「うさぎとかめ」の謎
【講座 ペンとともに考える 4】
1.はじめに
まず例によって、大元となる歌詞を提示する。
まず誰もが気づくであろう最大の疑問は、二連目にある。
「亀はどうしてうさぎに競走を挑んだのか」という疑問である。
「歩くのが遅い」と言われて不愉快だったのはわかるが、なにしろ亀である。なにをどうしたところで、競走でうさぎにかなうわけがない。
ここはこう言い返すべきではなかったか。
「なにこら、お前なんか背中ふわふわやないかボケ。アブに刺されても泣くくせに、なめたことぬかすなアホンダラ。俺なんか見てみいこの甲羅、カッチカチやぞ! カッチカチやぞ!」
この通り、亀がそこまでガラが悪いのかどうかはともかく、ザブングル加藤もかくやの反論ができたはずである。
しかしである。この亀はうさぎに「かけくらべ」を挑んだ。しかも、まったく勝ち目のない、「向こうの小山のふもとまで」という長距離走である。
本稿では、能う限り論理的な推論を重ねてこの歌詞の謎に迫ってみたい。もちろん原作等を含め、この歌の成立にかかる経過を参照するにやぶさかではないが、あくまでもこの歌詞の謎を解明する以上、論を進めるにあたって依拠するのは、基本的にこの歌詞のみに限ることとする。
2.歌詞中に見られるさまざまな謎
この歌詞を虚心に読めば、前項で提示したもの以外にも、実に多くの謎が隠されていることがわかる。以降、歌詞に沿って順に述べる。
ただし、本節においては、多くの謎の存在こそ明らかにすることになるが、そのつど説明がつくとは限らない。途中でつかんだヒントも、論を進めるうちに幾度も覆されることになるだろう。
読者は、すべての謎の詳らかな解決は、今後進めることになる論考の最終地点でやっと固まると了解されたい。それこそが、「ペンとともに考える」という本稿のタイトルに込められた意味なのである。
(1)第一連より
まず、なぜ、うさぎはそこまで亀を罵倒しなければならないのかという疑問がある。亀の歩行速度が遅いことなどもとより周知の事実ではないか。なぜうさぎは、今ここで口を極めて亀を馬鹿にせねばならないのか。
そして、4行目の「どうして」にも違和感がある。なぜ聞くのか。亀の足が遅いことなど、一目瞭然ではないか。本当に理由を知りたいのか。
そうではなく、これは「非難としての疑問文」というものであろう。私も妻にしばしば「どうして洗濯物を取り入れてないのか」「どうして食べ終わった食器がそのままなのか」と聞かれることがあるが、これが質問でないことは、妻の逆立った柳眉を見れば明らかである。
この連の謎は、この「どうして」に鍵がある。今の私の妻の言葉からもわかると思うが、読者諸兄は例えば上司から、「どうしてこのくらいのことができないのか」「どうしてそんなに時間がかかるのか」「どうしてまともな資料が作れないのか」というようなことを言われたことはないだろうか。私は何度もある。つまり、この「どうして」の背後には、亀に対する何らかの期待、もしくはタスクが達成されないことへの苛立ちが隠されているとみるべきである。ただし、それがいかなる期待あるいはタスクであるのかという問題は、ひとまず先へ譲ることとする。
この連の謎は、それだけではない。今一つは「世界のうちに」といううさぎの発言である。「向こうの小山」が見渡せるような田舎のうさぎが、なぜそのようなグローバルな視点を持っているのかという疑問である。せいぜい「この村」の動物しか知らないはずのうさぎであるにもかかわらず、噂話に自慢の長耳を傾けることを好んだとしても「日本のうち」くらいしか想像できないはずにもかかわらず、なぜうさぎは「世界のうちに」と比較対象を世界に広げえたのだろうか。しかも、世界にはナマケモノなど、亀より移動速度の遅い動物はいくらでもいる。つまり、ここでうさぎは、世界のことなど知らずに、世界を引き合いに出して亀を馬鹿にしているのである。
(2)第二連より
次にこの歌における最大の謎をはらむ第二連である。しかし、この連にはそのほかにも小さな謎がいくつかある。
まず一行目、「おっしゃる」は敬語である。なぜ亀はうさぎに対して敬語を使うのか。上下関係があるのだろうか。しかしこれは、二行目で「そんならお前と」と急にべらんめえ調に変化する。亀がキレたと考える向きもあるが、さすがに敬語を使っていた直後に一瞬でキレるようなやつは怖いだろう。この二行の間に潜む態度の変化も、明らかにするべき謎のひとつである。
そして、次の問題は「かけくらべ」である。ここで巧妙なすり替えが行われていることにお気づきだろうか。
うさぎは亀に対して、「歩くのが遅い」と言っただけであるにもかかわらず、亀は「では、走る速さを競おうではないか」と言っている。通常、歩行速度の遅さを指摘された場合の反論であれば、「そんなに遅くないよ」あるいは「もっと早く歩けるよ」でなければならない。にもかかわらず、亀は「私は走ればあなたより早く遠くまで行ける」ということを、うさぎに対して主張しているのである。
たとえばあなたが、大股でゆったり歩くウサイン・ボルトを見かけて、「歩くの遅いのう」と言った場合を考えよう。「なにコラ、走って俺に勝てんのか」と言い返された場合、あなたはOKするだろうか。「いや、走るとか、そんな話してないし、歩く速さのことやし」としどろもどろになりつつも、否定するのではないだろうか。
しかし、ボルトではない亀に誇るべき俊足があるとは考えられない。では、なぜ話をすり替えてまで、うさぎに「競走」を挑んだのであろうか。
ここでおぼろげながら見えてくるのが、第一連の「どうして」に隠された期待あるいはタスクの存在である。すなわち、亀はうさぎの悪罵を単に「歩行速度の遅さをあざ笑うもの」とはとらえていない。亀はこのとき、「どうしてそんなにのろいのか」といううさぎの言葉を、「なぜもっと早く移動できないのか」そして「早く行かないと間に合わないではないか」と責められていると判断したものと思われる。そこで、「いざとなれば、私はあなたより早く移動できる」と反駁しているのである。したがって、これは厳密には「すりかえ」ではない。ここでは、歩行か疾走かは問われていない。早く目的地へ到達できるか否かだけが論点なのである。
これは決して亀の誤解でも早とちりでもない。うさぎの言葉をもう一度思い出そう。「お前ほどあゆみののろいものはない」である。「歩行」でもなく「歩くのが」でもなく、「あゆみ」である。
あなたは、とある小学校のサイトに「ぽんぽこ小学校の歩み」というタイトルのページがあった場合、学校が歩く姿を思い浮かべるだろうか。そんなトランスフォーマーみたいな学校があればすごいが、中で小学生が転ぶではないか。この場合は、一般的にその学校の歴史やこれまでの経緯が書かれてあると思うはずである。また、終業式のたびに小学生が持ち帰る通知表には、表紙に「あゆみ」と書かれていることが多いが、これには児童の歩き方が書かれているわけではない。発達と成績の記録の謂である。すなわち、うさぎの言う「あゆみ」とは、やはり先に述べた「移動速度」であるとともに、「進捗」とのダブルミーニングになっていると考えられる。
話は戻るが、冒頭で述べたように、この歌の最大の謎はここで生起する。移動速度の不足あるいは進捗管理の失敗をなじられた亀は、里山近辺の動物界で抜群の俊足を誇るうさぎに、なぜそんな無謀な挑戦を仕掛けたのであろうか。「見とくなはれ、ちゃんと仕事しまんがな」や「うるさいなあ、そない心配せんでも間に合うわ」という反論では、なぜだめだったのか。
そして、亀のこのチャレンジについて注意が必要なのは、ここで単にトラック競技のように競走が始まったのではなく「向こうの小山のふもとまで」と、亀が距離とコースを指定していることである。いかなる競争であれ、ルールと勝利条件を定める側が有利なことは論を俟たない。そこにこそ勝機があったのではと、古来先賢は指摘してきた。
まず、亀が指定した条件に目を向けよう。「速さ」を競うだけなら短距離でよいにもかかわらず、亀は長距離を指定している。それも、亀の足なら晩までかかるだろうとうさぎが判断するほどの遠距離である。亀にしてみれば、狐狸犬猫や猛禽類から短距離のダッシュで逃げては、巣穴や茂みに身を隠すうさぎの習性から、うさぎに長距離走を指定してスタミナ切れを狙ったとも考えられる。
しかしこれも考えにくいのである。次項で述べるが、亀の指定した距離は、うさぎがスタミナ切れを起こすような距離ではないのだ。
ここでやはり最初の疑問に戻る。唐突な罵詈雑言に対する売り言葉に買い言葉にせよ、なぜ亀はうさぎに対して勝ち目のない戦いを挑んだのか。亀に勝算があったとは考えられない状況で、「そんなら」「向こうの小山のふもとまで」となぜ「かけくらべ」を挑もうとしたのか。
亀の思考をトレースしてみよう。「うさぎに足遅いって言われた。その通りやけどむかつく」「こいつにぎゃふんと言わせたい。しかも競走で」「それなら向こうの小山のふもとまで競争だ」となる。
この「それなら」に込められた意味とは何か。なぜ、「向こうの小山のふもとまで」なら、勝てると考えたのか。
一つの可能性として、うさぎには超えられず、亀になら超えられる障害があるような場合が考えられる。たとえば、コースの途中に大きな川や池があったとすればどうか。あるいは途中に、毛皮や肉のためにうさぎ猟を生業とする猟師がいるエリアがあるとすればどうか。
その場合、亀の勝率はぐっと上がるし、うさぎが無事にゴールできる保証すらない。亀の冷徹さが際立つ仮説である。
しかし、歌詞のみによって立つならば、そうした仮説は棄却せざるを得ない。歌詞そのものにはまったくそれらの可能性をうかがわせる表現がないからである。しかも、うさぎは溺れも撃たれもせず、罠にかかることもなく、遅れながらも無事にゴールしている。
(3)第三連より
ここにも二つの大きな謎がある。一つはもちろん、なぜうさぎは途中で寝たのかである。
リクガメのギネス記録は時速965mというが、一般的には時速300m程度とされる。
通りすがりのうさぎにいきなり面罵される程度の亀であるから、突出した走力を持っていたとは思えない。ここでは平均程度であろうとしておく。いや、それでは亀のプライドに配慮が足りないかもしれない。走力自慢の亀であるとして、ここはひとまず全力で走って時速500mとしておこう。
日が高かったであろう両者の出会いから、スタートを午前11時として、一般的な「晩」の認識を午後7時とすると、うさぎの目からは亀なら8時間程度の時間がかかると見られていた、すなわち「向こうの小山のふもと」までは目算で約2.4kmあったと考えられる。このうさぎが亀の走力を知っていたとしても4kmである。
一方、うさぎの疾走時のスピードは、時速40kmから80kmだという。ここは中を取って全力疾走で時速60kmとすると、2.4kmなら2分半、4kmなら4分である。途中で眠くなるような距離ではない。同じ亀をあざ笑うつもりにしても、ゴールしてから寝て待てば十分である。
これが走って一時間もかかる道のりであれば、油断して横になるのは理解できなくもない。しかし、先に述べた通り、うさぎなら2分半から4分で駆け抜けられる距離である。途中もなにもないに等しい。なのに、途中で寝入るとは何か油断以外の原因があったとしか考えられない。そして熟睡してしまう。仮眠ではない。
従来、この点をとらえて、睡眠薬やハニートラップなどを用いた謀略説がささやかれたこともあったが、歌詞には「どんなに亀が急いでも、どうせ晩までかかるだろ。ここらでちょっとひと眠り」と明確にうさぎの意思で寝入ったことが書かれている。これはそれらの謀略説を打ち消すに十分な根拠である。
そしてもう一つ、私はこちらの方が疑問としてははるかに大きいと考えるが、なぜうさぎは亀のそんな挑戦を受けたのかという謎がある。なにしろ亀が相手である。うさぎが勝って当然どころではない。メイウェザーやパッキャオが、ヤンキーの中学生に売られた喧嘩を買うようなものであろう。まずは「大人気ない」の謗りは免れまい。滝沢ガレソにでも取り上げられたあかつきには、末代までの恥である。さすがにここは、うさぎのプライドに賭けても、挑戦を受けるどころか鼻で笑い飛ばすべきところであろう。
にもかかわらず、うさぎは競走の挑戦を受けている。勝って当たり前、負けることなどありえない、万が一にも負ければ大恥なのにである。あるいは、相手の指定するコースであるから、どんな罠が待ち構えているかわからないのにである。
(4)最終連より
さて、「これは寝過ぎたしくじった」である。うさぎはあわてて駆け出すが、間に合わず亀に敗れる。昔からよく知られた結末である。そしてこの歌詞は、これはよく知られた結末をなぞったものに過ぎないように見える。上3行はうさぎ視点、下2行は亀のセリフと、作詞上の都合によるねじれが見られるにせよ。
しかしここにも疑問がある。うさぎは基本的にか弱い小型の草食動物である。野生では、キツネなどの肉食獣や猛禽類の天敵が多いため非常に警戒心が強い。うさぎの特徴としてあげられる大きな耳や俊足、跳躍力にしても、天敵を警戒し、天敵から逃げるために進化したものである。
それが、周囲の物音にも気がつかないほど、路傍で深い眠りにおちいるものかどうか。眠った場合でも葉擦れの音にすら耳を動かし、他の動物の気配でもあれば、瞬時に目覚めて身を隠すことが習性となっているうさぎである。道端で長時間にわたって熟睡するなど、これも明らかに不自然な点であるといえる。
ひとまずこの場面については、うさぎが目覚めたとたんに寝過ぎたことを認識するということは、すでにあたりは夜になっていたということだけを、事実として押さえておこう。
そしてここで話者は交代する。「あんまり遅いうさぎさん。さっきの自慢はどうしたの」。
ここにも気になる点がいくつかある。まず「あんまり遅い」とはどういうことか。「あまりにも遅い」というからには、午後7時をはるかに回っていた、少なくとも午後8時以降であるとみて間違いはないであろう。
これをもって、コツコツ進んで先にゴールしたばかりか、うさぎが目を覚ますのがいつになるのかわからないにもかかわらず、ゴールで待っていた亀を立派であると見る向きもある。しかしここでは、路傍で眠っているうさぎを起こそうともせずに、このままこいつが起きなければ勝てるぞとうさぎを見捨てて先に行った亀の冷酷さ、勝負にかける冷徹さに目を向けるべきだろう。
最終連については、これも気づいた論者は少ないようだが、主たる疑問「亀はなぜ無謀な戦いを挑んだのか」に勝るとも劣らない謎がある。
「さっきのじまんはどうしたの」における「さっき」と「自慢」の問題である。
まず、少なくとも8時間以上前のやりとりを「さっき」というのは無理があり過ぎないか。朝の話を晩にするのに「さっきの」はありえない。少なくとも朝のうさぎの悪罵を指すのであれば、「今朝の」あるいは「お前の」となるはずである。
しかし、この亀の勝ち誇った様子はどうだ。実力による走りの速さで勝ったわけでもないのに。やはりこの勝利には亀の作為あるいは策謀があったと見る以外にない。「まんまと引っ掛かりやがった」という、亀の腹黒い哄笑が聞こえて聞こえてくるような台詞ではないか。
「さっき」の話に戻る。「さっき」を広辞苑で引いてすら、「(サキの促音化)さきほど。先刻」との記述しかない。三省堂国語辞典にしても、ほぼ同様の語釈に加えて「〔くだけた言い方〕」との注記があるだけである。
ここで、「さっき」の語義にもかかわる、この歌詞が書かれた時代について考えてみよう。
令和の時代にあっても子どもたちに親しまれる童謡「うさぎとかめ」が発表されたのは、1901(明治34)年の『教科適用 幼年唱歌 二編上巻』(十字屋)である。作詞は「金太郎」や「花咲爺」などをものした石原和三郎(1865-1922)、作曲はこれも有名な「桃太郎」を書いた納所弁次郎(1865-1936)である。まさに北原白秋と山田耕筰に匹敵する童謡のゴールデンコンビといってよい。民間で製作されたものゆえに、文部省唱歌ではなく、国定教科書にも取り上げられてはいないが、子どもたちの愛唱歌として親しまれたという。
であればこの歌の生まれた明治後半、「さっき」の指し示す時間の幅とはどういったものだったのかを確認しておく必要がある。ひとまず当時の文学における漢字表記を見てみよう。
川上眉山の「大さかずき」(明治28年)では「先刻」、広瀬柳浪「変目伝」(明治28年)では「先前」、泉鏡花「婦系図」(明治40年)では「前刻」、夏目漱石「夢十夜」(明治41年)では「最先」、近松秋江「別れたる妻に送る手紙」(明治43年)では「前」、木下杢太郎「和泉屋染物店」(明治44年)では「嚮」、広津和郎「師崎行」(大正7年)では「最前」と書いて、すべて「さっき」とルビを振ってある。いくらなんでもむちゃくちゃである。適当に書けばよいというものではない。小栗風葉の「青春」(明治38年)に至っては「曩」と書いて「さっき」とルビが振ってある。そんな漢字があることすら知らなかったぞ。昔の物書きはほんとにもう。
閑話休題。ともあれこれらの表記を見てもわかる通り、明治後期にあってさえ「さっき」というのは、現代と寸分異なることなく「比較的短時間の過去をさかのぼった時点」と理解されていたと考えられる。
しかし歌詞中では、うさぎと亀がゴールで出会う以前の接触は、時間的にも空間的にも遠く離れたスタート時点しか描かれていない。
しかもそこでの会話には、うさぎによる悪罵こそあれ、「自慢」は一切語られていない。
では、亀はいかにして「さっきの自慢」を聞いたのであろうか。また、うさぎはいつどこで亀に「自慢」を聞かせたのであろうか。
(5)数多い謎の整理
と、ここまで長々と述べてきたが、この歌には多くの謎が隠されていることが明らかになった。主なものをいったんここで歌詞の順に整理してみよう。
A.なぜ、うさぎは亀を罵るのに「世界のうちに」と、「世界」を語ったのか。
B.「どうして」とは何に対しての難詰か。その言葉から類推される、亀に課されたタスクあるいは期待とは何か。
C.なぜ、「おっしゃる」から「そんならおまえと」へと突然の変化が生じたのか。
D.なぜ、亀はうさぎに「かけくらべ」を挑んだのか。
E.なぜ、亀は「むこうの小山のふもと」をゴールとして指定したのか。
F.なぜ、うさぎはこの勝負を受けたのか。
G.なぜ、うさぎは途中で寝入ったのか。そして長時間目覚めなかったのか。
H.「さっきのじまん」とはいつ行われたのか。
一見してわかるのは、この歌にはじつに省略されたシーンが多いということであろう。
最大の省略は、「よーいどん!」のシーンがないことである。のどかな動物の競走の物語に、スタートのシーンがないなどということは通常考えられない。
同様に、あえて省略された(描かれていない)シーンや説明がいくつかある。これもいったん列記しておく(末尾の記号は先の謎との対照を示す)。
うさぎの悪罵の原因となった亀のタスクに関する説明(A)
亀が突然キレたうさぎの言動の描写(B)
うさぎによる挑戦の受諾のシークエンス(E)
スタートのシーン。およびギャラリーの存在。
うさぎが寝入った場所とタイミングに関する描写(F)
「さっきのじまん」についての説明(G)
などが考えられる。
ほとんどの省略シーンは、先に挙げた疑問点と重なっている。したがって、すべての謎が解き明かされたとき、省略されたシーンや説明の内容も明らかになるであろう。
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