親父のロレックス
2000年4月6日公開。
私が結婚する前のことだからもう随分と昔の話になる。
例によって家でごろごろしていると親父が言った。
「おい、ローレックスいらんか。ローレックス」
まったくもって突然である。ローレックス、とのばすところがオヤジらしい。
しかし、ロレックスである。差し出された腕時計は、皮ベルトに金の文字盤、いわゆる「チェリーニ」モデルであった。町のバッタ屋でも十数万円は下らない。
「いるいるいるいる、くれくれくれくれ」
すると、時計をひょいとよこして親父は言った。
「動けへんねんけどな」
それを先に言えっちゅうねん。おまけにベルトもボロボロである。
でもまあ、チェリーニである。たとえ修理に出しても、もとは十分に取れる。
私はありがたく頂戴した。
と、ここまでは大昔の話。
修理代の持ち合わせもなかった私は、それを机の引き出しに放り込んだまま長らく忘れていたのである。
そして、つい最近、引き出しの奥にそれを見つけた。「おお、こんなんあったんや。ラッキー!」と口をついたのも当然である。今なら修理代くらいはポケットマネーである。
そこで、私はあるエピソードを思い出した。
なんでも、ある人が三十年以上使ったロレックスを、修理のために直接本社に送ったところ、向こうは修理代を取らなかったというのである。「長らくお使いいただいて、まことにありがとうございます」と、丁寧な手紙とともに、見違えるようになった腕時計を送り返してきたというのである。本当かどうかはわからない。よくある都市伝説のようなものかも知れない。
しかし、私はこれに賭けてみることにした。幸か不幸か、親父のチェリーニは十分に古い。
そこで、町の時計屋には修理に出さず、それらしい手紙とともに直接ロレックスの本社に送りつけることにした。ただ、私の英語は非常に拙い。まったくダメに近い。三十過ぎの男がこの程度の英語しか書けないのかと思われてはお国の恥である。ていうか、個人的に恥ずかしい。それに、ローマ字も下手くそである。ブロック体で書くと、まるでアラブのテロリストの脅迫状みたいになる。見たことないけど。だからといって、下手な英語に達者なワープロというのも不自然である。
私は考えた末に以下のような手書きの手紙(原文は英語もどき)をそえて、親父のロレックスを国際郵便で送った。
トンチンカンな英文の手紙と壊れた時計をいきなり送りつけられて、ロレックスのカスタマー・サービスもさぞかし困惑したであろう。
しかも、ウソばっかりである。英語力のなさをごまかすために高校生を名乗ったが、実は三十過ぎのおっさんである。親父は今もピンピンしている。
さすがに修理代がただになるとは思わなかったが、中間マージンもぼったくりもない正味の修理代ですむだろうとは思った。それに、職人の腕は折り紙つきである。送料込みでもきっと安いものになるという思惑は当然あった。
すると、驚いたことに十日ほどで送り返されてきた。なんと迅速なサービス体制であることか。おまけに、発泡スチロール製の箱に厳重に入れてくれている。
それには、こんな手紙が同封されていた。当然英文だったので、変なところがあるようなら私のせいである。
やられた。案の定にせものだったか。なにが「ローレックスいらんか」じゃ、あのクソ親父。と、思いかけたが、私も手紙の中で殺してしまっている。今回は痛みわけというところである。
しかし、なんと親切な手紙であろう。さすがロレックスである。もちろん、手を煩わせたことや郵送料にかんする言及はひと言もない。私は浅黄色の美しい便箋とともに、スイスの時計屋の職人魂に感嘆せざるをえなかった。ちなみに、「亡くなった」というのを英語で「 late 」ということをこの手紙で初めて知った。
イミテーションとはいえ、ここまで丁寧に扱ってもらえて、この腕時計も本望であろう。
そして本来の持ち主である親父も、草葉の陰で喜んでいるにちがいない。だから死んでないって。
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