「筆先三寸」日記再録 2001年5月

2001年5月1日(火)

 ゴールデンウィーク真っ只中とはいえ、公務員は基本的にカレンダーどおりの勤務ですので(年末年始をのぞく)、今日も明日もお仕事です。ガッツリ休んでハワイへでも行きたいところなんですが、この調子では定年まで無理なようです(旅費の面で)。
 閑話休題。お父さん同様、なおちゃんも今日は学校です。おまけに、今日から給食が始まったようです。
「給食おいしかったか?」と聞いてみました。
「うん、おいしかったー。ハンバーグと、うずまきパンと、シチューと、牛乳。オレンジのゼリーもおまけにあってん」
「おお、なおちゃんの好きなんばっかりやなあ」
「でもなあ、パンが大きかってん。こんな、こんなんでなあ、のこせへんかってんけどな、げんかいやった」
 げ、げんかい。そ、それはえらかったぞ。


2001年5月2日(水)

緊急告知!

 職場の後輩(23)がメル友を募集しております。ここをご覧の方で、どなたか相手になってやってください。
 ことの起こりは、彼の、
「メル友ってあるじゃないですか、僕、ああいうのやってみたいんですよね」
 という言葉なんですが、そんなもん、メル友の募集くらいサイトでも雑誌でも、やってるとこ腐るほどあるっちゅうねん。とも、言い出しかねて、
「ほなまあ、うちのサイトで声かけてみよか」となったわけです。まあ、望み薄ですけれども。
 で、ええと、いちおう、彼の話なんですが、若いし、背は180cm以上あるし、かなり男前だし、スノボが好きで、一流大卒の公務員。性格も、一緒に働いていて思うんですが、素直で真面目で、ユーモアも解してと、抜群です。ああ、なんか書いてて、自分と比べてへこんできた。ていうか、うそくさいほどほめてますが、ほんまにそんな奴やねんからしゃあないやろ。なんで彼女がいないのか不思議なんですが。ほんで、ええと、本人の弁によりますと、理想のタイプは松たか子らしいです。ですから、なるべく歌舞伎役者の娘さんがいいのではないでしょうか。そういうことなのでしょうか。ついでに年下が好みだそうです。二十歳前後の。なにを贅沢なことをぬかしておるのか。
 てなわけで、どなたか関心のある方がいれば、私までメールにてご連絡ください。ネカマ可。あ、ちがう、不可不可。
 ちなみに、本人はiモードの携帯電話しか持っておりません。それでメル友て。近ごろはそういうのも多いようですが、文章書かせると無駄に饒舌な私には無理です。指つりそうだし。
 ま、そんなこんなで、なにぶんひとつよろしく。


2001年5月5日(土)

 木曜日から子連れで実家へ帰っておりまして、更新とかメールチェックとか、いろいろできずじまいでした。
 でまあ、2日の日記(↑)で、メールを下さった方がいたのですよなんと! それもなんか素敵な方でまあ、私が声かけといてくやしがるのも変な話なんですが、なんか釈然としないものがあります。

 と、いうようなこともさておきまして、昨日は親子四人で奈良の「あやめ池遊園地」まで、「仮面ライダーアギト」ショーを見に行ったりもしてきました。野外ステージのえっらい後方で座ってたにもかかわらず、下のチビは豆粒ほどにしか見えない怪人が出てくるなり大泣きしやがるのでした。どうにもこうにも「こわいー」そうです。
 でも、あとになって、「かいじんがな、でてきてな、アギトとな、ギルスとな、やっつけてくれんねん。ほんでな、またかいじんがでてきてな、アギトとな、ギルスとな、やっつけてくれんねん。ほんでな……」と、循環小数みたいな話をしてました。
 お兄ちゃんの方は、(自分も昔は泣きたおしたくせに)結構面白かったようです。
 舞台で怪人と戦うアギトを見て、「あれ、ほんまもんやなあ」と感動してましたから。
 なんで、正義の味方が遊園地の舞台で……、しかもサイン会つき。

 というのもさておき、本日午後8時過ぎに帰宅したわけですが、いろいろ片付けていてふと気がつきました。
 五月人形も、こいのぼりも、出すのわーすーれーてーたー。

 なおちゃんともちゃんごめーん。


2001年5月6日(日)

 先だって、団塊の世代の男子に長嶋茂雄のことを訊ねれば、きっと打てば響くような答えが返るであろうというようなことを書いたが、同様に、身近に三十代後半の女子の方がいれば訊ねていただきたい。
「あなたは、藤堂派でしたか、尾崎派でしたか」と。
 ごくまれに、「私は千葉派である」とおっしゃる女子の方がおられて、運動音痴でも一応学級委員の私は心強く思ったものであったが、そういう方々に限ってリアルな学級委員には目もくれないのであった。

 しかしながら、いまや山本鈴美香もあちら側の住人になってしまったとか。ますます昭和も遠くなりにけりである。


2001年5月7日(月)

 サイの報告より。

 毎日夕方、サイと上の息子は相前後して帰宅する。サイはパートから、なおちゃんは学童保育から。
 そうして、サイはざっと洗濯物を取り込んで、下の息子を保育園に迎えに行くのである。その間、なおちゃんは家に残って、山と積まれた洗濯物を、小さな手でひとつひとつたたんでおくのが日課となっている。
 しかしながら今日は、なおちゃんが宿題を持って帰っていたため(ひらがなの“ん”の練習)、サイは保育園に向かうにあたって、普段の洗濯物たたみは命ずることなく、宿題の遂行のみを言いつけておいたという。
 ところが、サイがともちゃんを連れて帰宅してみると、なおちゃんは、宿題を完遂した上に、居間にちょこんと座って洗濯物をたたんでいる最中であったという。なんという健気な、なんという真面目な。
 なおちゃんは、のんきな表情で帰宅した弟に向かって言った。
「ともちゃん、ゆり組さんになったら、せんたくたたむ係、代わってや」
 ゆり組は4歳児クラスである。ともちゃんは今2歳児クラスなので、少なくとも2年の猶予を与えてやるつもりらしい。
 もちろん、ともちゃんは、お兄ちゃんの顔をのぞき込みながら答えた。
「いーやっ」

 なおちゃんがんばれ。


2001年5月8日(火)

 仕事関係のちょっとした打ち合わせに、上司と出かけた。
 混雑する地下鉄の車内で、人波に押されているうちに離れ離れになったので、例によって文庫本を開いた。
 電車を降りると、当然のように聞かれた。
「何の本読んでたん?」
「え、小説ですけど」
「なんていう?」
「いや、あの、『銀河帝国の弘法も筆の誤り』ていうんですけど」
「はあ? なんじゃそら」
「エ、SFの短編集で、さっき読んでたんは『脳光速』っていう短編の……」
「脳梗塞?」

 田中啓文のアホー。こんなことになるんやったら、『美少女いけない初体験』とか『黒い下着の未亡人』とかの方が説明せんでもわかるだけましじゃー(そうでもない)。俺までアホと思われるやんけー。

 もちろん、書名はアイザック・アシモフの『銀河帝国の興亡』シリーズの駄洒落である。「脳光速」ももちろん駄洒落である。他の短編もだいたい駄洒落である。小説の中にも、意味なくくだらない駄洒落が頻出する。それも豪快なまでに脱力系の。
 しかし、しかしである。なぜか読み終わって思うのは、「ああ、久しぶりにSF読んだなあ」であり、「面白いぞこれは」なのである。長編の一本や二本に匹敵する短編ごとのメインアイデアや、文学的ではないが明晰で視覚的な文章が、駄洒落の底に埋もれきっていないせいもある。そしてもちろん、SFの命である、おおっというようなセンス・オブ・ワンダー。

 最後に、同書に収録されている我孫子武丸の解説から引用して、私の推薦文とする。
「一方、同じセンスを持たない人にとっては、これまた別の意味でたまらない作品である。たまにはちょっと脱力してみたい、とか下らないものを読んで腹を立ててみたい、とかいうのでない限り、普通の人は読まない方が無難である。」
ちなみに、ハヤカワ文庫JAです。念のため。


2001年5月13日(日)

▼今持ってるやつは電卓がついていないので(笑)、電卓のついた携帯電話に交換しました。基本的に2つ折タイプはヤだったのですが、画面サイズとスペックとの兼ね合いで、結局Nにしました。
 電話屋のお姉ちゃんは、浜田マリそっくりでおかしかったのですが、なかなか親切で好感が持てました。
 そんなことより、あれなんですが、機種交換するときって、登録してある電話帳のデータとかみんな移してくれるじゃないですか。で、安心して帰って見てみたら、電話番号以外、メアドとかやり取りしたメールのログとかは全然移してくれないのな。なんかショックー。
 まあいいか、電卓ついてるし。<こだわってるのか。

▼それで浜田姉さんとあれこれやり取りしていると、となりの窓口へ機種交換の相談にきていた兄ちゃんの声が聞こえてきました。どうやら料金プランの変更を勧められているようです。
「いや、そんなに使ってないですよ。少ない月で2万ぐらい、多い月でも4、5万やから」
 うわー、なんじゃそれー。

▼サイが、友だちから「ONE PIECE」を借りてきてくれた(息子のために)。息子はまだ9巻の途中のようだが、私は12巻を3回は読み返した。(実は、更新が途絶えたのはそれによるところも大きい)
 いやー、面白いっす。現在の5人のメンバーが(きちんと)揃うまでで、10巻以上費やすのにも驚いたけど。いわゆる「友情、努力、勝利」という、少年ジャンプの黄金律を押さえまくりのお話ではあるのだが、ギャグのセンス(ていうか“間”)が抜群で、久しぶりに「腹抱えながら、血湧き肉踊る」マンガを読んだような気がする。たぶん、「1、2の三四郎」以来である。中味も、ストーリーテリングを重視して、“強敵のインフレ”に気をつけさえすれば、匹敵するものになるぞきっと。

▼しかし、近ごろのマンガはみんな長すぎるように思う。初出というのか元版というのか、講談社コミックス版でさえ、、「巨人の星」が19巻、「あしたのジョー」が20巻だというのに。今や、これらの倍以上の巻を重ねるマンガなんてざらにある。だからといって、複雑なストーリや感動が二倍以上あるかというと、それはむにゃむにゃなのであった。うーむ。


2001年5月16日(水)

▼今朝、下のチビさんの熱を測ってみると39度もありまして、成人家族会談の結果、私が休まさせられて、あれ? 休ませられて、休まさされて……、「休ませる」やから……、休ませされて? うーんと、とにかく私が休むことになってしまいました。
 名うてのともちゃんと一日一緒ということでびびってたのですが、しんどいのもあるのでしょう、結構おとなしくて、親としてはなかなか助かりました。子どもが高熱のおかげで助かったってのも変な話ですが。
 原因は、どうやら溶連菌による感染症のようです。保育園でしょっちゅううつされてくるのですが、喉の奥が真っ赤になって、高熱がどかんと数日続きます。これが、もっともっと症状が昂じると、「猩紅熱」という立派な法定伝染病に進化して、入院・隔離てなことにもなるようです。くわばらくわばら。

▼京都で女子大生の殺害事件の容疑者が逮捕された。「携帯電話」の、「出会い系サイト」を通じて知り合った、「メル友」による、犯罪のようである。
 まるで三題噺のようなマスコミの報道が目に浮かぶ(ていうか、じっさいにそのまんまでげんなりした)。
 当然それらには、ネット側(いやすでに一般の感覚か)からの反論がある。
 しかしながら、
「いんたあねっとだの、けーたいだの、伴天連の妖術に決まっておる。ほれ見よまた犠牲者が」という「評論家」も、
「ネットも携帯もツールに過ぎぬ。男が女を殺す話など古今東西ごまんとあるわ」と言い切る「識者」も、
 思考の停止具合では五十歩百歩だと思う。
「出会い系サイト」が、「彼女ほしいなー、でも合コンとか苦手だしー、道端でナンパなんて、ぶるぶるぶる」という“ちょっと気弱で純情な好青年”に一筋の光明を与えたとすれば、「知らない女を犯したり殺したりしてみたいなー、でも強引に車に押し込むのも苦手だしー、道端でナンパなんて、ぶるぶるぶる」という“ちょっと気弱で変態な犯罪者”に一筋の光明を与えたことも事実なのである。
 そのへんの、まあ「功罪」ってのを、やっぱりきめ細かく考える必要があるんじゃないだろうか。


2001年5月19日(土)

▼職場の歓送迎会があったんですが、二次会のカラオケで「たたかえ! キャシャーン」を絶唱してしまいました。
 上司の皆さんはよく知らない、若い連中は物心もついていないと、どうしてこういうレンジの狭い選曲をしてしまうのか私は。
 30代には大受けでしたけれども。

▼今日の夕方、お兄ちゃんの同級生のお母さんから電話があった。
「うちの子、そちらにおじゃましてません?」と。
 よくある話である。活発な1年生となると鉄砲玉もいいところなので、最初は公園へ遊びに出ても、急に気が変わって友だちの家になだれ込んだりする。お母さんも、夕飯時になっても戻らない息子が気になったのであろう。
 そばに息子がいたので聞いてみた。
「しょうきくんのママやねんけどな、なんかまだ帰ってけえへんねんて。迷子になったんちゃうかいうて心配してはんねんけど、お前、今日見かけへんかったか」
 息子も心当たりがないというので、ひとまずその旨を伝えて電話を終えたのだが、息子はゲームボーイを置いてすっくと立ち上がった。
「なおちゃん、さがしにいってくる」
「どこへ行くねんな」
「しょうきくんの家」
 いや、おまえ、それは、お母さんが家から電話してきてるのに、なんか理屈がおかしいぞ。
「道歩いてたらともかく、どうせ誰かの家に遊びに行ってんねんやろから、さがしに出てもわかれへんで」
 と言ってはみたのだが、息子は真剣に探す気になっている。玄関に出て靴まで履きかけてるのである。
 仕方なくつきあいましたけどね。手をつないで、近所から小学校までぐるっと回ってきました。案の定、その子どももそのへんを歩いてるわけがない。
 結局ほどなく帰ってきたとのことで、息子も愁眉を開いたのだが、なんかこう、相変わらず父親に似ぬ性格である。

▼下のチビさんは、3歳児だというのにチューインガムが大好きです。で、ともちゃん用に、いくつか子ども向けのガムをストックしてあります。しかし、好き放題に与えるのも具合が悪いということで、サイが「お願いの仕方」を工夫したようです。
 ともちゃんは、ガムがほしくなると、下のようにしてサイにお願いします。

おかーさま(いったん胸の前で合わせた手を、腕を伸ばして大きく開く)
ともちゃんのガムください(再び胸の前で手を合わせて、身体をちょっと横に傾ける)
ぴよぴよぴよ(肩の横で両手をひらひらさせる)

 それは、しつけというより、芸を仕込んでるだけのような気がするぞ。


2001年5月21日(月)

 先日、家族で大きなおもちゃ屋へ行った。
 今時の大きなおもちゃ屋は、たいてい店内のあちこちにモニターがおいてあって、子どもの喜びそうな(かつキャラクター玩具の宣伝になりそうな)ビデオを流している。
 その場所では、「もっと! おじゃ魔女どれみ」のミュージッククリップが流れていた。流れる主題歌に合わせて、モニターの中では主人公たちが踊っていた。
 そしてその前で、年の頃なら15、6歳、結構大きな知的障害とおぼしき男の子が、楽しそうに画面に合わせて踊っていたのである。
 するとそこへ4、5人の男子小学生が現れた。見たところ5年生ぐらいで、休日なのに全員カバンを持っていたところを見ると塾帰りなのだろう。
 これがタチが悪い。物陰から、踊っている男の子を見て、ギャハギャハ笑うのである。それが一瞬笑って立ち去るならまだしも、代わる代わる指をさしては身をよじって笑い続けている。不愉快極まりない。
 あんまり頭にきたので、「君ら、なにがそんなにおかしい」とでも言おうと、一歩を踏み出したときである。他の売り場を物色していたのだろうか、そいつらの仲間の一人が戻ってきて、その様子を見るなり、いきなり一人の胸倉をつかんだ。
「笑うな! 笑うことちゃうやろ! お前ら自分がそんな風に生まれてたらどうすんねん!」
 えらい剣幕である。顔を真っ赤にして真剣に怒っている。
 もちろん、笑っていた連中がしゅんとなったことは言うまでもない。

 感動した。小学校の4、5年生で、そういう怒りを持ちうる子どもがいるとは思わなかった。めちゃめちゃかっこよかった。
 そばに両親がいれば、握手を求めて、どんな風に育てたのか聞きたいところであった。

 うちの息子たちにも、そうなってほしいと思う。ええかっこしいと言われようと。友だちに煙たがられようと。
 ある意味、勉強よりはるかに大切なことなんじゃないだろうか。


2001年5月24日(木)

 その昔、SFを書こうと思ったことがある。もう二十年近く前、学生のころの話である。
 きっかけは、ひとつの視覚的なイメージを思いついたことによる。
「皆既日食を月から見ればどうだろう」
 星の瞬かぬ漆黒の宇宙を背景に、巨大な青い地球が浮かんでいる。その中を、自分の立つ月の影が横切って行くのである。地球にいて月食を眺めるより、はるかにすごいスペクタクルだろうと思った。
 小説の舞台は当然月面である。月旅行が日常化し、観光用の町を擁する大きなドームが月面にあるという設定を考えた。
 スタイルはサイバーパンク。W.ギヴスンの『ニューロマンサー』にショックを受けたところだったのだ。ついでに言えば、背景に環境保護団体や労働組合、政治的な過激派をからめるつもりもあった。これはもちろん『さよならジュピター』や大友克洋の影響である。
 加えて文体はハメットばりのハードボイルド。これは趣味による。
 そしてタイトルも決まっていた。「HIGH MOON」という。言うまでもなく、西部劇「HIGH NOON」のもじりである(邦題は「真昼の決闘」)。だから当然クライマックスは、星空に浮かぶドーナツ状の地球の下で、市民に見放された孤独な主人公が、ならず者の集団と対決するという話になる。
 はずだった。
 でも結局、書き出しの2、3枚しか書かなかった。あとは書けなかったという方が正しいかもしれない。

 だから誰か書いてくれませんか。今なら、上記アイデアをタイトル込みで格安でお譲りします。今流行のライトノベル風にアレンジすれば、結構いい線行くような気もするんですが。
 980円プラス献辞あたりでどうでしょうか。


2001年5月25日(金)

 平日の更新が途切れがちなのには理由がある。
 まず第一に、たいてい酔っ払っている。特に今の時期は、歓送迎会だなんだと飲む機会も多いので、へろへろで帰るとすでにテレホタイムなんてざらである。
 第二に、早く帰る日はたいてい仕事を持って帰っている。私の仕事の半分は文書作りなので、どうしても時間が迫って(いつも迫っている)、その日のうちにできなかった分は(いつもできない)、持ち帰ってしまうのである。
 だからといって、家でバリバリ仕事をするかといえば全然そんなことはない。夜遅くになっても、仕事用のワープロとパソコンの間に座って、どっちにしようとうんうん唸るだけなのである。ここで気合を入れてワープロに向かうべきなのはわかっているのだが、たいてい、「ま、とりあえず10分ほど。メールのチェックだけしとこう」とパソコンのスイッチを入れてしまう。ところが気がつくと、メールチェック→自分の掲示板→定期巡回→新規開拓→2ちゃんねるの変なスレ→ついでにフリーセル→午前2時、というお決まりのコースをたどっている。で、結局「うああああああ」と頭をかきむしって床につくのである。課長ごめん。
 第三に(これが一番多い)、9時までに夕食がすんだ日は、ほぼ必ず子どもに添い寝をさせられるのだが、どうも一緒に寝てしまうのである。
 パジャマ姿の子どもに、
「おとうさん、いっしょにねてー。ちょっとでいいからー」
 と懇願されると断れるものではない。
 よし30分だけ、と固く決心して一緒に布団に入ってやるものの、これが下手をすると子どもより先に寝入ってしまう。
 で、気がつくと12時を過ぎていたりする。ちくしょーまたやってしもたーと腹立ちまぎれに、横ですやすや眠っている子どもの頭を踏んづけてやりたくなるのだが、自業自得なのでさすがにそれは思いとどまる。そして、強引な寝起きでダルダルの体を引きずって風呂に入るともう1時である。更新もヘチマもない。当然、持ち帰っている仕事もパーである。課長再びごめん。

 というわけで、平日に更新ができている日は、よほどラッキーだったと思ってください。
 そういう日はたいてい、仕事中に日記を書いてフロッピーで持ち帰った日なので。
 課長やっぱりごめーん。


2001年5月26日(土)

 携帯電話の機種変更をしたばかりなので、このところカスタマイズに凝っている。ま、じきに飽きることはわかっているけれど。
 とりあえず着メロは、ドラクエのオープニング・テーマをダウンロードした。ついでに、メールの着信音は同じくレベルアップ時のSEである。着メロは、FFでチョコボに乗ったときのやつなんかも魅力的だったのだが、ちょっと見当たらなかった。
 となると、次は待受画面である。オタクくずれの面目もあるので、くそマイナーなアニメ・キャラやアイドルの写真なんかも考えたのだが、ここはやはり、バカ親のプライドに賭けて(どんなプライドや)、「子どもの写真」に如くはない。
 で、今必死にデジカメのストックを加工しているところなのである。時間がかかるんだこれがまた。いざ選ぶとなると、なかなかいいのないし。

 みんな、着メロや待受画面はどうしてるんだろう。電車の中ではいわゆる「最新ヒット曲」てのを耳にすることが多いんだけれど。待受画面なんかはデフォルトが多いんだろうか。
 なんかいいのがあったら(ていうか、自慢のやつ)、教えてもらいたいものである。


2001年5月29日(火)

 流行りものに手を出してばかりいて情けないのだが、「ベイブレード」はなかなか面白い。
 ここ数カ月というもの、行く先々のおもちゃ屋で、「ベイブレードは売り切れました。次回入荷は未定です」という貼り紙を目にしていて、どうも気になり始めていたのだ。アニメの流行以前にはいくらでも売っていて、そのときはあんまり気にならなかったのに。
 それがつい先日、行きつけのおもちゃ屋の店先で(いい大人が「行きつけのおもちゃ屋」もないとは思うが)、群がる子どもたちをかき分けてみると、ベイブレードとその関連商品が山と積まれていたのである。
 どれも五、六百円のものなので、一揃い五千円分ほど買ってみた。大人買いである。もちろん息子たちのためにであることは言うまでもない。言うまでもないったら。

 早い話がベーゴマである。マンガを知っている人ならわかると思うが、プラスティックと金属部品による組立式のベーゴマ(これがベイブレード)を、「シューター」というコマ回し器で回して、洗面器みたいな「ベイスタジアム」で闘わせるのである。当然、弾き出されるか先に止まると負けとなる。くそややこしい「遊戯王カード」とちがって、実にわかりやすい。
 このベイブレードがなかなか凝っているのである。ちょっとした部品の工夫なのだが、ひたすら地味に回り続けるやつ、はじめは走り回るが相手にぶつかると芯が飛び出して直立安定するやつ、駆け回りながらぶつかるたびに形が変わるやつ、相手にぶつかると突然ジャンプするやつまである。
 そして、それぞれパーツを付け替えることで、自分なりにカスタマイズできるようになっている。それでいて、ミニ四駆とはちがい、いくら精度や調整を誇っても「最強」というものがない。ぶつかった拍子に、フィールドから飛び出す飛び出さないには、かなり運も作用するのである。
 本当のベーゴマのような回す技術もさほど必要ではない。

 ひととおり試して要領を体得してから、子どもたちとの勝負に挑んだ。もちろん、子どものために買ったのであるからそれでいいのである。一番勝てそうなやつをお父さんが確保したとか、そういうせこいことは決して……してなくもなくもなくもなくもなくもないが、内緒である。
 普通のシューターは力で回すのだが、ゼンマイ式のやつも買ったので、ともちゃんも参加できる。そこで三人でやった。
「うりゃー」
「あほこらおまえ、なんでそんな後から入れるんじゃー」
「うわ、ともちゃん勝つかー」
「なんでこれお父さんのが一番先に」
「なにこらおまえの方が先に止まったやろ」
「出たら負け出たら負け、引っこんどけ」
「ともちゃん、お父さんのをつかんだらあかーん」
「なにがもうやめるじゃ、ラスト10回いくどー」
 これがけっこう熱くなる(おもに私が)。
 大盛り上がり大会である(もっぱら私が)。

 というわけで例によって、息子たちに父親の威厳を見せつけたわけだが、こんな偉大な父親を持って、息子たちがかわいそうな気がする。いや偉大かどうかはともかく、たんに父親がこんなでかわいそうかもしれない。
 かわいそうて。


2001年5月30日(水)

 上の子が小学校の健診で、アレルギー性の結膜炎の気があるといわれてきたので、先日眼科へ連れて行った。
 ついでに視力検査をしてもらったところ、両眼とも1.0前後しかない。小1の分際で生意気である。私は今も裸眼で1.5は楽勝なので(たぶん小1の頃なら2.0以上あったと思う)、近視の強いサイの影響かもしれない。
 というわけで、「没収じゃー」とゲームボーイを取り上げた。もともとそんなに長時間遊んでいたわけではないが、目を大切にしないといけないという啓発の意味もこめての措置である。

 ところで、今日帰宅すると、息子がなにやら電卓を叩いている。算数に目覚めて四則計算で遊んでいるのかと思って手元をのぞくと、一生懸命「=」キーを押して数字を増やしている。
 どうも最初に「1++1」と入力して、カウンター代わりにしているらしい。同じ演算記号を二度押しすると、あとは「=」で同じ入力を繰り返せることを覚えていたとみえる(たとえば、「2××1」ではじめると、2、4、8、16、32、……、1024、2048、と2の乗数になる)。
 しばらくして息子が言った。
「お父さん見てー、ほら、5000いったでー」

 なにもゲームボーイ取り上げられたからって、そんな地味な遊びを延々とせんでも。

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