「筆先三寸」移転のごあいさつ


《「筆先三寸」移転の辞》(2023年7月1日)

 二十四年も前に立ち上げたホームページの更新も、ここ十余年はさっぱり途絶えてしまい、それについてはなんとはなしに心苦しく、常に頭の片隅に引っかかっている状態にあったのだが、ときおりブログやSNSで拙文に言及してくれる人がいることもあって、なかなか閉鎖のふんぎりがつかないところへ、先日プロバイダからホームページ公開サービス終了の通知が届いたことで、とうとう背中を押されるようにサイトの閉鎖もしくは移転を余儀なくされることとなってしまったものの、それでもせっかくまだ昔の雑文を読んでくれる人もいるのだからと、書き溜めた雑文や日記についてはこちらのnoteに少しずつでも移行することにしたということで、まずは手はじめに大昔のホームページ開設のあいさつなどを下に再録しつつ、三度目になる挨拶の句点を打つ。


《むしまるのページ開設の辞》(1999年7月23日)

 三十五にもなってパソコン初心者が一体なんの因果でホームページなぞというものを立ち上げなければならないのかという疑問はひとまずさておき、私は本来ブッキッシュあるいはリヴレスクともいうべき人間であるので、むしろここではテクストを読んでいただきたい、楽しんでいただきたいと、その一心でくだらないつまらない意味もないといえばいえるようなコンテンツをずらずらと並べつつ、たとえばボルヘスが夢想したようなありとあらゆることが書かれた一冊の本というものがありうるとすれば、それは盲目の国立図書館長の夢想の中ではなく、WWWそのものがすでにもうその一冊の書物としてあるのではないだろうかなどとも思いながら、そしてそれがすでに書物であり、私の目指すものがその一頁であるなら、CGIもGIFアニメも壁紙すらも私には必要ないといつまで保てるかわからぬ決心をしつつ、テクストのみでどこまで人を楽しませることができるか、いやそれが僭越ならどこまで自分を楽しませることができるか、それを追求したく思いこのページを開きました、ということで挨拶代わりの句点を打つ。


《「筆先三寸」新装開店の辞》(1999年11月8日)

 「むしまるのページ」なるタイトルに特に愛着があったわけでもなく、トップページのデザインもいずれは改めるつもりの投げやりなものであったといえばいえるところへ、もう少し工夫をこらしたタイトルをつければどうかという指摘をもらったのは、もう1ヶ月も前のことで、わが意を得たりという言い方は少し変だけれども、私にとってなんとはなしに飽きつつあったホームページ作りに改めて意欲を持たせてくれたと言う意味ではありがたかったと、ここに深甚の謝意を表しつつ、どうせやっぱりテキストしか芸のないものならばそれを端的に表すものがよかろうと、あることないこと書き散らして恥じざるわが身の自嘲と自戒と自恃をこめながら、口先三寸ならぬ「筆先三寸」と看板を架け替えて、ついでに挨拶の句点を打ち直す。

いいなと思ったら応援しよう!

筆先三寸/むしまる
よろしければサポートをお願いいたします。いただいたサポートは、創作活動の大きな励みになります。大切に使わせていただきます。