「筆先三寸」日記再録 1999年12月
1999年12月1日(水)
今日から12月である。12月は古来、師走とか極月とか呼ばれ、とにかくあわただしいことになっている。泡が正しいからといってソープへ行こうというのはいろんな意味でまちがってると思う。などとベタなボケをかましている場合ではない。「慌しい」と書く。偏と旁に分解すれば「心が荒む」である。ちなみに「忙しい」は「心を亡くす」である。いずれにせよロクな意味ではない。心には常日頃よりゆとりを持ちたいものである。
とまあ、企業研修やセミナーなどでは、上のように「漢字を分解」して毒にも薬にもならない教訓話をするオヤジが後をたたない。その手の輩は、旧字や正字、国字のことなどまったくお構いなしに屁理屈をこねるので聞いてて面白いのだが、聴衆のオヤジたちが真に受けて、うなずきながらメモとったりしてるのを見るのはもうひとつ面白い。こないだ聞いたのは、「聴くという字は、十分とか十二分とか言いますが、その上の十四分に心をこめて耳を傾けるという意味です」とかいうのだった。もともとは「聽」って字なのに。
今夜、テレビで明石家さんまが面白いことを言っていた。
「首の皮一枚でつながったとか、助かったとか言うけど、死んでるやん」
あははー。考えてみればそのとおり。気道、食道、頚動脈、頚椎とみんないかれて、首の皮一枚残ったぐらいで助かるわけないよね。
江戸城下で代々首切り役人を務めていた山田浅右衛門も、介錯は首の皮一枚残して斬るのが極意とか言ってたし。転がって飛んでいかないからだとか。さすがプロ。
そんな風に、言葉をめぐる話って面白いんだけれど、オヤジ臭くならず、雑学自慢にならずに書くってのは難しそうに思う。こんどいっぺん挑戦してみよう。
1999年12月2日(木)
携帯電話の話をしようと思うのだが、これがまた我ながらなんで持ってるのかわからないくらい使わない。発着信の履歴がそれぞれ10件ばかり残っているので、今見てみたのだが、10件前の発信はなんと今年の9月18日である。早い話この2ヵ月半で10回かけただけである。そしてその10回の内訳も、自宅と私の職場のみである。自分でもちょっとびっくりした。携帯電話を常用している方々には信じられないかもしれない。
着信履歴も見てみよう。10回前は10月28日である。これは1ヶ月少々で10回であるから、私としてはまあまあであろう。どこからかはすべて判明している。妻からである。内容もすべて記憶している。10回のうち7回は、「帰りにアイス買ってきてー」である。後の2回は、「明日の(朝ご飯用の)パン買ってきてー」である。あとの1回は間違い電話だった。
だから、当然月々の使用料も基本料金以内となる。「なんとかプランどーした」とかいうのに入っているので毎月800円分の通話が無料になるのだが、請求書を見て驚く。「61円(先月は45円でした)」とか書いてあるのである。
よほど親しい人間でもめったに番号を教えない上に、電話をかけるのが死ぬほど嫌いという性格によるのだろう。じゃあなんで持ってるのかということになるが、それを訊きたいのは私のほうである。メモリダイアルもなぜか120件ほど登録してあるが、これの意味も合わせて訊きたいものである。
電子メールもそうである。メールが1通も届かないという日のほうがはるかに多い。届いても、メルマガとか、「ODNアクセスポイントのお知らせ」とか、スパムとか、なんかそんなんばっかりである。
よく他所のHPの日記とか見ていると、「知らない人からメールをもらって」とか、「○○さんとはメールをもらった縁で」とか、「いろいろメールをもらうんですが」とか書いてある。あれっていったいなんなんだろう。私もHPを立ち上げて4ヶ月以上になるのだが、知り合いはともかく、見知らぬ人からのメールなんて1通ももらったことがない。
みんな本当にそんなメールのやりとりとかをしているのだろうか。世間に流れている噂は、プロバイダとフリーメーソンが仕組んだ陰謀ではないのか。それとも、私の知らないところでメールというものは飛び交っているのだろうか。
ということは、「金は天下の回りもの」という、あれと同じか。私だけをよけて回っているわけなのか。ひ~ん。
だからといって、私はコミュニケーションのできないタイプの人間じゃないのですが。仕事の電話では、かなり愛想もいいと思うのですが。仕事の連絡のファックスも、私のは笑えると評判なのですが。メールや手紙だって、もらった人は知ってると思うけれども、けっこう筆まめなほうだと思うのですが。
なんか書き進めてると「泣いた赤鬼」みたいになってきた。
だから、誰か私の携帯を鳴らしてみませんか。番号は「090-86ピー4」です。
または、誰か私にメールを出してみませんか。アドレスはトップページにあります。
「おいしいお茶とお菓子もあります」ってか。
1999年12月3日(金)
下の子どもがピーンチ! 右足の親指に異変が! ジャカジャカジャーン(SE)。
2週間ほど前に、右足の親指の関節の裏側(手で言うと親指の手のひら側の折り目のとこ)の皮がめくれてて、「どっかでひっかけたのだろう」と思って、バンドエイドを貼っておいた。
1週間たっても軽快せず、はれてきた上に横一文字にパックリと傷ができたので、近所の医者へ行った。抗生剤入りの軟膏をもらってつけ始めた。
それで、また1週間たったのだが、はれはひどくなるわ、足の甲の方まで赤くなってくるわ、傷はパックリどころかザックリって感じになってきて、あと1ヶ月もほっとくとホラー映画みたいになりそうになってきた。
それで、今日、仕事を休んで車で近くの皮膚科へ行ってきたのである。
先生は特に何も言わなかったが、なんだか静脈血みたいな毒々しい色の軟膏を処方してくれた。
どうせ何かの雑菌が入って化膿しているのだとは思うが、このまま化膿が進んで右足切断とかなったらどうしよう。親指が壊疽を起こしてポロリと取れたらどうしよう。
なんてとこまで心配はしてませんけれど。
で、午後は仕方なく二人で過ごした。
まだ赤ん坊だからなのか、息子が特に甘えん坊なのか、私の姿が視界から消えると即座に泣く。しかも窓ガラスが震えるほどの大声で泣く。おちおちトイレも行ってられない。
トイレへ行くときは、抱き上げてトイレの前に置いて、ドアを開けて用を足さなければならないのである。まるで何かのプレイのようだが、でないとギャーギャー泣かれて出るものも出ない。
昼飯のあとは、当然昼寝である。
息子を寝かせて、雑誌なんかを読んでると私も眠くなってきた。それで、ちょっと横になったのだが、ほどなく息子の目を覚ます気配で目が覚めた。
それでも、寝入って10分ほどである。私の眠気は頂点にあったので、そのまま目を閉じてうとうとしていた。すると、意外なことに、息子は起こしにこない。薄目を開けて見ていたのだが、私の回りでおもちゃの人形(アンパンマンとか)をいじりまわしている。ちらちらと寝ている私を見ては、絵本を読んだ(ふりをした)りしている。
しまいに、私の膝に、放り出してあった兄のパジャマをかけてくれるではないか。うれしいぞ、ともちゃん! でもそばにお前が今寝てた毛布があるじゃないか! 自分のはいやなのか!
いやまあ、まだまだ赤ん坊とはいえ、ずいぶん大きくなったもんだなあ、などと感動もした。
けどやっぱり、赤ん坊ですね。退屈してきたら、私の腹の上に乗っかってくるのである。それも乗ってから、ドスンドスンするのである。寝かせといてくれるんちゃうんかい!
1999年12月4日(土)
今日の更新:バカエッセイに「街はクリスマス一色」
この暮れの忙しい時期に、またもや土日とも仕事である。ホームページの更新はあるわ、職場でボーッとせなあかんわ、帰りに酒は飲まないかんわ、アイロンはたまってるわ、おまけに「ポケモン金&銀」もさっぱり進んでないのに、仕事なんかやってるヒマないっちゅうねん。
で、ポケモンなのだが、前作は「赤」をやった。わりとハマってしまって、結局ポケモンを100体以上集めた。ポリゴンを除いて、スタンドアロンの環境でゲットできるものはすべて図鑑におさめたと思う。しかし残念ながら小学生の友人がいなかったため、私の努力もそこまでとなった。通信でしか手に入らないものや進化に分岐のあるものは、ついに手にできなかった。
その後のことである。私があまりに一生懸命だったので、それを見た妻もやってみると言い出したのである。
私も十分楽しんだ後なので、新たにソフトを買うこともないと思い、気軽に「赤」を貸し与えた。当然、セーブデータをすべてクリアし、妻は最初から始めたのである。
しかし、私は妻を甘く見ていた。
ソフトを貸した当初に、システムを簡単に説明して導入部をざっと流して見せた。それから妻は一人で10分ほど最初の町の周りを歩き回って、いったんセーブした。
そして、妻のポケモンはそこで終わったのである。
以後2年間にわたって、ゲームボーイに手も触れなかった。
おーい、俺のピカチュウを返せー。ミュウツーを返せー。
月日は流れ、「ポケモン金&銀」が発売された。むろん私は即座に手に入れた。
両方同時に手に入れても、既に私はゲームボーイを2台所有している。一方はモノクロだが、金&銀を平行してプレーし、ケーブルさえ手に入れれば、対戦・交換も思いのままである。
購入当日、震える胸を押さえつつ、とりあえず取説を開いた。
そこにはこう書かれていた。
「〈赤・緑・青・ピカチュウバージョン〉とポケモンの交換ができます。」
おーい、俺のピカチュウを返せー。ミュウツーを返せー。
追 記
バカエッセイとして、初めて雑文らしい雑文を書いてみた。日記以上に手も力も抜けてるようにも見えるが、これからもこんなふうな手軽に読めてくだらないものが書いていければいいかな、と。
1999年12月5日(日)
今朝、職場に向かう電車の中で携帯が鳴った。
めずらしいこともあると思ったら、サイからだった。なんでも、下の子どもが転んだ拍子にコタツの角に頭をぶつけて眉の上を切ったらしい。
「えらい血が出て、縫わなあかんくらい切れてんねん」とはサイの弁。ちょっとドキドキしたが、血も止まったというし、サイの声も緊張感なしってことで心配はなさそうだった。
しかし、下のチビは乱暴というか大雑把というか、歩けるようになって怪我ばかりしている。こないだもどこかにぶつけて、片目のまわりがパンダ状態だった。その前は、テレビの角に頭をぶつけて、マンガみたいなタンコブをこしらえていた。
アメリカあたりなら隣人に警察へ通報されそうである。「と、と、隣の赤ちゃんが虐待されてますっ!」とか言って。
してないっちゅうねん。暴力ふるうのはチビの方やっちゅうねん。
こないだも上の子どもに散らかったおもちゃの片付けをさせていたら、邪魔をしに寄ってきて、せっかくお兄ちゃんが片付けたおもちゃをまき散らすのである。当然、お兄ちゃんは怒る。「もう、ともちゃん!」てなもんである。
すると叱られてやめるどころか、手近にある先のとがったものをつかんで、怒った顔でお兄ちゃんをつつき回すのである。
これまた当然、お兄ちゃんは泣きながら親に言いつけに来る。「ともちゃんがー、ともちゃんがー」とか言って。
するとまた、それを追いかけてきて、後ろからお兄ちゃんをガスガスつつくのである。「チクんなよ、てめー!」みたいな感じである。
なんともはや。
もちろん親に対しても容赦はない。
コップをひっくりかえしたり、障子を破ったりして叱られても、反省の色は微塵も見せない。「ごめんなさいは!」と怒鳴っても、舌足らずに「おめんあい」と言うことなど10回に1回もない。
大抵は、ぶんむくれた顔で小さな手を振り上げて、親をひっぱたくのである。
重ねて叱りつけてもこたえる様子はない。もう、ぺちぺち叩きまくるのである。
「うっせーんだよ! がたがた言ってんじゃねーよ!」ということであろう。
これが家庭内暴力というものなのだろうか。
1999年12月6日(月)
えー、今日は久しぶりにマジ小説をアップしました。
原稿用紙で25枚ほどありますが、8年ほど前に書いたやつです。
自作の解説というのは、どう書いてもなにやらエクスキューズめいて嫌いなのですが、ちょっとした背景と「大魔神」への思い入れがあるので少し書いてみます。
91年だったと思いますが、大映の「大魔神」をリメイクするという話がありまして、新作のシノプシスを公募していたのです。今回のはそれに応募したものです。もちろん落選しましたが。
「大魔神」シリーズは大好きでした。1966年に「大魔神」、「大魔神怒る」、「大魔神逆襲」と三作が公開されましたが、小学生時代にテレビで見て熱中したことを覚えています。小学校の友達の間で「大魔神ごっこ」がはやったことは言うまでもありません。
しかし、特撮は優れていたものの、お話がなんとも子どもじみてきて、結局三作で打ち切られたようです。とても残念でした。同じ大映でも、ある意味「ガメラ」シリーズより好きだったもので。
そんな思いがあるところへ、大人になってからのリメイクの話です。正直、よっしゃー! と思いました。で、かつて熱狂した大魔神へのリスペクトを込めてお話の内容を考えたのです。
ストーリーは復活第一作にふさわしく、直球勝負でいこうと思いました。ただ、物語りに深みを与えるために「父と子」の葛藤を重層的に織り込んでみたいと思いました。あわせて近世の差別の構造も投影したいと思いました。
要は、旧来の大魔神の物語をそのままに、ディテールで大人の鑑賞に堪えるようなものにしたいと思ったのです。今読み返すと、意余って力足らずというのは一目瞭然ですが。
落選の原因は明らかです。小説ではなくシノプシスなので、私の拙い文章力そのものは問われていないと思います。ストーリーにまったく新味がないのです。旧来の大魔神そのままの復活を願うあまり、新しいストーリーを求めていた製作者の意図を読み誤ったようです。
また、新しく敵の怪獣を出したところまではよかったのですが、光学処理でしか表現できないようなものにしたのもいけなかったと思います。どうせならもっと重厚なゴジラのようなものにするべきだったと思います。
というわけで佳作にも引っかかりませんでしたが、そんなものでよろしければご一読ください。
でも結局、映画の新作は製作されなかったようです。
なんじゃそら。
1999年12月8日(水)
昨日から丸一日以上、COOL大阪のサーバがダウンしてて、ここにやって来ようとしてくれていたみなさんにご迷惑をかけているかと思うと、とても腹立たしい(ダウン中に書いています)。
このところ日記以外のテキストも次々アップしてたし、はじめましての人々も徐々に来てくれつつあったのに。出鼻をくじかれたというか、もともと低い鼻をいっそうへこまされたというか。
もちろん、COOLはジオシティーズのごとく無料のホームページスペースを解放していて、我々はそれに乗っかっているだけなので、気持ちとしては大きな声で文句を言いにくいという感じはある。
けれどもそれはやっぱり違うと思う。なぜなら、我々のサイトにはすべてのページに広告が入るのだから。これは寄生しているのではなくて、共生なのだ。
たとえば、バナー広告というものがある。ヤフーなどの人気サイトになるとトップにおかせてもらうのに、何十万とか何百万とかの金がいるとも聞く。あるいはワンクリックいくらで、個人がウェブページに置いて、広告主からお金をもらうというものもある。
すなわち、我々は、COOLからもらうべき広告料金をレンタルサーバ代金と相殺していると考えるべきなのである。自虐的な言い方をすれば、我々は鵜飼いの鵜のごとく、そこに住む場所を保障されて広告を見せる役割を強制されているのである。
広告料金とレンタルサーバ代金のバランスの算定は、しようとしても恣意的にならざるをえないので、搾取だのなんだのというつもりはないが、少なくともCOOLが無料スペースの解放をやめてレンタルサーバ業に特化しようとしていないことを考えると、我々はむしろ顧客の地位にあると考えてよい。
なら、一日以上サーバをダウンさせて何の説明も断りもないというのは商業上の道徳に悖るのではないか。ジオシティーズはあれだけの規模でありながら、そんなことは決してないとも聞く。
COOLの管理者には猛省を促したい。
******************************
えー、本日、時期はずれの人事異動がちょびっとだけありました。
役所というのは、まだまだ徹底した年功序列で、昇格についても職種ごとの採用年度順および年齢順は、かなり厳格に守られます。もちろんその功罪は、今ここでは問いません。
ちなみに、本日の異動では、同期採用ながら私よりも二歳年下の人が係長に昇格しました。
そうやろ。やっぱりそういうことやねんて。わかってんねんて。
どうせおれなんかな、べつにな、そんなことくらいわかってんねんて。
ひ~ん。
1999年12月10日(金)
今日の更新:マジエッセイに「サンタが街にやってくる」。きれいごとで悪いか。
まさか3日もサーバがダウンすると思ってなかったので、なんか腹立つのを通りこしてあきれてしまう。
という話とは関係ありませんが、念願のモバイルギアを買いました。ボーナス出たから。おっちゃん大人やから。
でも、白黒です。型落ち品です。携帯電話ケーブルは買えませんでした。おっちゃん安月給やから。
お小遣いをぜんぶはたいてしまいましたが、それでもやっぱりうれしいです。喫茶店で文章を打ってみるとかの、憧れの大技もやってみました。電車の中でもちょっとやってみました。まるで子どものようなうれしがりです。
とにかくCEマシンらしい、起動と終了の速さがすばらしいです。スイッチを入れた瞬間に立ち上がります。文章を書きかけで電源を切っても、スイッチを入れると切る直前の画面がパッとあらわれます。そこだけはたいへん気に入っています。
これでまたいろいろ雑文なども書いてみたいものです。
と、ここまで書いてから、アップしようとしたら、まだダウンしている。
真剣に引越しを考えてしまう。ジオシティーズやトリポッドの無料サービスもよいけれど、この際、有料のスペース借りたほうがいいのかなあ。
いや、でもそれでは、「こんなくだらないホームページづくりなんていつやめたっていい」という当初のスタンスからはずれちゃうしなあ(こんなに力いれて更新しておきながら、なにいってんだかよ)。
とても悩ましい今日この頃です。
1999年12月13日(月)
COOLのサーバがダウンして、もう1週間近くになります。
もういいです。あきらめます。ていうか、せっかくのカウンタがもったいないので(う、貧乏性)、ミラーサイトを作っておくことにしました。トリポッドの、これも無料サービスです。最初の広告ウィンドウがちょっとうざいですが、いっぺんたたんじゃえば、あとは広告を見なくてすむので、まあいいかな、と。
多少重いのが珠に瑕ですが、よろしければこちらもブックマークしといてもらえればうれしいです。
筆先三寸(ミラー) http://members.tripod.co.jp/mushimaru/
下の息子が風邪を引いています。39度の熱が続いています。真っ赤なほっぺでふうふう言いながらぐったりしています。
で、今朝病院へ行きました。午後には妻が半休で帰ってきたので、交代で私が出勤しました。
夜遅く仕事から帰って妻に聞いた話では、息子は熱のせいか、薬が合わないのか、吐いて吐いて大変だったようです。赤ん坊が吐くたびに、まだ5歳の上の息子に手伝わせて、着替えさせたり、カーペットを拭いたり、吐瀉物を片付けたりと、「ほんまにもう、えらいことやってんで」ということだったとのことです。
それで夕方、妻は上の息子に言いました。
「明日も、ともちゃんは休まんとあかんみたいやから、なおちゃん一人で保育園がんばって行ってな」
すると、お兄ちゃんは、
「なおちゃんもお休みするー」と言いました。
そこで妻が「なんで?」と聞くと、
「だってな、ともちゃんが吐いたら、お手伝いせなあかんもん」
と答えたそうです。
私は夜遅くそれを妻から聞いて、ちょっと胸が詰まりました。
まあ、日記に書いてしまうと、のろけみたいなもんですけど。
1999年12月14日(火)
今夜のことなのだが、親子でテレビを見ていると、妻が私の方を振り返って言った。
「ちょっと、コーヒー入れて」
なんということだ。私も子どもと入った風呂上がり、缶ビール片手にやっと手に入れたくつろぎの時間なのである。ご主人様に向かって、テレビ見ながら肩越しに言っていいことと悪いことがあるであろう。
それも子どもの前である。ここでひょいひょい腰を上げていては、父の威厳も夫の立場もあったものではない。
私は眉間に重厚なしわを刻んで言った。
「なにを言うてんねん、なにを」
すると妻は、私のただならぬ様子に気づいたのか、さすがに反省したように言った。
「んーと、じゃ、コーヒー入れてください」
そーゆーことやないやろ! 言葉使いの問題とちゃうやろ!
結局、私が入れましたけどね、コーヒー。
そして、これもさっきの話なのだが、コーヒーも飲み終わって、妻と子どもたちは寝るために二階へ上がっていった。
しばらくすると、二階から息子が大きな声で呼ぶ声が聞こえた。
「お父さーん、お父さーん!」
私は階段を駆け上がった。下の子が昨日からの熱でまた吐いたのかと思った。
寝室の扉を開けて飛び込んだ私に向かって、布団の中から息子が言った。
「靴下もってきて。足冷たいから」
ええ、持って行きましたよ、靴下をね。機関車トーマスのやつをね。
どいつもこいつもそれもこれも戦後民主主義教育の弊害というものなのだろうか。そんなことないと思います。
とりあえず、どこかで「父親の威厳」なるものを売っていないものだろうか。9800円までなら出します。(←安いぞ)
1999年12月15日(水)
モバイルギアを買ったはいいが、使い方がまだよくわからない。メールやインターネットの設定だけで何時間かかったか。
マニュアルが悪いのだろうか。しかし、分厚いマニュアルのうち、通信環境の設定だけで半分近く費やされているのである。同じようなことが繰り返し繰り返し、画面の画像入りで書かれてある。それを悪しざまに言うなど、罰あたりであろう。
そして、マニュアルと首っ引きでああでもないこうでもないと、ほんとうに往生した。回線設定やらホスト名やらやたらめったら項目があるのだが、ひとつ設定するたびにどこかが変なことになるのである。インターネットの接続設定もちゃんとしたはずなのに、発信音が聞こえたとたんに切れたりするのである。
で、私がつまずいていた重要な(と思われる)ところは、マニュアルの隅のほうに小さく書かれていた。
やっぱりマニュアルが悪いんやんけー。あほー。
といっても、NECのサポートに言っても、「悪いのはお客様の頭の方では」とか言われちゃうんだろうな。とほほのほー。
それと、コンパクトフラッシュを買ってファイルはそこに保存することにしたのだが、パソコンとつなぐと、これがアクセスできない。モニタ上には問題なくショートカットが表示されているのだが、それをダブルクリックすると見事に強制終了のメッセージが出る。何度再起動しても同じである。
これではせっかくの日記や雑文も、モバイルギアからパソコン経由でアップできない。
これはさすがにサポートに電話をした。
するとどうやらIE5側の問題らしい。「マイクロソフトさんには伝えてあります。そして、修正ソフトを配布してもらうことにはなってるんですが、それがいつになるかまでは……」と言われてしまった。
お前が配れっちゅうねん。
そんなこんなでせっかくのPDAですが、使いこなせるようになるまでには、まだずいぶんとかかりそうです。
1999年12月16日(木)
ええ、もう切れましたよあたしゃ。
COOLのクソバカってば、サーバダウンしたままもう10日にもなりやがんの。
なんだーそりゃー!
クラッキングか? クラッキングでも食らったか?
そんで再起動か? 再起動してんのか? OSの再インストールか?
そんなもん10日もかかるかっちゅうねん! あほんだらー。
さら買うてこい、さらのサーバを。
でもって、こないだメールがきました。
「ユーザ名がa~eの方については復旧しています」
おれは“m”やっちゅうねん! いつまでほっとくんじゃー! 中途半端なことするなー!
そんなわけで、もう私は決めました。
プロバイダに金払います。金払ってホームページ置かせてもらいます。
妻の了承も取りつけました。ひと月500円でなんでヨメはんに断らなあかんのか、われながら情けないですが、半泣きで「ホームページなくなってんー」と言うとヨシヨシしてくれました。「一年で6000えん~?」とも言われましたけど。
というわけで、プロバイダからURLもらい次第、速攻で移転します。
カウンタも0から出直しです。
リンク張ってくれてたりするところや、ちょいちょい掲示板へ書きこみにきてくれている人には、時期にあわせてクリスマスメールか年賀メールでお知らせします。
まあ、うちのようなくだらないページで、なに張り切ってんだか、てな話もありますが。ま、ぼちぼちやっていきますんで。今後ともひとつよろしく、と。
1999年12月17日(金)
(自慢話ここから)
今日、財布の底をはたいて、モバイルギアの携帯電話接続カードを買いました。おかげで正月がこせなくなりました。
しかし、これでポケボに勝るとも劣らぬ通信環境です。56kモデムは内臓ですので圧勝です。
キーボードも立派なのでメール作成も完璧です。
しかも軽いです。ACアダプタや携帯電話そのものをあわせても、目玉VAIOより軽いです。
めっちゃうれしいです。毎晩抱いて寝ようと思います。
でも、寝小便したらアウトですね。せえへんて。
ところで、この土日、親子でちょっと温泉へ行きます。那智勝浦です。
温泉は古くから有名ですし、この時期は蟹や魚がおいしそうです。
(自慢話ここまで)
でも、仕事の関係もあって残念ながら一泊です。温泉なんてゆっくり逗留しないと、ほんとは楽しめないんだけど。
それで、デジカメを持っていくつもりでした。黒潮をバックに、年賀状用の子どもの写真をばっちり撮ろうと。
しかし、デジカメは長い間放置してあったので、充電池もすっかり切れていました。
仕方ないなあ、と思いながら、私は4本の充電池を職場へ持っていきました。職場の充電器は高速充電可能ないいやつなので。
えー、そして充電を行いました。干からびた電池が音を立てて電気を吸い込む音が聞こえるようでした。
なにしろ明日持っていくやつですので、きっちり充電しておかないとなりません。高速とはいえ、3時間近くかかるようでした。
ここまで書くと、もう読者諸賢も、結末はおわかりでしょう。
そうです、私は十分以上に充電を済ませた電池を持って帰るのを忘れたのです。
超サイアクー!(コギャル調で) 超ムカツクー!(同左)。 超電磁竜巻ー!(コンバトラーV調で)。
明日は乾電池をたくさん持って行こうと思います。ゲームボーイも持って行くし(2台)。
1999年12月20日(月)
温泉から帰ってきまして、いきなり風邪を引きました。またかい! ま、今回は熱も38度ちょい手前と軽症のようです。
そんなことは全然どうでもいいですね。
とにかくこのところ調子が上がらなくて困っています(体調とか、懐具合とか)。
もうじき復活しますので。
1999年12月21日(火)
みなさん、クリスマスプレゼントはもう買いましたか?
私は、子どもたちにはおもちゃを、サイには口紅を一本買いました。さて私は何を買ってもらえるんでしょうか。
とりあえず事前に相手の動向調査および自分の希望表明をしておくというのが、わが家のしきたりなので、私はサイにたずねてみました。
「クリスマスプレゼントは何かなあ?」
すると、サイは答えました。
「んーと、買いに行ってられへんから、自分で買ってきて。お金はあとで渡すし」
愛想もなにもありませんが、そんなわけで今日、自分で「妻から私へのクリスマスプレゼント」というものを買いに行ってきました。
久しぶりにネクタイでも買うかと、百貨店のネクタイ売場をうろうろしていたのですが、生来の優柔不断が災いしてなかなか決められません。よさそうなのはいろいろあるのですが、一番合わせたい手持ちの黒のギンガム・チェックのシャツに、どれが最もよく映えるのかがよくわからないのです。売場にあったシャツの見本にもあてはまるようなものはありませんでしたし。
そのとき名案がひらめきました。そうです、見本がなければ向こうのシャツ売場から持って来ればよいのです。
私はトコトコとシャツ売場に向かいました。そして黒のギンガム・チェックのシャツを探すことにしました。
そこへ店員さんが寄ってきました。若い女性の店員さんは、一生懸命ワイシャツの棚を物色する私に声をかけてきました。
「どういったものをお探しですか?」
私は即座に答えました。
「ネクタイです」
店員さんが一瞬で引いていくのがよくわかりました。文字通り後ずさりしていました。額のあたりに「ここはシャツ売場じゃー」と書いてありました。
「いや、あのね、ネクタイのね、ようわかれへんから、シャツが合うやつを、ネクタイと合わせてみて、ちょっと借りようと、向こうでね、ネクタイを……」
へどもどしていると、店員さんは、すすすすすと去っていきました。
あわてて目指すシャツを見つけた私は、それを手にネクタイ売場へとって返して、よく合うネクタイを速攻で決めて、逃げるように買って帰りましたとさ。
どっとはらい。
1999年12月23日(木)
あと一週間ほどで今年も終わりである。クリスマスも明晩に控え、世間の慌しいことこの上ない。
それでも、クリスマスや年末の意味もろくにわからぬ子どもを二人も抱える我が家にあっては、今日も普段の休日とさしたる変わりもなく過ごした。
朝から買い物に出かけたものの、鏡餅をはじめ正月の用意をするわけでもなく、主たる目的は下の息子のオムツなのであった。昼飯はマクドナルドで茶を濁した。「ゆくトリくるトリ」なるものも食してはみたが、とくにうまいとも思わなかった。これは学校帰りの中学生が買い食いするのに実に適した味であり食感であろう。彼らにおいては、屋台のたこ焼きやコンビニのあれこれに並ぶ選択肢として浮上しうるのではないか。
そして夕食後の話なのだが、上の息子と風呂に入った。保育園の話や友だちの話を聞いているうちに、時節柄クリスマスソングに話は及んだ。保育園では、外遊びや体操のほかにも、童謡を歌ったりやお遊戯をしながら時間を過ごしているようなのだが、やはり童謡にも季節感が反映されるようである。そういえば、先日までは「里の秋」や「こぎつねこんこん」を声を張り上げて歌っていた。
で、「サンタが街にやってくる」を歌ってくれた。なんと、サビのところは英語のまま歌うらしい。「サンタクローシズカーミーントゥーターン」という感じであった。
やはり5歳にもなると違うなあと思ったのは、歌詞の記憶の程度である。去年あたりはさっぱりであった。「靴が鳴る」でもなんでもよいが、習ってきたという歌をうたわせると、歌詞以前に日本語になっていなかった。現在、英語の歌詞をそのまま音として口移しで覚えて帰ってくるように、日本語でさえ意味が取れずに音で覚えていたのである。
しかし、今回は見事に覚えていた。少し感心した。
「さーあ、きこえってくるでっしょ、すずのっねっが、すぐそこに、サンタクローシズカーミーントゥーターン」
という感じである。意味を理解しているのは疑いない。
ただ、以下のくだりについては、親として訂正した。
「まちきれないで、おやすみしたこに、きーっとすばらしいプレゼントもろて」
サンタさんはプレゼントもらえへんやろ。それに、なんでそこだけ関西弁やねん。
1999年12月24日(金)
昨日、買い物に行ったのはそこそこ大きいショッピングセンターだったのだが、店内の携帯電話売場を通りかかったとき、妻が何を思ったのか突然言った。
「機種変更する?」
妻が言う以上、もちろん金は家計から出る。渡りに船である。猫に小判じゃなくて鰹節である。そんなもん絶対iモードである。
「うんうんうんうんうん」
うなずきまくった。すでにヘッドバンキングである。むちうち症になるかと思った。
妻の気が変わらないうちにと、即座にカウンターに駆け寄って手持ちのドコモP205を叩きつけた。
「き、き、機種変更お願い、し、しますっ」
声まで裏返ってしまった。
「えと、あの、iモードの、こんな、こんなで、メールとか、ピッとしたらピーっていうやつ」
何を言っているのかわからない。
後ろで妻の声がした。
「なにあわててんの」
完全に見透かされている。
そして、われに返った私は、落ち着きも取り戻して、無事に新たな携帯電話を手にいれたのである。
機種はドコモのP501iである。二つ折りで画面の大きいNEC製のやつにも食指は動いたのだが、100gを超えるのと、ポケットでもかばんの中でも収まりが悪そうなのと、GIFアニメとかには対応していないらしいので見送った。
そうして私は、うひょうひょ言いながら昨日は買い物から帰途についたのである。
一夜明けて本日。いよいよiモードデビューである。なんでも、iモードの数々の機能を使うには、契約翌日の朝9時まで待たないといけないらしいのである。
まずはiモードパスワードの設定。これは楽勝。
で、ウェブブラウジング。天気予報やお店情報が見られるのは宣伝の通り。つなぎっぱなしでも、時間じゃなくて1パケット(128byte)ごとに0.3円というのはかなり安い感じ。どう見てもインターネットには見えないが、携帯にいろいろ字が出てくるのは面白い。
そしていよいよiモードメールである。とりあえずプロバイダのメアドに送ってみた。職場のパソコンから見に行くと、見事に届いている。やりー。
次はモバギとの接続テストである。PCカードの対応機種表にはP501iが入ってないのでかなり不安ではあった。それでもとりあえず端子にはつながるのでつないでみて、モバギのメーラから送受信を行った。
「……にダイヤル中です」の文字が出たまま動かない。「あれー」と首をかしげたものの、内心パニックである。
するとメッセージが出た。
「回線がビジーです」
そんなわけないのに。テレホタイムでもスカスカのアクセスポイントやのに。
第一、電話のディスプレイでもつながった様子はなかったぞ。私は冷や汗をかいていた。頭の中に先日PCカードを買った日本橋の風景がよぎった。
「このカードこないだ買うたばっかりやのにー、一万円もしたのにー、前の電話ではうまいこといったのにー」
半泣きで、モバギを再起動してチャレンジ。またもやメッセージ。
「キャリアを検出できませんでした」
うえーん。さっきより悪いー。
しかし、私は気を取り直した。そんなはずはない(あっても不思議ではない)。端子の形状が同じなら理屈ではつながるはずである(そんな理屈はない)。同じ松下の携帯で、あれならできてこれならダメなどということが許されるはずがない(そんな理屈もない)。という科学的な推論のもと、私は気合いを入れてやり直すことにした(科学と気合いはぜんぜん違う)。
とりあえず、いっぺんつながってるものを全部はずしてみた。それからそれぞれを気合いと祈りと物理的な力をこめてつなぎ直した。二、三度グチッとか変な音がしたが気にしては負けである。
そうして今一度チャレンジした。
すると、どうしたことか、ちゃんと接続したではないか。きちんとPOPサーバからメールを取り出すことができたではないか。
やったー! 気合いの勝利だー!(ちがうと思う) 科学の力だー!(ぜんぜんちがう) ただの力だー!(これが正解)
みなさんもカードやコードは奥までしっかり差し込みましょう。
次は、メールアドレスの変更である。いくらセキュリティに無防備な私とはいえ、携帯の電話番号むき出しのアドレスは公開できない。
iモードメニューから、アドレス変更画面に入った。
とりあえず仕事関係でもOKなように本名でチャレンジした。「matsumura」である。
現れたメッセージは「ご希望のアドレスはすでに使用中です」であった。
これは予想できた。次に申し込んだのは、呼び名の「matchan」である。
これも使用中らしい。少し残念である。
そして結局ハンドルを使うことにした。これはどこのメールサービスでも他人とかぶったことはない。私は自身満々で「mushimaru」と入力した。
なんとこれも使用中であった。えー! と叫んだことは言うまでもない。そんないちびった名前つけんのは、どこのアホじゃー!(私以外で)
私は途方に暮れた。下の名前は使いたくないし、アンダーバーとかも苦しまぎれみたいでなんかいやだ。「batman」とか「highwaystar」とかも、のちのち恥ずかしい思いをしそうでいやだ。「baka」とか「aho」とかも個人情報保護の観点からいやだ。
うーん。なんかいいのないですかね。
え? なに? 今日はクリスマスイブ? なにそれ?
1999年12月25日(土)
日記ばっかりで雑文を書かないといけないのはわかっているのだが、おっちゃん忙しいから。年賀状いっぱい書かんといかんから。「筆まめ」も買うてきたから。
そんなわけで、子どもが寝てからの貴重な時間は年賀状に費やさないとならない日々ですので、日記くらいで勘弁してたも。
ほんとうに昼間はパソコンなんてさわっていられない。今朝もちょっとした書類をプリントアウトしていたのだが、下のチビがすぐに寄ってくるのである。ちょっと目を離すとキーボードやマウスをさわろうとするので油断もすきもあったものではない。先日もワープロを打ってる最中に電源を落とされてえらい目にあった。
そんな場合は当然叱る。ストーブにさわったときなみに叱ることにしている。電源が入ってないときでも同じである。赤ん坊には電源が入ってないから大丈夫、入っているから今はダメなどという区別ができるはずもない。とにかく子どもの触れるべきものでないものに触れようとしたときは、きちんと叱っておかないとあとで後悔するのはこちらである。もちろんストーブなんかだと本人も後悔することになる。
それで、今日もやはりさわりにきた。しかし、本人も学習している。私の目を盗んだつもりで、そーっと背伸びをするようにキーボードに手を伸ばすのだが、1センチほど手前で手をとめてこちらを見上げるのである。「いいかな、さわろうかな、さわりたいなー」と顔に大きく書いてある。で、私と目が合うと、手はそのままで目をそらせて横向いたりするのである。
かわいいぞ、ともちゃん! でも、ダメなものはダメだ。
「くぉらぁー!」
大声で叱ると、びっくぅ、と手を引っ込めて、たたたたたたと走り去っていった。そして向こうのほうから上目づかいにこちらをうかがっている。
父の圧勝である。しかし私は追撃の手をゆるめない。追いかけていってそばでしゃがみこみ、耳元で叱りつける。
「あれはダメ! お父さんのダイジダイジだからさわっちゃだめ! わかった!?」
半泣きでうなずく子どもの頭をがしがしなでるのは一応フォローのつもりである。
「よーしよーし、わかったな、かしこいな、さわったらあかんで」
そして、一度ぎゅーっと抱きしめてやって、私はパソコンの前に戻った。
ふと見ると、フロッピードライブにポケモンカードがささっている。
こらー、お兄ちゃーん!
1999年12月27日(月)
本日、やっとこさプロバイダからURLをもらいました。これでCOOLともおさらばできます。COOLからはすべて引き上げてしまうつもりです。ミラーはTripodの方にします。
COOLには半年ほど世話になっていて、まことに心苦しいのですが、そういうふうにすることにしました。本来ならそんな薄情なことをするつもりはなかったのですが。
半月ほどサーバがダウンしてアクセスできなかったのは確かに大変でしたが、今後そういうことがないのであればなにほどのことでもありません。ミラーとして残しておく程度のことはさせてもらうつもりでした。
でも私の気が変わったのには理由があります。それは、サーバが復活したということを知らせる1通のメールでした。
文面はこれだけでした。サーバの不具合の原因については何の説明もありません。一部のユーザのファイルが消えてしまったことについても何の説明もありません。
そして、「もう一度アップせよ」とごろりと投げ出された言葉には、何の反省も感じられません。通り一遍の詫び言葉もどこか投げやりです。COOLではジオシティーズの向こうをはって、ブラウザからファイルの作成や更新ができることをウリにしていたはずです。にもかかわらず、「もう一度アップせよ」ですむと思っているのでしょうか。私はたまたまFTPを使っていましたが、ブラウザでしこしこ日記をつけていた人や、直接タグを書いていろいろ工夫していたユーザはどうなるのでしょう。
私はこのメールをもらって即座に「あー、ここはダメだ」と思いました。だからもう縁を切ります。
あ、そうそう、もうひとつダメだと思った理由。
このメール、「COOL大阪」の配信してるメルマガの1項目だったんだよね。
ユーザのいらだちなんて全然わかろうとしていない。そんなもんぐらい別に送れっちゅうねん。
1999年12月31日(金)
本日引越し!
1999年中は大変お世話になりました。みなさまよいお正月をお迎えください。
カウンタについて。COOLのこけるまでが6700少々、ミラーが420、新COOLが270くらい、というわけで、合計7200から新規スタートいたします。
こんなふうに足し算も満足にできない私ですが来年もよろしくご愛顧のほどを。
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