霊魂と心霊現象

1999年8月1日公開


 夏らしく、怪談話をひとつ。
 まずは私の経験した(私にとって)空前絶後の心霊現象体験から。

 もう30年近く以前になるが、小学生時代のある日(多分夏休みだったと思う)、僕は母屋で一人、留守番をしていた。
 離れには(まだ60代の)祖母がいたので、とくに無用心というわけでもなく、僕も心細くはなかった。
 昼過ぎに、僕の知らない年若い夫婦が祖母を訪ねてきた。
 私は無邪気に二人を離れに案内した。そして私は再び母屋で寝転がってテレビを見ていた。
 ほどなく、離れから祖母の(念仏のような、真言のような)何かを拝む声が聞こえてきた。
 祖母はもともと大変信心深く、ほうっておけば一日中でも仏壇や神棚に向かっているような人だったので、僕はとくにおどろかなかった。きっとまた、何かの供養をしてあげてるんだろう、そう思っていた。
 そしたら、離れから大声が聞こえてきた。
 「おまえらのせいでわしが……!!」
 「それがどうしたんじゃ!」
 「うぉ~っ!」
 大半は聞き取れなかったが、中年男性の叫びののしる声が母屋まで響いてきた。
 それと、それにかぶせるような祖母の真言。暴れているような物音。
 僕はテレビの前で思わず体育座りになって、首をすくめていた。
 十分ぐらいたっただろうか。そのうち離れは静かになった。
 しばらくして、その夫婦は小さな僕にもきちんとあいさつをして帰っていった。
 玄関先まで見送りに出てきた祖母は、彼らを送り出してから、僕に言った。
 「あの嫁さんに、死んだお父さんが憑いてはってなあ、お祓いに来はったんや」
 僕には声がなかった。あれはたしかに男の声だったのだ。

 後で聞いた話では、祖母は若い頃、拝み屋のようなこともしていたことがあるらしい。だから、お祓いや祈祷はお手のものなのだ。ただし私が直接経験した除霊のようなものはこのときの一度きりである。

 それでも、私は霊魂の実在を認めない。死んだ人間の魂魄なるものが、生きた人間に仇をなしたり護ったりすることがあるとは決して考えない。地縛霊や浮遊霊などもってのほかである。
 しかし、心霊現象の実在は信じる。上記の経験がまさにそれだからである。
 世間では、「霊魂の存在」と「心霊現象の存在」が混同されることが多すぎる。ここではそれについて少し書く。

 わかりやすい例でいうなら、「狐憑き」というものがある。
 これは今の精神医学ではヒステリー神経症の一種ということになっているらしいが、現在もあるという。
 そして、カウンセリングや薬物療法ではなく、「憑き物落とし」で治るというのである。
 つまり、「狐憑き」が存在すると、(患者も含めて)広く信じられている社会では、その症状はあくまでも「狐憑き」であって、「憑き物落とし」で治ると(患者も含めて)信じられているから治るのである。
 決して「狐の霊」が現実に憑依して、それを「落とし」たから治ったわけではない。
 「水子の霊」についても同じである。そんなものは実在しない。
 先祖供養云々同様、仏教に明るい人や良心的な僧侶に聞いてみれば、宗教上の概念としても、それがいかに商売優先のための異端の考えかということがすぐにわかる。
 しかし「水子の霊」に悩む人は多くいる。家族の病気やトラブルが、その「霊障」によるものと悩む(あるいはだまされる)人は少なくないという。そして、「水子」を供養することによって、トラブルそのものが解決することはないにせよ、悩みが癒されることも多いという。
 これらが「心霊現象」でなくてなんであろう。
 「心霊写真」しかり、「心霊手術」しかり。世に「心霊現象」はあふれている。

 これらを「認知的不協和」や「予言の自己成就」、「プラシーボ効果」、「転移」、「代償」といった、ある種の専門用語を用いて説明するのはたやすい。
 そう、「霊魂と心霊現象」の問題は、自然科学ではなく、すぐれて社会科学の問題なのである。

(説明不足だけど長くなりそうなので一応ここまで。つづきはいずれあらためて)

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