サンタが街にやってくる
1999年12月10日公開。サンタさんっているよね。
僕はいつまでサンタクロースの実在を信じていただろう。
赤い服と白い髭の老人がクリスマスの夜にプレゼントを持って来てくれる姿を、僕はいつまで信じていただろう。
小さかったころの記憶をたどってみても、赤い鼻をしたトナカイが曳くそりの鈴の音を心待ちにしていたような覚えはない。首まで布団にもぐりこんで耳と目を澄ませている幼い自分の姿はよみがえってこない。
物心ついたときにはすでに、サンタクロースのプレゼントは両親によるものと気づいてしまっていたのだろう。
それでも毎年の十二月二十五日、クリスマスの朝はいつも楽しみだった。
枕元には、当時町一番だった「第一デパート」の包装紙に包まれたプレゼントが置かれ、飛びおきた僕はパジャマ姿のまま、それはていねいにテープをはがして包みを開いたものだった。
茶の間には、前夜のもみの木が飾り付けもそのままに、朝の白っぽい光の中で僕と兄によって片付けられるのを待っていた。
そしてその前で、僕たちは家族そろってみそ汁とご飯の朝食を食べるのだ。
当然のことながら、僕が長ずるにつれてそんなクリスマスも行われなくなった。
プレゼントも、十二月の半ばには、母が店先で選ばせてくれるようになった。
もみの木も庭の片隅で、茶の間にはとうてい納まらないほど大きくなった。
サンタクロースが本当に僕の心から去ったのは、きっとそのころなのだろう。
もう三十年も昔の話である。
それからは、毎年のクリスマスも年末の慌ただしい季節の、ただのにぎやかな一日に成り下がった。
サンタクロースの実在を説く親戚のおじさんにも、はにかんでうまく答えられなくなった。
声変わりするころには、誰もサンタの話など持ち出さなくなった。
「恋人がサンタクロース」を鼻歌で歌うようになると、サンタを信じる姪っ子の素直な言葉に、薄笑いを浮かべて話を合わせるようになった。
サンタクロースはもうクリスマスカードから出て来なくなった。サンタクロースは絵本の中でだけ、一生懸命子どもたちにプレゼントを配っていた。
そして、僕はそれを当たり前に思い、さみしいとも残念とも思わなかった。
ところが、今こうして幼い息子の寝顔をながめながら、僕はサンタクロースの存在を信じている。まさか、クリスマスイブには寝室の窓に鍵をかけないでおこうなどと思っているわけではないが、温かい笑顔のサンタクロースの姿に思いをはせている。
上の息子はサンタに手紙を書いた。裏返しのひらがながところどころにまじった、大小ばらばらな字で広告の裏に手紙を書いた。
僕はその手紙を受け取って、「これはサンタさんに渡しといたる」と、半分本気で請け合っていた。「ポケモンはわかるけど、なんで“も”だけひらがなやねん」などとからかいながら。
妻とは子どもたちへのプレゼントを何にしようかと話し合った。そして先日、僕は子どもたちの喜ぶ顔を想像してひとりにやけながらプレゼントを買いに出かけた。
その大きなおもちゃ屋は、プレゼントを買いに来た家族であふれていた。走り回る子どもを追いかけながら、「あれか? こっちか?」と一生懸命のお父さん。かわいい孫のためだろう、寄り添うようにしておもちゃを選んでいる老夫婦。親のすすめには目もくれず、大きなぬいぐるみを抱えて離さない女の子。
みんな楽しそうだった。
おもちゃの包みを抱えて店を出ると、今度はたくさんのカップルが目についた。クリスマス本番にはまだ日もあるのに、街を流れるクリスマスソングに合わせて腕を組んで歩く姿は幸せそのものだ。
街にジングルベルが聞こえる季節になると、人々の心は浮き立ってくる。子どもや孫のうれしそうな顔を思い浮かべる。親しい人とのその夜の過ごし方を考えるようになる。パーティの予定には胸がふくらむ。かつて家族と過ごしたクリスマスを思い出し、今年は一緒に過ごせない家族のことを思いやる。そして、みんな思い思いのありかたで、幸せを願ってその夜を過ごす。
これがサンタクロースのおかげでなくてなんであろう。みんなの心の中にサンタクロースが現れたのでなくてなんだというのだろう。
そういう意味で、僕は今再びサンタクロースの存在を信じつつある。
恋人がいないのでクリスマスはさみしい、というような人も多いだろう。けれど、僕はそんなマスコミ主導のイデオロギーに沈まされることを好まない。僕もそんなクリスマスを家族と、友人たちと、あるいは一人で、数多く過ごしてきた。そして、ここにいない誰かと自分を悲しむより、そこにいたりいなかったりする誰かと自分の何かを喜ぶようにしたいと思うようになった。
あるいは、家族を失って悲嘆に暮れている人もいるだろう。戦火や飢餓や病気に苦しめられてそれどころではない人もいるだろう。キリスト教とその祝祭とを毅然として拒絶する人もいるにちがいない。
もし僕が思うようなサンタクロースが実在するなら、その人々の上にこそ現れてほしいと思う。
時を問わず、場所によらず、宗教を超えて、ある意味ではばかばかしいクリスマスの喧噪が、それらの人々の心に届けばいいと思う。
そしてほんの少しの元気や勇気や寛容さが、人々の気持ちの中に生まれることを願う。
今年のクリスマス、僕がサンタクロースに祈るのは、実はそういうことだったりする。
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