大魔神

1999年12月6日(月)公開 あの大魔神のむしまるカヴァー


 時は江戸時代中期。物語は夏に始まる。
 所は越中と飛騨の国境にある飛騨高倉藩。城下とそれにほど近い山あいの寒村、柘植村を舞台とする。
 柘植村に住む吾一は、炭焼の祖父を手伝う少年である。父は木を伐りに山へ入り、倒れてきた木の下敷きになって死んだ。母も先年、疫病にかかって倒れた。今は祖父と二人暮らしである。したがってすべてのことを一人でしなければならない。山で大きな木を伐り倒して細かくし、祖父の窯まで届けるのはもちろんのこと、薪割り、水汲み、飯炊きと日常の仕事もたいてい吾一がしている。そのせいか十五歳とは思えないたくましい体格である。
 その日、吾一は城下町まで炭俵を売りに来ていた。炎暑のもと、馬の背に祖父の焼いた炭の俵を積み上げ、城下の炭問屋まで売りに来るのである。そして数日間というもの朝から晩まで、炭問屋での荷卸、荷揚げを手伝い、いくばくかの現金を得る。それは過酷なまでの重労働で、酷熱と粉塵のなか吾一はいつも全身真つ黒になって倒れそうになる。
 何日間かの仕事が済むと、吾一は町で味噌やしょうゆを買い込み、柘植村へ戻ることになっているのだが、まだまだ町そのものが珍しい年ごろの吾一は、その日少し城下を歩いてみる気になった。
 その頃城下には飛騨でも名高い剣術道場があった。直真影流片岡道場である。藩主の指南役をも務める道場主の片岡玄心斎信孝は、かって飛騨の大天狗と称された達人であったが、いまや隠居の身に近い。現在は、その息子で師範代の片岡新左衛門広孝が、指南役も含めて道場を取りしきっている。腕前も先代を凌ぐのではないかとの評判が高い。
 吾一は道場の前を通りかかり、通りにまで響く甲高いかけ声と撃剣の響きに、引き寄せられるように脇の武者窓に近付いた。吾一が背伸びするとちょうど目の高さにある窓からのぞき込むと、若い侍たちが竹刀で打ち合う姿が目に入った。我を忘れて見入っていると、何者かに尻を引っぱたかれて仰向けに転んだ。見上げると道場の稽古着を着た若侍が三人、腹を抱えるようにして笑っていた。
 「なにすんだ!」
 叫ぶ吾一に、こいつが殴ったらしい、先輩格の男が手の竹刀を突き付けた。
 「やかましい、神聖な道場をてめえみたいな小汚ねえ小僧にのぞかれてたまるか」
 ほかの二人も聞くにたえない雑言を投げつけた。その間何度も吾一の頭を竹刀で小突く。それにはさすがに吾一も耐えかねた。
 「炭焼のなにが悪い! おめえらのどこがどう偉いんだ、こんちくしょう」
 手近の棒っきれをつかんで、吾一は向き直った。大乱闘になる。
 表の騒ぎを聞きつけて、片岡新左衛門が現われた。まさに怒鳴りつけようとした瞬間、吾一の動きを見て息を呑んだ。飛び掛かり飛び退く跳躍力、振り下ろす割木の速度、どれもが新左衛門の目を見張らせた。
 しかし、いかんせん剣術というものを知らなさすぎた。理に適ったものでない動きは、三人も相手にして到底かなうものではない。たちまちのうちに、竹刀で打ち据えられ、打ち倒された。
 そのとき、若侍の一人が新左衛門に気づいた。慌てて仲聞を止めて、言い訳を始めた。
 新左衛門はみなまで言わせず、三人にひと月間の稽古禁止を命じた。そして、倒れてうめく吾一を引き起こして、道場の裏の屋敷の庭先へ連れていった。
 「名はなんと言う」
 「柘植村の吾一です。お侍様」
 「道場をのぞいておったそうだが、剣術が好きなのか」
 「申し訳ございません。なんだか楽しそうじゃなあと思っただけでございます。お許し下さいまし」
 吾一は土下座をして許しを乞うた。
 「はっは、なにも怒ってはおらん。お前がよければ剣術を教えてやるが、どうじゃ」
 新左衛門にして見れば、ちょっとした気散じのつもりだったのかもしれないが、吾一は大喜びであった。早速その日は日暮までかかって、素振りの基本を教えてもらった。
 使い古しの木刀をもらって帰った吾一は、祖父にそのことを繰り返し話し、その晩から素振りを始めた。
 それからは毎朝寅の刻(午前3時)に起きだし、炭焼小屋からまだ一里(4キロ)以上山に入ったオオミカミ様の社まで駆け通し、その前で一刻(2時間)近く素振りをするのが日課となった。水汲みと飯炊きはそれからである。
 オオミカミ様は柘植村の守り神とされている大きな神像である。といっても露出しているのは頭部のみで、その前に小さな祠が置かれている。大部分の村人は地中に身体があることなど想像もしていない。ただ、太古の昔に破壊神として大暴れし、唐から来た高僧とその神刀によって封じ込められたとの伝説が残っている。そして祠の中にはそれらしき一振りの大刀が納められていた。
 吾一の奇矯な行動はすぐに村人の知るところとなった。大人たちは奇異なものを見る目で吾一を見た。仲間たちは憑かれたように木刀を振り回す吾一を見て笑い、侍にでもなるんかいと冷やかした。暖かい目で静かに見守る吾一の祖父は、そんな村人を鼻先で笑い飛ばしていた。
 そしてもうひとり吾一には味方がいた。幼ななじみのおさよである。おさよの家は柘植村でも指折りの本百姓で、それなりに裕福ではあったが、小さい村のことである、貧しい炭焼の吾一と山菜取りにでかけようが、撃剣の真似事を始めた吾一の肩を持とうが、子どものこととして苦笑される程度であった。
 吾一はそんなおさよをうれしく思い、はにかみながらも覚えたばかりの型を見せてやったりしていた。おさよも、お侍さんになるんなら字ぐらい覚えにゃあ、名前が書けんでは恥かしいわと、合間を見つけては、いろはのいの字から教えてやり始めた。
 飛騨高倉藩の現在の当主は、高倉備前守宣親である。先代の君主、父の頼親は名君の誉れ高く、街道の整備や商業の振興など数々の難事業を、低い年貢と領民の協力でやりとげたものであった。しかし、備前守宣親は一転して暗愚の主君であった。昼は鷹狩りに馬の遠乗り、夜は能楽に酒宴と、連日連夜の遊興で、日が昇ってもめったに奥向きから出てこず、政務など気にもとめない様子であった。が、それはむしろ家老の松永図書頭のせいでもあったかもしれない。松水は阿諛追従で備前守に取入り、筆頭家老になるやいなや、備前守を政から遠ざける一方で、自らは欲しいままに藩政を操っていた。年貢はたびたび引き上げられ、領地は荒れ放題となり、民衆の怨嵯の声もひとしおであった。ただ、先代の頃から仕える心ある家老、田島大炊頭や近藤安芸守らの尽力によって藩としての体面を保っているに過ぎなかった。
 備前守は、その放蕩にもかかわらず、仏教信仰に熱心であった。先祖代々の命日には、菩提寺である円覚寺での盛大な法要を欠かさず、住職の維厳の説教を聞くのを好んだ。維厳は幼少の頃から高野山で修業を積んだ真言宗の高僧である。長ずるにつれて法力無双と謳われたが、その野心と欲の深さが災いして、数年前この山深い高倉藩に送り込まれてきたという。そして維厳自身もそれを快く思ってはいなかった。
 吾一はその後も熱心に稽古を重ねた。町へ出るたびに道場を訪ね、新左衛門の指導を受けた。新左衛門は、吾一の呑み込みの早さとその天稟に驚愕した。直真影流の様々な太刀筋を教えながら、数カ月ののちには目録以上の腕前を吾一に認めた。常人なら数年がかりでたどり着く位に達したものの、身分の違いを感じてか、吾一は道場に上がることを拒み続けた。しかしある日ついに、門下生との稽古試合を承諾させられ、先だっての若侍を含めて七人の相手と三本ずつ戦った。そのすべてに難なく勝をおさめたが、そのうちの一人は免許も目前であったという。新左衛門に一対一で教えを受けている吾一に対する門弟の視線は、ただでさえ厳しいものがあるのに、このときは全員が憎悪と嫉妬に燃えた目をしていた。片岡新左衛門は、吾一の天才には改めて感心したが、自分の軽率を恥じることにもなった。
 その頃維厳は、備前守に菩提寺である円覚寺の移築を進言していた。一夜、本尊の大日如来と高倉家の先祖の霊による啓示を受けたというのである。真偽は知らず、それこそが維厳の目下の宿願であった。まず寺院が大きく、伽藍が立派なものになる。そして寺領をもはるかに大きくできる。自分をここまで追いやった高野山を少しでも見返してやることができる。
 そして移転先には柘植村の名を挙げた。御仏の教えを軽んじ、オオミカミ様なる邪神を奉じる村が、高倉城を見下ろす山の中腹にあるなどもってのほかだというのである。
 維厳の言には一も二もなく従う備前守であった。城へ戻るやいなや松永図書頭にその旨を命じ、併せて年貢の引上げを指示した。田島大炊頭や近藤安芸守らは、切腹覚悟で諫言したが、聞き入れられるものではなかった。備前守にとって、田島や近藤は父の権威を振りかざす邪魔者に過ぎなかったのである。
 柘植村は度重なる年貢の引上げと、不作続きで疲弊の極みにあった。そこへ今回の強制移転である。はるか山奥の荒れ地に追いやられると聞いて、村人たちは怒り、嘆き悲しんだ。庄屋やおさよの父を含む主だった百姓たちは、何度も代官や郡奉行にかけあったが、松永図書頭の差し金で、いつも門前払いを食わされた。
 柘植村の人聞はそれこそ牛馬のように扱われた。女子供は追い立てられ、男たちは昨日まで平和に暮していた自分たちの家を破壊するように命ぜられた。抵抗する男たちは容赦なく殺され、村人は理不尽な運命を嘆きながらも山奥へと向かった。松永図書頭は、ここでもその光景を見て頬をゆるめていた。
 柘植村の受難にたいして他の村の反応は冷たかった。領中でもっとも貧しく、おまけに異端の邪神を奉じる柘植村は、常々他村の差別と軽侮の対象であったのである。
 それでもオオミカミ様の社の前は、柘植村の老人たちであふれ返った。老人たちは、そのせいで差別を受けていることなど気づくこともなく、村のために子どものために、ただひたすら祈り拝み続けた。しかし、当然のことながら石像は微動だにしない。
 ある夜、円覚寺に三人の男が集まっていた。住職の維厳に松永図書頭、そして城下で随一の豪商、近江屋万兵衛である。近江屋は米問屋から大きくなり、今では運送土木まで一手に扱っている。その三人が、酒肴を囲み、楽しげに談笑しているのである。話題は専ら柘植村についてであった。そしてその後に転がり込む巨大な金のことも。
 新しい円覚寺の造営だけでも何十万両の大事業である。引き受ける近江屋の元には、巨額の利益が残ることになる。そこでいま、維厳と松永図書頭の協力に対してとりあえず数百両の賄賂を約束しているのである。
 「こうもうまく話が運ぶとはの」
 と、維厳が笑う。
 「殿の信心様々というやつですな」
 「いや、松永様、松永様の御力がなければこうもとんとん拍子には行きますまい」
 やはり、近江屋がもっともうれしそうであった。
 柘植村の激変が始まる頃、吾一は町へ出かけていた。炭の卸しと剣術の修行のためである。ある夜、稽古を終えて炭問屋の小屋に戻る途中、十数人の男たちに取り囲まれた。夜空に三日月が白く浮かんでいた。侍らしかったが、全員頭巾を深くかぶっているために人相までは分からなかった。
 「なんじゃあ、おめえら」
 吾一が叫ぶと、黒い影は一斉に襲ってきた。吾一は木刀をとって駆け出した。囲まれては不利である。吾一は駆け、駆けては振り返り、追手を一人ずつ殴り倒した。しかし次の瞬聞、吾一はつまずいて転倒した。影たちは殺到し、吾一はたちまち袋叩きにあった。唯一の救いは襲う方の得物も木刀であったことで、これは吾一を殺す意思のないことを意味した。それでも木刀といえど無傷で済むものではない。吾一はたちまち血だるまになり失神した。
 翌朝、吾一は町の人聞の手で新左衛門の屋敷に運び込まれた。幸い骨折はなかったものの、何日間も高熱にうめき続けた。
 新左衛門は吾一を襲ったのが、先日の遺恨を含んだ門弟たちであることにすぐに気がついた。といってもこればかりは若侍を責めるだけでは解決しない。いくら天才といえども吾一は柘植村の炭焼である。
 その直後に柘植村の急変が起こった。新左衛門も藩の指南役を務めている以上、安閑とはしていられない。そこで、吾一の熱が下がって間もなくのある早朝、まだ人気のない道場に吾一を呼んだ。そして、闇討の経緯と柘植村の災難を告げた。気色ばむ吾一をたしなめつつ言った。
 「吾一よ、もうここへは来んほうがよかろう。わしもそうそう師範代だけをしてるわけにもいきそうにもない」
 吾一は驚いた。平身低頭して、今後の指導を願い、柘植村の受難に対する助力を願った。新左衛門はそれに答えず、吾一を立たせると、竹刀を取って稽古を始めた。
 「これから柘植村は、おまえの力を頼ることになろう。修行を怠るでないぞ」
 そう言って、なんと吾一に直真影流の秘太刀と、無銘の大小を授けた。新左衛門にしてみれば、はなむけのつもりであったのかもしれない。
 新左衛門の屋敷を辞去する際、吾一は、母を失って以来初めて涙をこぼした。数カ月のことではあったか、貧しい炭焼きの自分を毛ほども軽んぜず、自らの才能に気づかせてくれた師を失うのは、吾一にとって身を切られるような思いがした。
 柘植村に戻ると、村の惨状が待っていた。吾一の家や窯は、まだかなりの山奥にあったので破壊は免れていたが、村はほとんど荒れ地と化していた。祖父は多く語らず、殿はうつけものじゃと一言吐き捨てた。
 ある日、備前守は久しぶりに鷹狩りを催した。柘植村の庄屋とおさよの父治右衛門を含む五人の百姓たちは、最後の手段として直訴の暴挙に出た。城下はずれの原野で、庄屋を先頭に訴状を差し上げながら、備前守の馬前に飛び出したのである。むろん取り上げられるはずもない。その場で捕らえられた。通常であれば、奉行の手によって吟味の上で死罪となるのたが、この場には松永図書頭がいた。一言の訴えも聞き入れられずに、五人は路傍に並べられ、全員首を刎ねられた。遺骸は草むらにうち捨てられ、五つの首はひとまとめに桶に放り込まれて、後日柘植村の庄屋屋敷の門前に届けられた。
 村人は地を撃って泣き叫んだ。怒り狂う吾一を引き止めるおさよもまた、打ちのめされていた。そして気がつくと吾一とともに、オオミカミ様の社の前にぬかずいていた。
 「オオミカミ様、なにとぞ、なにとぞ村をお助け下さいまし」
 後から後から涙はあふれた。
 そのとき大きな地鳴りとともに、大地が揺れ、二人は地面に投げ出された。岩肌が崩れ、オオミカミ様の全身が現れた。驚き見上げる二人の目の前に立ちはだかり、オオミカミ様は双腕を交差させて顔の前から頭上に差し上げた。その腕の下で、オオミカミ様の穏やかな顔は、恐ろしい憤怒の形相に変じた。オオミカミ様は、大魔神となったのである。
 大魔神は二人を見下ろし、うなずいた後、城下に向かってゆっくりと足を踏み出した。
 驚いたのは柘植村の住民と強制労働の監督をしていた兵士たちである。村人はわれさきに逃げ出し、三十騎ほどの兵士たちはたちまちのうちに踏みつぶされ、蹴散らされた。
 柘植村からの伝令を受けて、城内は大騒ぎになった。まるで戦のように何千もの城兵たちが駆り出された。
 天守からはるか遠くに大魔神の姿を認めて、備前守は混乱し始めた。戦国時代は遠く、戦など初めてなのである。右往左往して老臣の田島大炊頭にたしなめられた。
 維厳も異変には気がついていた。一片の書き付けを松永図書頭に届けるよう寺男に命じた後、円覚寺の本堂に巨大な護摩壇を用意し、一心不乱に祈祷を始めた。
 松永図書頭に届けられた紙片には、オオミカミ様の社にあった神刀について書かれていた。魔神の動きを封じるにはかの神刀によるしかないというのである。松永図書頭は即刻高倉藩随一の剣士である片岡新左衛門に神刀の奪取と魔神封じを命じた。
 大魔神は城から打って出てきた城兵をものともせずに突き進んだ。矢も鉄砲もその身にまとった古代の鎧には一筋の傷もつけられなかった。城兵たちは逃げ惑い、なす術もなく踏みつぶされた。
 そのとき、天空から一匹の火龍が飛来した。全身を紅蓮の炎に包まれた巨大な蛇体は、大魔神に倍する長さがありそうであった。火龍は炎を吐きながら大魔神を襲った。大魔神は初めて腰の神剣を抜き放ち、火龍に相対した。
 この火龍は、まさしく維厳の法術で生まれたものである。この法力無双の密教僧は、今や滝のように汗を流しながら、己の法術のすべてを賭けて大魔神を倒そうとしていた。
 一方、片岡新左衛門は馬を飛ばして山腹の社に向かった。瓦礫に埋もれた神刀を引っつかむやいなや手綱を取って返し、火龍と死闘を演じる大魔神の足下へ駆け込んだ。
 火龍の炎熱、落雷のような地響きをものともせず、新左衛門は馬上から跳躍し、魔神の膝頭に向けて神刀を一閃させた。すると、いかなる刀槍も受けつけなかったはずの鎧に神刀が鍔元まで突き刺さったではないか。それだけではない、大魔神は苦しげに片膝をつき、うつむいてゆっくりと動きを止めた。その瞬聞、火龍も虚空に消え、維厳は護摩壇の前で倒れていた。
 混乱が納まるには数日を要した。備前守も平静を取り戻し、維厳と図書頭に大魔神の処置を相談した。精神力を使い果たした維厳は、床にあって魔神像の破壊を進言し、図書頭がそれを仰せ付かった。
 片岡新左衛門は落馬の勢いで肋骨を傷つけていた。そして、柘植村の住民は再び強制労働にかり出され、酷使され、傷つけられていた。吾一とおさよもそれぞれの場所で苦役についていた。
 動きを止め、全身砂を吹いたように輝きの失せた魔神像の周囲には、大きな櫓と足場が組み上げられた。これから神像を破壊しようというのである。火薬、大たがね、掛矢、大槌と、ありとあらゆるものが持ち出され、城下には連日魔神像を打つ音が響き渡った。そしてある日ついに、大魔神の左腕が地響きを立てて落ちた。
 たまたまその場に居合わせた松永図書頭は手を打って喜び、周りの将兵にねぎらいの言葉をかけた。天はそれを悲しんだのか、その日は夕刻より激しい暴風雨になった。
 夜半にはますます風雨が強くなった。吾一は、これこそが好機と思った。オオミカミ様の膝から神刀を奪い、再び村のために立ち上がってもらうのである。そのためには、警備も手薄になるこの嵐に乗じるしかない。小声でおさよにそう囁きき、吾一は頭から渋紙をかぶって駆け出した。未明のことである。
 思った通り警備は隙だらけであった。夜明け前で人が少ないうえに、櫓までがこの風で吹き飛ばされそうになっていた。吾一は簡単に警備をかいくぐった。そして神像の足によじ登り、難なく神刀を奪い取った。
 暴風雨の中、魔神は再び立ち上がった。片腕のまま、張り巡らされた足場をはね飛ばし、神剣を天にかざした。破壊と殺戮の開始を告げる落雷が起こった。
 夜が明けても雲は重く垂れ込め、嵐は続いた。備前守は恐れおののき、天守閣で震えるばかりであった。維厳は床から這い出して再び護摩を焚き、火龍を呼ばんとして祈祷を始めた。松永図書頭はついに自ら数千の城兵を率いて大魔神に向かった。
 新左衛門は、魔神復活の知らせに驚いて跳ね起き、痛む胸を抑えて魔神像のもとへ走った。誰かが神刀を奪ったにちがいない。ならば再び撃ち込めるのは自分をおいてない。その誇りが馬を走らせた。
 大魔神が膝をついた場所まで来ると、吾一が神刀を抱えてうずくまっていた。すでに高倉城に迫りつつある魔神を遠くに眺めながら、頬を紅潮させていた。いつのまにかおさよもそのそばにいる。
 新左衛門は叫んだ。
 「吾一、推参なり!」
 「お師匠様!」
 吾一も叫んだが、なぜ新左衛門がここに来たかは気づいている。神刀をもって立ち上がった。おさよは引き止めようとしたが、二人のただならぬ雰囲気に言葉を呑んだ。
 無言の対峙が続いた。新左衛門が大刀を抜くと、吾一は神刀を正眼に構えた。新左衛門は上段である。気合いとともに新左衛門は面を打ち下ろしてきた。吾一はそれをはずして、籠手を打った。届かない。斬られる、と思った瞬間、新左衛門の胴をしたたか薙いでいた。新左衛門は二の太刀を出せなかったのである。
 「お師匠様あ!」
 吾一は血まみれの師に取りすがった。師の剣に常の冴えがなかったことに、吾一もまた気がついていた。
 「よく修行したの。これからも……」
 新左衛門はそこまで言って息絶えた。
 豪雨の中、地面に手をついて吾一は号泣した。かけがえのない、心の中では父とも慕った、唯一の理解者であった剣の師を自分の手で斬ることになるとは。吾一は運命を呪って唇を噛んだ。
 そのころ大魔神は、城壁に迫りながらも、再び現れた火龍と死闘を繰り広げていた。
 神剣で斬りつけても傷つかない火龍の吐く炎は大魔神を苦しめた。しかしついに火龍にぎりぎりと体を締め上げられて大魔神の怒りは心頭に発した。暴風雨の中、巨大な落雷とともに大魔神が腕を押し開くと、火龍の体はばらばらにちぎれ飛びはじけ飛んだ。その瞬間、円覚寺では維厳の目前で護摩壇が爆発するように崩れ、維厳も血を吐いて死んだ。
 暴風雨の中、大魔神は荒れ狂った。落雷を呼び、地割れを起こし、大軍勢を踏みつぶした。松永図書頭も近江屋も、大魔神の足の下で肉塊と化した。高倉城の天守閣は落雷に炎上し、備前守は乱心のうちに崩れ落ちる天井の下敷きとなって死んだ。それでも魔神の怒りは静まらない。
 吾一とおさよは酸鼻を極める光景に震え上がった。あまりの破壊と殺戮に、せめて大魔神を押し止めんものと神刀をつかんで山道を駆け降りた。城下に達して、二人は魔神の足下に駆け寄った。吾一は神刀を振り上げ、おさよは膝をついて祈った。城壁を破壊し、兵士を皆殺しにした魔神は、二人の上に足を踏み出した。まさに二人を踏み潰さんとしたとき、大魔神はゆっくりと足を引いた。そして初めて気づいたように周囲を見回して立ち止まった。いつの間にか雨は上がり、雲間から日光が差し込んでいた。大魔神は、神剣を握った右腕を頭上から顔の前へ降ろした。憤怒面はかっての温顔に還った。同時に、幾筋もの日差しに照らされながら、魔神の体はきらきらと輝く砂粒に覆われたように見え、風に吹き飛ばされるようにさらさらと消えていった。 二人は呆然とそれを見上げ、いつまでも黙ったままでいた。
 しばらくして柘植村にも平和が戻った。収穫の季節である。黄金色の田畑をおさよと吾一は、幸せそうに寄り添って見つめていた。

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