰り際におっちゃんに言われたのである。「タイヤ、ええかげんだいぶひび入ってまっせ」と。どうせ4年ほどほったらかしやっちゅうねん。
 頭にきたので(ていうか、そのまま走るには不安もあるので)、今日、実家から家に帰る途中でカー用品店に寄ってタイヤを交換した。ついでにホイールも張り込んで、アルミに換えた。予想外も予想外、手痛い出費である。
 しかしまあ、初めての経験なのだが、ホイールを変えるだけで違う車になったみたいである。加速もハンドルも軽い軽い。こんなことなら、もっと早くから変えればよかった。
 あ、それとバッテリー換えると、エアコンもよく効くようになって驚き。これも発見。
 というわけで、今月末の車検切れ直前に、えらい目に合ったというお話でした。


2000年8月15日(火)

 昨夜は上の息子と風呂に入った。休みの日や早く帰ることができた日には、なるべく息子と風呂に入ることにしているのである。
 体を洗ってやり、頭を洗ってやって、二人でゆっくり風呂につかっていると、唐突に息子が言った。(以下の人名はすべて仮名)
「なあ、お父さん、なおちゃんと山本くんと友だちやと思う?」
 友だちもなにも、保育園ではいっしょに遊んでるとか、山本君とどうこうしたとか、いつも話してくれるじゃないか。
「え、友だちやろ、仲ええんとちゃうの?」
 すると、息子はなんとなく寂しげに首を振った。
「もう友だちとちゃうねん」
 なんやなんや、どうしたんや。
「あんな、なおちゃんな、こないだな、手ェつなごうって言うたのに、山本君、つなげへんって言うてん。ほんでな、けんかになりそうになってんけど、けんちゃんがいてたからけんかせえへんかってん」
 なんだか要領を得ない話ではあるが、どうやら最近仲たがいしたらしい。
「なんや、あんなに仲良かったのに。友だちじゃなくなったん?」
「うん」
 なんとなくかわいそうなほどへこんでいる。
「ほんなら、今は誰が友だちなん? 石井君?」
「うん、石井くんは友だち。あと、下谷くんと、北山くん」
「そんだけ? クラスにはもっと男の子いてるやん。しょう君とかは?」
「うーん、好きじゃない。いじわるとかするもん」
「けんた君は?」
「好きじゃない。大きな声で怒ったりすんもん」
 次々と思い当たる名前を挙げてみたのだが、「好きじゃない」とか、「友だちじゃない」とか言うばかりである。どうやら、お父さん同様、友だちは少ないらしい。
 一緒に風呂に入りながら、息子の真剣な顔を見ながら(眉間にしわを寄せたりまでしている)、五歳児も大変なんだなあと思った。親の目から見れば、微笑ましいというか、面白いといえばいえるのだが、五歳なりに悩んでいるらしい。
 で、ここからは個人的な感想なのだが、うれしいのは息子が風呂場を「お父さんに相談するところ」と思っているらしいことである。居間でも寝室でもなく、これまでも何度か風呂場で悩みを打ち明けられたことがある。いや、うれしいのは風呂場の話ではない。お父さんには、お母さんとは違ったことを相談したいと思ってくれていることである。
 こんなことが、あと何年続くのかはわからない。おそらくほんの数年のことであろうが、せめて思春期まで続いてくれればとも思う。大きくなった息子と、恋の話や将来の夢の話を、心ゆくまでしたいと思うのは、親のかなわぬ夢だということはわかっているのだが。
 もうひとつうれしかったのは、息子がクラスメイトを指して「きらい」という言葉を用いなかったことである。あの恐るべき納豆を指してさえ、「よう食わん」とは言っても「嫌い」とは言わない私の影響もあるのかもしれないが。
 自らを省みることなく相手を拒絶する「きらい」という言葉と、どこかにある原因の所在を意識している「好きじゃない」という言葉には、雲泥の開きがある。
 そんなこんなで、風呂でのぼせそうになりながら、私は言った。
「でも、今度保育園行ったら、山本君に『あそぼー』って言うねんで。どうせ、山本君もけんかしたこと覚えてないって」
「うん」
 表情が急に晴れ晴れするところが、子どもらしい。
「あれだけ仲良かってんから、友だちじゃなくなったらさびしいやん」
「うん」
 お友だちを大切にね。


2000年8月16日(水)

 手っ取り早い現実逃避のひとつとして、私は「あらぬ空想」というものを愛用している。「もし自分がスーパーマンだったら」とか、「透明人間だったら」とか、「ひとつだけ超能力が手に入るなら」とか、「宝くじで三億円当たったら」とか、他愛もない(よくあるテーマの)空想にふけるのである。
 それで最近凝ってるのが、「3つの願い事」である。ご存じのように、悪魔なり魔神なりが現れて、「お前の願いを3つ叶えてやろう」というやつである。もちろん、「不老不死」と「願い事を増やしてくれ」と「なんでも可能な魔法の力をくれ」については禁止という制限がつく。
 今年37になろうという大人が、真剣に考えるようなことではないとも思うが、ふと気がつくと三十分くらい経っていることがある。大丈夫かおれ。

 さて、「3つの願い事」といえば、W.ジェイコブズの「猿の手」である。どこぞのじじいが、3つの願いが叶うという猿の手の干物みたいのを手に入れてえらい目に合う話である。大金を願うと息子が事故で死んでその賠償金が手に入るわ、息子を返してくれと祈ると死んだまま帰ってくるわと、人間、欲をかくとろくなことにはならないという傑作短編である。
 ちなみに、創元推理文庫の『怪奇小説傑作集1~4』のどれかに収録されているので、ぜひ原文にあたられたい。ついでにいうと、このシリーズは本当にすばらしい。レファニュの「緑茶」とか、デ・ラ・メアとか、リットンとか、しびれるような傑作が目白押しである。どこぞのへっぽこなホラー文庫なぞを読んでいるヒマがあったら、この四冊を何度も読み返す方がずっとためになるはずだ。なんのためになるのかは知らないが。
 本邦では、星新一にいくつか面白いものがあったように思う。私が最高傑作だと信じるのは大友克洋の短編だが、単行本に収録されているのかどうかも知らない。

 というわけで、私の考える完璧な「3つの願い事」だが、それは秘密。今後どこかで悪魔に会ったとき、「お前それホームページで日記に書いとったやんけ。却下じゃ却下」とか言われたら困るから。<なんかすでに妄想モード。

 みなさんも一度考えてみましょう。欲しいのは、金ですか? 権力ですか? 女(あるいは男)ですか? しかし、それらはほんとに心から欲しいものですか? じゃあ「幸せ」ですか? 幸せって何ですか? 具体的に説明しないと悪魔さんはわかりませんよ。
 というふうに、これが結構むずかしい。思わず自分を見つめなおしたりして、時間なんてすぐ経ってしまう。
 まあ、電車なんかで手持ち無沙汰の時にどうぞ。


2000年8月20日(日)

 今日、ちょっとした買い物があって近所のホームセンターへ出かけたのだが、休日となると相も変わらず結構な人出である。
 世間ではずいぶん前からガーデニングのブームとやらで、園芸や庭木関係、あるいはラティスや煉瓦、敷石なんかの造作関係にも、以前とは比較にならないほど客が集まっていた。
 旧来の盆栽や庭いじりという言葉とは異なり、「ガーデニング」となるとそれなりに高級感なり金持ち感の漂う響きもあるため、ここまでの流行を見たのであろう。

 他に、「ハイソ感に惹かれて」という流行の構造の似た趣味としては、「ワイン」と「テーブル・セッティング」がある。
 「ワイン」となれば、各種銘柄を手始めに、色がどうとか、香りがこうとか、国が畑が収穫年がと、知識を詰め込めるだけ詰め込んで、他人に煙たがられるほど自慢できるようになって一人前らしい。おいしく飲んで料理を楽しむなどもってのほかである。
 「テーブル・セッティング」も実は薀蓄の世界である。季節に合わせて食器の組み合わせがどうとか、テーブルクロスがこうとか、食卓の花がこうなら、皿の色がそうとか、もうそんなんべつにどっちでもええがなの世界である。ウエッジウッドだマイセンだバカラだと、これも結局それに乗せるものや入れるものは二の次三の次でいいらしい。

 で、これらの趣味についてなのだが、最近特にお金持ち系の奥様方がなさっておられるのをよく目にする。目にするといっても、それはもちろんテレビの話で、よくある「豪邸拝見もの」や「社長さんの家もの」なんかでのことである。
 そこでは、とんでもない家に(リビングが40畳とか、トイレが3箇所もあるとか)、プラダが部屋着みたいな奥様がいらっしゃって、「近ごろはテーブル・コーディネートに凝っておりまして」などと言いながら1客5万とかのコーヒーカップを自慢なさるのである。

 でも、そんなの本来は給仕長の仕事じゃないの。ガーデニングは当然庭師。ワイン管理はソムリエ。
 お金持ちの奥様のはずなのに、勉強してパートにでも出るつもりなのでしょうか。バブルがはじけて、台所が苦しいのでしょうか。
 お金持ちの人も、お金持ちに憧れる人も、そんなの「趣味」にしたり、「勉強」したりするのはどうかと思う。特に、他人に「高級な趣味でしょ」とばかりに小鼻をふくらませて自慢するのは、とてもかっこわるいような気がするのだが。
 それらの知識は、自然と身についた(ふりをする)、というのが一番だと思うけれど。


2000年8月27日(日)

 油断すると一週間くらいすぐにたってしまう。これじゃぜんぜん日記なんてもんじゃない。
 仕方ないので、この一週間のことを駆け足に書いてみよう。

 まず21日の月曜日。夜遅くまで仕事だったのだが、そのあとちょっと飲みに付き合わされて、酔っ払ってしまい、珍しく帰りの電車を乗り過ごした。私は酔っていても、たいてい自分の駅で間違いなく降りて家にたどり着くのだが(翌朝、どうやって帰ったか覚えてないことも多いが)、この夜は目覚めると、周りを畑に囲まれた田舎の小さな駅にいた。人工の明かりが少ないせいか、月明かりがきれいだった。そんなことに感心している場合ではない。夏休みの冒険旅行じゃあるまいし、私は公務員でまだ月曜である。あわてて折り返しの電車を待ったが、結局午前様であった。

 火曜日。この日も帰りは遅かった。それでも、風呂に入って一息ついて、ネットにつなぐと、なんと、「オトウトイモウト」のトモさんからメールが!
 なんでも大阪出張で来阪しているので、時間の都合がつくようならカマンジョイナスというような趣旨のメールが!
 掲示板に書き込ませてもらった甲斐があったというものですよ。しかし残念! すでに後の祭り!
 お会いしたかったなー。

 そして水曜日。この晩は、昨夜の仇討ちではないが、晴れて「オフ童貞」を捨てることができたのである。ネットでは、チャットなどに手を出して丸2年、サイトを開いて1年になるのだが、これまでネットでの知り合いにオフで会うということをしたことがなかった。しかし、この日初めて、「オフミ」なるものを経験した。
 お相手は、「なにもない」のケンゴさんである。実は私がはじめてネットにつないだ頃から、「男汁」や「風の歌を聴け」のチャットなどでお世話になっていたのだ。その彼が、夏休みを利用して関西に来るというので、一も二もなくお会いしましょうということになったのである。なんだか初対面でも、ずいぶん前からの知り合いのようで、変な感じだった。
 実物のケンゴさんは、案にたがわぬ好青年で、喋っては飲み、飲んでは食いと、とても楽しい時間が過ごせた。でも、ネクタイをした36のおっさんと、Tシャツに短パンの二十歳の若者が鱧を食ってるところって、傍目にはどう見えたんだろう。会話は、こてこての関西弁とスマートな関東弁だし。

 で、木曜日と金曜日は特記事項なし。

 土曜日。昨日である。お父さんは一週間働いて疲れてるのに、なんで6時に起こすかなあ。
 おまけに、お兄ちゃんは、久しぶりであるが、「耳痛いねん」ときた。さっそく耳鼻科である。でもって、お決まりの中耳炎である。ええかげんにせえっちゅうねん。
 またこの日は、うちのポンコツをディーラーに車検に出す日でもあった。それはよいのだが、代車として借りたのが最新のワゴンRなのである。私のが最初期のワゴンR、どう変わったのか気になるところである。
 カーステやエアコンの性能アップは当然として、驚いたのはやはり広さである。98年に規格が変わったので当たり前ではあるのだが、なんかすごい広い。ドアも頑丈そうだし。シートもよくなってるし。
 乗った瞬間、次に買い換えるときもワゴンRにしようかなあって思った。
 でも、やっぱやめ。重いの。馬力もアップしてるはずなのに、アクセル踏んでもなかなか進まないの。私の古いタイプの方がよほどきびきびしてる。
 スポーツタイプとは言わないけれど、次はやっぱり軽はやめとこう。

 で、日曜日。やっと今日である。ふう。でもあんまし書くことない。
 朝から買い物行って、午後はビニールプール出して遊ばせて、昼寝して、家の中でドタバタ遊んで、晩飯食って、風呂入って、おしまい。
 なんでもない日曜日である。
 これが一人暮らしなら、昨日から最低30時間はぶっ続けで「ドラクエ7」をやっていたであろうものを。

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