「筆先三寸」日記再録 2003年3月~4月

2003年3月1日(土)

▼ゲームボーイアドバンスSPは、やはり通勤の友となっております。
 渋いシルバーの折りたたみ型というのは、旧アドバンスとはちがって、電車でプレイするのにもあまり抵抗がありません。どうしても隣の人がのぞきこんでくるのが難ですけれど。
 で、やってるのはもちろん「逆転裁判2」。
 実は「逆転裁判」は、前々回の日記のあと速攻で買って速攻でクリアしてしまったのです。私程度のミステリ者でも甘いとしか言いようのないプロットに、わりと押せ押せの一本道的選択をしてれば、ほぼノーミスでクリアできたもので。
 「2」は、前作よりかなり歯ごたえがあります。バッドエンディングも1回見たし。でもまあたいしたことはありませんが。
 と、文句を書き連ねているようですが、どっちもとっても面白いです。評判にたがわず。
 知らない人にはなんのこっちゃてな話ですが、刑法も刑訴法も、ともすると憲法まで無視したような刑事裁判の場で、主人公の弁護士として奮闘するわけですよ、プレイヤーは。裁判前日には探偵の真似事をして手がかり集めたり、法廷では、証人の証言の矛盾をついたり、検察の見落としてた証拠を突きつけて、被告の無罪を勝ち取るのです。ついでに真犯人も明らかにしたりして。
 いやもう、はまるはまる。ていうか、ところどころ頭を捻るとこもありながら、適当にAボタン押してると話が進むので、通勤電車にもってこいなのです。

 そんなこんなで任天堂にお願い。
「T-time GBA版」を開発してください。そして、「青空文庫」みたいに、芥川とか漱石とかの全集カセット出してください。
 ついでに言うなら、ゲームボーイ第1世代も最近就職し始めていると思うので、そのへんのためにも、「朝日キーワード '03 GBA版」とか、「面接の達人 GBA版」(シミュレーションゲーム形式)とか出してください。
 とにかく、SPはそのへんのPDAより読書端末向きだと思いますよ。

▼全然話は変わるけど、だれもが知ってて、気づいて、考えて、答えを見つけたり、教えてもらったりしたことのあるネタについて、ちょっと思いついたので少々。
 というのは、「鏡が左右を逆に写すのはなぜか」問題についてである。陳腐なのはわかっているが、今わりとそんなのしか考えつかないのである。
 この問題については、マーティン・ガードナーの『自然界における左と右』(紀伊国屋書店)なんかを持ち出すまでもなく、誰もが一度は考えて、自分なりに解決したりしている問題であろうと思う。2chの物理板とかでも思い出したように出てくるし。
 じつのところ、出てくる答えは大体決まっている。「人間の目が左右についているから」(これは嘘。片目を閉じればわかる)とか、「左右ではなく前後が逆に写っている」とか、「逆になど写っていない!」とかいうのだが、どうも納得いかない。前後つっても、紙に印刷した文字も逆に写るし。
 そこで、なかなかいい説明を思いついた。ひょっとすると、もうたくさんの人がそんな説明をしているんだろうけれど、見たことないので「私も思いついた」ということにしておく。
 たとえば、鏡をマジックミラーであるとする。鏡の向こうから見た風景は普通の格好である。あたり前の話だが、ガラスを通して見ているだけで、なにも裏返ったりしていない。ということは、マジックミラーのこっち側で見ている鏡の表面の映像は、それを裏から見ていることになる。
 ということは、現像済みのポジフィルムを裏から見ているのと同じことである。それが鏡像なのである。だから当然すべて裏返る。
 私は、これを思いついて結構すっきりしたのだが、ここで気になるのが、私たちはなぜそれを「左右が逆になった」と認識するのかということである。「上下」ではなく。「前後」でもなく。
 つまり「鏡と左右の問題」は、物理学でも光学の問題でもなく、結局のところ認知心理学の問題なのだろう。


2003年3月11日(火)

▼8日(土)の話から。
 久しぶりのゴルフである。前回行ったのが11月で、それ以来練習どころかバッグも開けていない。のにゴルフである。
 実のところ、「バッグの中でクラブが腐ってたらどうしよう」とか思いながらも、結局一度も確認せずにスタートを迎えたところ、案の定、キャディさんに「15本も入ってますよ」と叱られた。一日回っても5、6本しか使えへんのに、入れすぎである。
 いきなりとほほな始まりであったが、午前中は調子よく回れた。ギブアップもあったし、池には2回はめたし、3パットも3回したし、4パットもあったけど、ドラコンの旗立てたり(後の人に抜かれた)、豪快なチップインボギー(チップインしてなんでボギーや)を決めたりできたので、私としては快調だったのである。ほっといてほしいのである。
 午後については触れたくない。タイガー・ウッズなら私の9ホール分で、1ラウンド半はしたであろうとのみ述べておく。
 帰りの車のウインドウが曇りがちだったのは気温のせいであって、決して私が半泣きだったせいではない。

▼続いて9日(日)の話。
 てなわけで、土曜日は遊んでやれなかったので、家族そろってプラネタリウムを見に行った。
 面白いぞ「大阪市立科学館」。さわって遊べる展示物(電磁石の実験とか、発電ごっことか)っがいろいろあって、なお&ともも大喜びであった。ただ、プラネタリウムはきれいで興味深いとはいえ、低学年以下にはちょっと退屈だったようである。もうちょっと大きくなったらまた行こうと思う。
 けど、問題はそのあとである。電化製品の買い物もあったので、梅田のヨドバシカメラに寄ったのだが、なおちゃんがまあ、疲れたのか、帰りたい帰りたいとしつこいことこの上ない。しまいにはめそめそしやがって、せっかくの行楽気分が台無しである。やっぱり田舎育ち、人ごみは苦手なのであろう。仕方ないので、「ソニックアドバンス」まで買ってやったのに(ともちゃんにはアバレンジャーの武器)、なおちゃんはその後も一日中不機嫌であった。もうどっこも連れて行ったれへんのんじゃー。

▼で、10日(月)。
 今日はともちゃんが大変だった。日曜日はなんともなかったのに、夕方、保育園からサイの勤め先に、「耳が痛いって泣いてます」との電話。
 サイが早めに仕事を切り上げてお迎えに行くと、ともちゃんはやっぱり泣いていたという。
 あわてて耳鼻科に連れて行くと、やっぱりというかなんというか中耳炎とのこと。鼓膜を切開してもらうと、だらだらだらーという感じで血膿があふれ出したらしい。夕食もろくに食べず、39度5分の熱が出たとか。
 私が帰宅したのは9時半ごろ。サイにその話を聞いて、ともちゃんの寝顔を見に行くと、目を閉じたまま「みみいたかってん」と教えてくれた。
 中耳炎。久しぶりに聞く言葉である。なおちゃんのときは、もう年中そればかりで右往左往させられたものだったが。
 それでもまあ、切開しちゃえばこっちのものである。
 早くよくなるといいね、ともちゃん。 


2003年3月14日(金)

 ともちゃんの中耳炎であるが、火曜日の夜は私が帰るなり、おかえりも言わずに、
「みみのせんせいのとこいってん。ちゅるちゅるーってして、なけへんかってん」と教えてくれた。
「てはおひざでがんばってん」とのこと。
 なんと泣きもせずに、しっかりと手をひざの上にそろえてがんばったらしい。
 結局、中耳炎はその後2、3度通院するだけで、あっさり回復したようである。
 通院に付き合ったサイの話によると、ともちゃんは自分でも言う通り、耳鼻科の診療用の椅子に座るなり、両手を膝の上にそろえて微動だにしないそうである。鼻汁を機械で吸い取られるときにも顔をしかめすらせず、意外なほどのがんばりやさんであることが判明した。普段、自分なりに納得のいかないことをさせられるときは、どうしようもないほど親の言うことを聞かないのに。
 そんなともちゃんの最近のお気に入りの言葉から。
「うんちぶりぶりー」
「ちんちんぶらぶらソーセージ」
「おっぱいビヨンビヨンおおもりいっちょう!」
 おっぱいがなぜ「大盛り一丁」なのか理解に苦しむところもあるのだが、とりあえず正しい幼児の道を歩んでいるようでひと安心である。


2003年3月15日(土)

▼「逆転裁判2」も、今週のうちになんとかクリア。
 いやもう、通勤時は至福の時間であった。
 でも、クリアしてしまうと、なまじ長時間通勤の楽しみを覚えたせいで、次がほしくなった。目新しくて、面白くて、じっくり楽しめるやつ、ということで購入したのが、もちろん「ファイナルファンタジー・タクティクス・アドバンス」である。給料日前なのに。
 早い話、(「信長の野望」より「半熟英雄」みたいな)シミュレーションゲームってやつなのだが、ちょっとやってみるとこれが面白い。
 しかし、これがまた操作がむずかしい。ルール覚えるのも面倒だし、FFの常としてジョブやアビリティも把握するまでが大変。こういうのはなにが起きようと、シナリオがどう展開しようと、無意識にサクサク操作できるようにならないと本当に面白くならないのはわかるのだが、ボタン全部使いたおすし、ワールドマップとかバトル時とかでも、LボタンやRボタンをしょっちゅう押さないといけない。そのへんでずいぶんストレスがたまる、ていうかおっさんにはつらいものがある。道具屋で装備そろえるのにもひと苦労ってのはなあ。取説読んでもそこまで書いてないし。いーってなるのは私が悪いんでしょうか。

▼写真集を買った。ヘルムート・ニュートンとか、ロバート・メイプルソープとか、そんなんではない。いわゆる女性の水着の写真集である。
 もちろん、そんなものめったに買うことはない、せいぜい4、5年に1冊というところである。
 購入に当たっては、私なりの条件がある。
1 モデルが好み。
2 顔が非常に売れている。
3 でも1冊以上出るとは思えない。
4 ∴ひょっとすると値が上がる。
5 定価3000円以下。
 だから、1や2を満たしていても、3ではねられる有名グラビアアイドルのそれは買おうと思わない。イエローキャブ系やモー娘。などもってのほかである。
 一方、たとえ1と3を満たしていても、週刊プレイボーイに1、2回出ただけのような二束三文の小娘には関心すらない(2でアウト)。
 そうなると、なかなか条件に合うのがないのもご理解いただけるであろう。前回はもう何年前になるのかも定かではないが、吉本多香美(レナ隊員)の写真集であった。
 というわけで、今回買ったのは小野真弓(アコムのCMの娘)のである(ワニマガジン社)。
 すでにオカズがどうとかいう年でもないので、ある種の記念みたいなものである。値上がりもしくは将来の「持ってる自慢」を祈りつつ、一回ざっと目を通して本棚に放り込んだ。
 ただ今回書きたかったのはそういうことではない。これを買おうとして本屋に行ったときのことである。
 目指す棚の前に、一人の男性がいた。脂っぽい中途半端な長髪にメガネ、おじさんコートにひざの抜けたジーンズ、デブでこそなかったが、剥製にして博物館に置きたいような姿である。もちろんその説明プレートは「オタク」。
 ともかく、彼はドンと積み重なった写真集の束を(ビニールかかってるのに)一冊ずつ点検して、5冊も買った。計14700円(消費税込み)である。太っ腹というかなんというか。
 みんなに頼まれて、という様子ではない。出版社のバイト(書店の販売ランキング上げのため)なのだろうか。それとも単に大ファンなのか。
 少なくとも全部自分用なのであろう。「保存用」「観賞用」「交換用」「売却用」「ばらしてスキャニング用」といったところだろうか。予断と偏見に満ちまくっている気もしないでもないが。
 うーむ、ヲタ道はやっぱり奥深そうである。


2003年3月16日(日)

 たいていの公務員は年3回に分けてボーナスをもらうのだが、この不況で春の分はなくなったと思い込んでいた。
 ところがまあ、本当に少しだけれどもらえたのである。いいかげんな話だが、なくなったというのは私の勘違いだったらしい。
 で、金曜日に雀の涙ほどの現金を持ち帰ったら、サイの喜ぶこと。
「これで固定資産税が払える」
 そんなに苦しかったのか我が家は。
 それでも、よかったよかったと夫婦そろって喜んでいると、昨夜いきなり冷蔵庫がこわれた。
 結婚時に購入した相当古いものなのでもう寿命なのだとも思う。冷蔵室がさっぱり冷えなくなった。
 仕方なく今朝、大あわてで新しいのを買いに走った。機能やメーカーを選ぶ余裕などない。条件は「すぐ配達できるやつ」のみである。
 というわけで、現在台所では新品の冷蔵庫が、うなりを上げて私のビールとサイのアイスを冷やしてくれているのだが、おかげで税金が払えなくなりました。
 どうしよう。


2003年3月17日(月)

 いよいよ戦争が現実化してきた。
 先週までとはちがって、ぞわぞわと悪寒がする。
 新聞に載ったブッシュの顔を見ても、怒りや不快感じゃなくて恐怖しか感じない。電車で乗り合わせたヤクザを見たときの感じに似ている。
 だって人が死ぬんだよ。それもたぶんいっぱい。
 フセインが独裁者? そうかもしれないが、イラク国内の様子はそれほど(スターリン時代のソ連のような、あるいは北朝鮮のような)でもないじゃないか。アジズなんてキリスト教徒だぞ。イスラム原理主義ってんなら、サウジアラビアの方がひどいだろ。
 イラクが十いくつの国連決議を無視? イスラエルどうすんだよ。無視した国連決議は百どころじゃないぞ。大量破壊兵器どころか核兵器まで持ってるじゃないか。
 イラクは大量破壊兵器を隠し持ってる? いちおう国連の査察団を受け入れてるじゃないか。長距離ミサイルだって処分してるじゃないか。隠してるなら隠し続けさせとけばいいじゃないか。隠してる間は誰一人それで死ぬことはない。
 査察に時間がかかりすぎ? 十年でも百年でも査察しとけばいいじゃないか。戦争より金はかからない。人も死なない。
 なのになぜ戦争なんだ? なのになぜそんなに人(米兵含む)を殺したいんだ?
 ぜんぜんわからないよ。
 涙が出そうだよ。あのクソ大統領の頭の中を想像すると。


2003年3月22日(土)

▼ともちゃんの通う保育園には、サッカー部みたいなのがある。夕方になるとコーチみたいな先生が来て、ちっこいのをいっぱい集めて、サッカーごっこをさせてくれるのである。
 サッカーといっても、結局のところチビさんたちが、磁石に集まる砂鉄のようにみんなでボールを追いかけまわすだけなのだが、やっぱりそんなクラブでも準備運動もある。
 で、先日の話になるのだが、ほかのみんなが足上げをしているときに、ともちゃんは、胸にボールを抱えて、ひとりでうろちょろしていたらしい。半分遊びとはいえ、しつけや礼儀は重要である。だから当然、ともちゃんは先生に叱られたらしい。
 その夜、テレビを見ているときに、ともちゃんが自分から、そんなこんなを教えてくれた。
「まつむらー、ちゃんとせー、ておこられてん」
 そして、ともちゃんは右斜め下を向いてぼそりとつぶやいた。
「えらそーに」
 おまえが悪いんちゃうんかー。

▼松浦あやとか、藤本美貴って面白い。もうなんか昔のアイドルバリバリで。ていうかパロディみたいな気もするけど。
 その昔、小泉今日子が「なんてったってアイドル」で、アイドル概念の語りをメタレベルへ引き上げて以来、この手のアイドルなんかほぼ絶滅したはずだったのに(その中でただ一人、成功した例外が高橋由美子だろう。その後は細々と「アイドル系声優&大きいお友だち」の地下世界へ潜んでしまっていた)。
 それがここへ来ての「清純派アイドル」の復活である。

 そんなことを思ったのも、テレビに出ている松浦あやを見ていたときである。
 ふと横を見ると、ともちゃんも一生懸命テレビで歌う松浦あやに見とれている。
 それでちょっと質問してみることにした。まずは搦め手から。
「東京ミュウミュウとギャラクシーエンジェルと、どっちが好き?」
「とうきょうミュウミュウしかないやん。おんなのこだいすきやし」
 遠回しに聞いたお父さんの気持ちを斟酌することなく、いきなり直球のお答えである。
「ほな、東京ミュウミュウとあやややったら?」
「あやや」
 間髪を入れずとはこのことか。ませてるというのかなんというのか。
 大きくなったらあややみたいな彼女を家に連れてくるように。特にお父さんが家にいるときに。

 そのやり取りを横で聞いていた、なおちゃんにも聞いてみた。
「東京ミュウミュウとギャラクシーエンジェルと、どっちが好き?」
 ところが、この2年生はいきなり照れるのである。
「うーん。面白いほうやったらな、ギャラクシーエンジェルのが面白い」
 無理やり妙な前置きをはさんだりする。そんなん聞いてないて。
「だから、どっちがかわいい?」
「うーん」
 なんでそこでこたつにもぐりこむ。
 そこへ追い打ちをかけるように聞いてやった。
「ほな、東京ミュウミュウとあやややったら?」
「うううううう」
 なおちゃんは真っ赤になったまま、どんどんこたつの奥へもぐりこんでいく。
 お年ごろというやつですか。


2003年3月25日(火)

 3月24日は小学校の修了式。なおちゃんもいよいよ4月から3年生である。
 ところが、この日学校で、とても残酷なことがなおちゃんの担任教師の手によって行われた。
 なおちゃんが犠牲になったわけではないので、学校へねじ込むような話ではないのだが、その話をなおちゃんから聞いてから、どうにも腹立ちがおさまらない。

 ことの起こりは先週の宿題である。 なおちゃんは、「ありがとうカード」ともいうべきものを5枚持って帰ってきた。
 かわいいイラストのあしらわれたB5の用紙には、お友だちの名前と自分の名前を書く欄、そして少しの文章を書くスペースがあった。
 どうやら、誰でもいいのでお友だちに、うれしかったことやありがたかったことのお礼を書きましょうということらしい。
 2年生最後の宿題である。当然なおちゃんはがんばって書いた。コタツに向かって頭をひねりながら、だれにしよう、何を書こうと、苦労して書いた。そして結局、「○○さんへ。いつもあそんでくれてありがとう」とか、「○○くんへ。ポケモンのいるところをおしえてくれてありがとう」とか、他愛もないものに落ち着いた。
 そして、明けて昨日の月曜日、終業式である。
 先生はそこで集めたカードを、それぞれのあて名にあげられている子どもたちに配ったという。
 それだけでは何ほどのこともない、微笑ましい学級活動のように見えなくもない。
 しかし、誰も彼も一人5枚も書いているのである。当然人気のある子ども、友だちのたくさんいる子どもにはたくさん集まる。その子どもたちはみんなにいっぱいありがとうを言われて大満足である。反対に、目立たない子どもやおとなしい子どもには、あまり返ってこない。
 なおちゃんも、残念なことに赤字となったが、女の子の書いたカードを2枚もらって帰ってきた。
 ところが、クラスにただ一人、1枚ももらえなかった女の子がいたというのである。
 私はその話を聞いてとても悲しい思いがした。自分も幼い頃はそんな子どもだったせいかもしれない。
 ほんの8歳の女の子が、一生懸命友だちの顔を思い浮かべて5枚も「ありがとう」のカードを書いたのである。にもかかわらず、誰からも、ただの一人からも「ありがとう」を言ってもらえなかったのである。
 その女の子は、小さな胸をどれほど痛めたことだろう。どれほどへこんだことだろう。
 そして、もう3学期の末、2週間もすれば学年も変わる担任も変わるという時期なのに、先生からのフォローも特になかったらしい。
 私が「残酷なこと」と書いた意味がわかっていただけたかと思う。

 この教師はいったい何を考えているのだろう。
 私は常々、学校現場にはびこる平等主義は批判的にみてきた。学力別クラス編成にはむしろ賛成だし、運動会の徒競走で全員1着など愚の骨頂であると思っている。
 しかし、それとこれとは話がちがう。
 1学期の最初に、学級経営の参考に子どもらからソシオグラムを取る(無論結果は担任のみで秘密厳守)、というならまだわかる。孤立した子どもが判明しても、1年かけてその子も生き生きとできるような学級づくりを進められる。
 それを、この、3学期の終業式に、しかも普段から友だちの少ない子どもや、地味で目立たない子どもを、それ以上痛めつけるようなことをしてどうしようというのか。ひょっとして、事前に何の工夫もしなくても、全員何枚かもらうとでも思っていたのだろうか。恐るべき想像力の欠如である。
 本当にあからさまに、それも本人ばかりか他の子どもにもわかるように、「あなたには友だちがいない」、「あなたにはだれもありがとうといいたくない」なんてことを、明らかにしてどうしようというのか。
 そんなもの教師によるいじめ以外の何物でもない。
 ああもうほんとに、腹の底から不愉快である。
 来年から担任は変わるようで、それだけはなによりなのだが。

 佐藤春夫の佳編、「好き友」のような友だちが、その女の子にいることを祈る。


2003年3月28日(金)

 大阪でもいよいよ桜の花が咲きはじめた。だからといっても、今年は統一地方選挙とかなんだとかかんだとかで、花見はできそうにない。個人的に選挙運動をするとかそういうことではない。私も今の職場へ移ってはじめて知ったのだが、選挙となると、その関係の部署の公務員はちょっとしゃれにならないぐらいの仕事があるのである(100日ぐらい連続勤務で、しかも毎晩遅くまで残業)。
 今までは、選挙なんて勝手にはじまって勝手に結果の出るものだと思っていたが、準備する側は公職選挙法でがんじがらめの中で、ポスター1枚からそこに住む有権者の把握から投開票の段取りから選挙管理委員会の運営まで、ぜーんぶたかの知れた人数でやるのである。
 私はそこに入っているわけではないが、ほんの隣の係で仕事をしているので、課や係をあげての花見など気の毒すぎてできそうにない。
 造幣局の通り抜けくらいは行ってもいいけれど、あれはすっごい人出だしなあ。
 うーん、世の中にたへて桜のなかりせばってやつである。


2003年3月29日(土)

 3月ももう終わる。
 そういえばこの季節は、出会いと別れの季節でもある。卒業と入学の季節である。
 我が家は、今年はどちらにも関係はないが、2年前のなおちゃんの卒園のときの記録が出てきたので書いておく。メモを取って残しておきながら、日記としてアップするタイミングを逃したのである。
 今回はとても個人的な記録に過ぎないので、行数ばかり多くても面白いことはなにもない。だから興味のない人は読む必要はまったくない。

「なおちゃんの卒園式のこと」
 子どもたちは卒園式にあたって、みんなで「お別れの言葉」というのを読み上げた。読み上げたといっても、書いたものを読むのではない。保育園で一生懸命練習して覚えたやつを、声をそろえて朗誦するのである。

「お別れの言葉」
おわかれのことば
もものつぼみもふくらむ今日
ぼくたちは思い出をむねに
この○○保育園を卒園します


保育園で一番大きなふじ組になりました
あたらしい色の名札やカラー帽子をかぶり
みんなからお兄さんお姉さんとよばれ
とてもうれしかったです
たてわりクラスではじぶんたちがしっかりしなくてはとはりきっていました
みんなで行った京都岡崎動物園
たくさんの動物たちにかこまれて食べた
お母さん手作りのお弁当はとてもおいしかったです


まちにまったプール開き
去年よりも長い時間、水に顔をつけることができました
たおれそうなほどあつい毎日の中ではじまった
運動会のけいこもだんだんやる気がわいてきました
オープニングセレモニーでは肩にくいこむベルトが少しいたかったけれど
よろこんでくれるお母さんたちの顔を見るといたさも忘れるほどでした
さいごまでいっしょうけんめいした組体操では
手のひらやひざをすりむきながらみんなで力を合わせてがんばりました


お母さんといっしょに行ったアウトドアでは
包丁を持って野菜や肉を切り、カレーライスを作りました
ローラーすべり台では友だちとひっついてすべるとすごいスピードが出ました
造形展ではいろいろな廃品から作り上げたぼくたちの町ができあがり
じぶんたちでも感動しました
四月からけいこがはじまった生活発表会
けいこを続けるうちに自信がつき
発表会当日ではむねをはって発表することができました


さむい毎日がつづく中、かぜをひいてしまうこともありましたが
たのしいこともたくさんありました
重いきねを持ち、自分たちでついたもちを食べたもちつき大会
おもちがとてもやわらかくおいしかったです
クリスマス会ではサンタクロースが窓からやってきてとてもびっくりしました
おおきくてあたたかい手であくしゅされ、こころのなかまでポカポカになりました。
第二○○保育園のおともだちといっしょにした親子運動会では
体育館の中でお母さんといっしょに
走ったり、おどったり、あそんだり
とても思い出にのこっています

まだまだ思い出はたくさんありますが、今日で先生や保育園ともおわかれです
毎日送り迎えをしてくださったお父さんお母さんありがとうございました
園長先生をはじめ先生方、ほんとうにおせわになりました
ゆりぐみさん、小さなおともだちのおせわをよろしくおねがいします
小学校へ行ってもいっしょうけんめいがんばります
みなさんもお体に気をつけてがんばってください
さようなら

 そして、子どもたちは歌を歌った。餌をねだる燕の雛のように、誰も彼も小さな口を大きく開けて、元気よく歌った。
 なおちゃんたちが歌った歌は、3曲あった。

「思い出のアルバム」
いつのことです 思い出してごらん
あんなことこんなこと あったでしょ
うれしかったこと おもしろかったこと
いつになっても わすれない

春のことです 思い出してごらん
あんなことこんなこと あったでしょ
ぽかぽかおにわで なかよくあそんだ
きれいな花も さいていた

夏のことです 思い出してごらん
あんなことこんなこと あったでしょ
むぎわらぼうしで みんなはだかんぼ
おふねも見たよ 砂山も

秋のことです 思い出してごらん
あんなことこんなこと あったでしょ
どんぐり山のハイキング ラララ
あかいはっぱも とんでいた

冬のことです 思い出してごらん
あんなことこんなこと あったでしょ
もみの木かざって メリークリスマス
サンタのおじいさん わらってた

一年中を 思い出してごらん
あんなことこんなこと あったでしょ
もものお花も きれいにさいて
もうすぐみんなは 一年生

「卒園式の歌」
雨の日も風の日も元気にかよった
わたくしたちの保育園
だいじな保育園
ほんとにおせわになりました

あつい日もさむい日もなかよくあそんだ
わたくしたちの忘れぬ保育園
先生ほんとうにありがとう

元気なお兄さまやさしいお姉さま
おめでとう卒園 おめでとう卒園
いつまでも元気でさようなら     ……この連のみ下級生が歌う

うれしい思い出をたくさんもらった
わたくしたちのゆめ見る保育園
先生みなさんさようなら

「ありがとうさようなら」
ありがとうさようならともだち
ひとつずつの笑顔 はずむ声
夏のひざしにも 冬の空のしたでも
みんなたのしくかがやいてた
ありがとうさようならともだち

ありがとうさようなら教室
走るようにすぎた たのしい日
思い出のきずがのこるあのつくえに
だれがこんどはすわるんだろう
ありがとうさようなら教室

ありがとうさようなら先生
しかられたことさえ あたたかい
あたらしい風に ゆめのつばさ広げて
ひとりひとりがとびたつとき
ありがとうさようなら先生

ありがとうさようならみんなみんな
ありがとうさようならみんな

 担任の保母さんは、子どもたちに向かって指揮棒を振りながら、ぼろぼろ泣いていた。
 出席したお母さんたちも、しきりにハンカチで涙をぬぐっていた。
 私はもちろん泣かなかったが、なおちゃんはじめ子どもたちの声は今も耳に残っている。
 そして、あの日のことを思い出すたびになぜか胸に熱いものが込み上げるのである。


2003年3月31日(月)

 ここに1冊の海洋冒険小説があるとする。登場人物はこんな感じである。
・艦長……常に沈着冷静で、乗組員の信望も絶大である。判断力にすぐれ、奇策と思える決断も、部下の性格や三手先四手先を読んでのことであると、後でみんなわかる。
・一等航海士……きわめてクールで怜悧な頭脳を持つ。艦長の決断を最初に読み取るのは常に彼である。官僚的で堅苦しい面も併せ持つため、しばしば甲板長らと衝突する。
・甲板長……一本気な熱血漢。経験豊富なベテランであり、いつも自分より部下を大切にする。豪放磊落な酒豪であるが、気に入らないことがあると先に手が出てしまうことも。
・機関長……寡黙で偏屈な機関部の主。プライドが高い分、腕は抜群で、機械のことには誰にも口出しさせない。部下のエンジニアたちの信頼も絶大。ただ、艦内の人間関係からは一歩引いており、何を考えているのかわかりにくい。
・主人公……新人の乗組員。甲板長にはいつも怒鳴り散らされているが、可愛がられている。機関長からは無愛想なまま、船の心臓部をいじる秘訣を教えてもらったりする。一等航海士には反発しか感じていないが、その頭脳には一目置く。艦長は雲の上の人で、あこがれまくっている。
 あるいは警察小説でもよい。その場合は、艦長を署長に、一等航海士を捜査第一課長に、甲板長をベテランの係長に、機関長を鑑識課長に、主人公は新人刑事と置き換えてほしい。
 で、これらの人物が一体となって、さまざまな冒険や事件や難局に立ち向かい、血湧き肉踊る物語を演じるのである。
 というような本があるとする。

 私は、もうそんなの読みたくない。時間がもったいない。
 あんまり共感してもらえないような気がするけれど、ほんとにそんな本がすっごく多いので。


2003年4月14日(月)

この間の備忘録を箇条書き風に。

▼年度替りでクソ忙しい。おまけに今年は異動(転勤)確率90%とみんなに言われている関係で、3か月分くらい先回りしていろいろやんなきゃいけない。引継ぎ文書とかも。これで異動がなければ、逆に向こう3ヶ月は一息つけるような気もするが、もう一年今の担当を続けろといわれるのもそれはそれでごにょごにょ。

▼ともちゃんとしーくんの確執や、うたのちゃん、ななみちゃん、きょうかちゃんを交えての多角関係の話などは、きちんとまとめて書いとかないといけないと思うのだが、もう少し事情聴取してからにする。
 そんなともちゃんも、もう年中さんである。頭も自分で洗ったりするのである。

▼なおちゃんは3年生に上がった。仲のよい友だちとはクラスが離れたらしいが、そんなことで一喜一憂する姿もまだまだ子どもである。
 「子どもは“つ”のつく間がかわいい」とも言うが(つまり「ここのつ」まで)、そんなこというとなおちゃんなんてあと1年半しかない。もう一生分の親孝行はしてもらったような気もするが、なんかあわてる。

▼そんなこんなで、「ファイナルファンタジータクティクスアドバンス」(なげーよ)も、プレイ時間が82時間を超えた。これまでは読書や仮眠にあてていた通勤時間をほぼすべて突っ込んでいる。当然こないだ日記でぼやいた操作系も、もう難なく、思い通りに扱えるようになった。
 でも82時間である。本ならまちがいなく三、四十冊は読んでる。もちろんその間も本は買ってるので、机の上は未読の本であふれかえっている。
 でも、時間を無駄にしているとはあまり思わないのは、ゲームが面白いせいでもあるけれど、ゲームに没頭している時間の「充実感」があるためだと思う。
 しかしまあ、これを200時間ほどやったとしても、次には「ドラゴンクエストモンスターズキャラバンハート」(なげーよ)が控えている。
今年はもう本を読まないかもしれない。

▼ヨドバシカメラのポイントが少し貯まったので、ポイントの使途として『妻みぐい2』を買ったというのは、いろんな意味でかなり恥ずかしいので、みなはくれぐれも秘密にするように。


2003年4月16日(火)

 大方の予想通り、本日、人事異動の辞令を受けました。
なんというか、今度の職場は、その部局でも屈指の忙しさを誇るところだそうで。
 で、新しく配属されたところでちょっと聞いてみました。
「毎晩11時とか、やっぱりそんな感じですか。やだなあ」
 すると、きっぱりと答えていただきました。
「んー、そんなことないよ」
 ほっとする私に、
「君の前任者は、1時2時とか普通だったからねえ。このフロアでいつも最後に帰ってたし」

 ちょっとまてー! そっちかよ! そんなことないって、そっちの否定かよ! 11時に帰ろうなんて甘いのかよ!
 だって地方公務員だよ。世間では仕事もせずに税金を食い物にしてると思われてる役場の職員だよ。テレビ見て新聞読んでお茶をすすってたら一日が終わるという素敵な職場を夢見て、やっと受かった公務員だよ。それがそんなことって。
 言葉を失っている私に、その方はやさしくつけくわえてくれました。
「君なら大丈夫だから。君の前任者は、体壊したけど」

 そんなん、ぜんぜん大丈夫とちゃう。


2003年4月20日(日)

 明日からいよいよ新しい職場での仕事が本格的に始まるらしくて(先週は前の職場での引継ぎとかいろいろあって、まだなにもしていない)。
 それでも今度の職場は、前の職場に比べて知り合いも多いので、ちょっとは精神的にスタートも切りやすいのが救いである。
 予想される業務は(まだ未定)、大きく分けて二つあるらしい。(とある分野での)全市にまたがる情報システムの構築と、(とある分野での)全市的な総合計画のプランニングと推進。どちらかが主で、どちらかではサブにつくとか。
 あのね。絶対なんか勘違いしてるってそれ。
 たしかにちょっと見はかっこいいですが、そんなもの私にできるかどうか、わかって言ってますか。「だれが来ようが、これやらす」と決め打ちで言ってませんか。ちゃんと私の顔を見て考えてますか。
 私はどちらかといえば、お茶くみとかコピーとか書類持ってお使いとか、『OL進化論』みたいなのをきぼーん(わりとマジ)。


2003年4月26日(土)

 私はそんなにハキハキしゃべる方ではないが、早口言葉はわりと得意である。
「生麦生米生卵」も、「東京特許許可局」も、「バスガス爆発」も、「この縁の下の釘引き抜きにくい」も、「竹屋の竹垣に竹立てかけたのは、竹立てかけたかったから、竹立てかけた」も、そこそこの速さで問題なく言える。
 しかし、こないだ「おはスタ」だかなんだかで目にした、一見ごく簡単そうな、

「謎はまだ謎なのだぞ」

 が言えない。どーしても言えない。特に後半は「なぞだどだど」とか、「などなぞざぞ」とか、さっぱりである。
 そのうえ腹立たしいことに、なおちゃんはこれをすらすら言いやがるのである。それ以外の上記の早口言葉なら、お父さんの方が断然上手だったのに。
 てな話を、寝る前の布団の中でなおちゃんやサイとしていたのだが、いつもならやかましく割り込んでくるともちゃんがまったく話に加わってこない。
「ともちゃんぜんぜんゆわれへんねんもん」と、ちょっとさみしそうである。
「言えるて。ちょっとずつゆっくり言うたらええから。ほら」と、水を向けてみても。
「なまぐみなまもめなまたがも」とかになって余計にへこんでいる。
 でも、「あかパジャマ、あおパジャマ、きパジャマ」なんかはちゃんと言えた。「ばす……ガス……ばくは・つ」みたいな感じではあるが、これも言えたとしておこう。
 ほめてやると気をよくしたのか、それであっさり寝入ってしまった。
 でもね、ともちゃん、「いちねんせいになったら、ともちゃんゆえるようになるから」って、そんなに唇かむような話じゃないよ。


2003年4月29日(火)

▼「謎はまだ謎なのだぞ」は突然言えるようになった。とりあえず「なの」だけ意識して、力をこめて言えばいい。
「なぞはまだなぞなのだぞ」という感じである。最初はどうしても不自然なアクセントになるが、とりあえず言えるようになるはずなので、あとは10回ほど繰り返せばずいぶんと自然になる。

▼「FFTA」であるが、100時間を超えたあたりであっさりとエンディングを迎えてしまった。それでも残った「クエスト」(小イベント)がたくさんあるので、ぼちぼちと続けている。
 本当ならここで「DQMCH」を速攻で購入して切り替えたいところなのだが、それはなおちゃんがほしいと言い張るので、どうも譲らざるをえなくなったようである。
「よし、ほんならお父さんも買うから、対戦しようぜ」と、なおちゃんに持ちかけたのだが、横で聞いていたサイによって即座に、
「そんなことしたら、ともちゃんまで買わなあかんようになるやろ」と却下されてしまった。
 うーん、残念至極である。ちょっと泣きそうである。お父さんは「ファイアーエムブレム」の新作にしとこうかなあ。

▼本日、なお&ともを連れて近所の公園に行くと、顔見知りの子どもたちがいた。
 そこでしばらく遊ばせていたのだが、そのうちの一人であるだいちくんが「ひみつきち」に行こうと言い出した。
「どうせまた他愛もない……」と思いつつ、子どもたちの後についていくと、背後に雑木林を控えた丘の上の小さな造成地に連れて行かれた。
 住宅地に囲まれたちょっとした場所に過ぎないのに、これがまたすごい。複雑に入り組んだ赤土の斜面に、3メートルほどの崖。昼なお暗い雑木林の中には、ターザンごっこができるようなロープや、手製のブランコまでぶら下がっている。そして足下には暗渠。ともちゃんなんど、私が手を引いたり背負ってやったりしなければ、ろくに移動もできない。
 大人の私は心の中で叫んでいた。
「こんなとこで遊ぶな。危ない。そこから落ちたらどうする。その穴にはまったらどうする。そこで手が滑ったら大怪我だ。そもそもここは遊ぶところではない。こういうところで子どもが死ぬ話はニュースでしょっちゅう聞くじゃないか」
 しかし、しかしである。私の中の子どもは本気でワクワクドキドキしていた。これは面白い、これはスリリングだ、と。8歳の私が友だちとこんな場所を独占できていたら、毎日でも通ったにちがいない。
 結局、子どもたちの手を強引に引っぱって帰るようなことはできなかった。それは私の中の子どもが許さなかった。私も、駆け回りすっ転ぶ子どもたちに同一化しながら、その危険な「ひみつきち」を堪能したかったのだ。
 そして、ひと通り遊んでから、私は子どもたちを集めて、ようやくのことで言うことができた。
「ここで遊ぶのは危険すぎる。もう来ない方がいい。少なくとも大人を連れてくるか、大人にここにいることを知らせておかないとダメだ」
 でもなあ、子どもが守るわけないんだよなあ。こんなにしびれる場所だもんなあ。
 うちの子どもたちには、帰宅してからも厳しく言いつけたけれど。

 でもちょっと感心したのは、子どもたちが意外と危険に敏感なこと。
「それはあぶない」、「ここをとおったほうがいい」、「そんなのこわいって」、「この草はどくだから」
 なんてフレーズをしょっちゅう言い交わしている。安全感覚とか良識とかというより、野生の嗅覚に近いもののような印象を受けた。
 でもその一方で、
「ぼく、ここから飛べんねんで」(3メートル以上あるぞ、おい)とか、「こないだ、りゅうせいくん、ここからおちてん」(し、し、死なんでよかった)とか、平気で言ってくれるんだけど。

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