パンダクイン・ロマンス
2000年1月21日公開
遥か遠くの水平線に沈む夕日はまるで燃え上がるように輝いていた。
パンドラは、甲板に上がって心地よい潮風に丸い耳をなぶられていた。少しワインに酔ったらしい。
今、クルーザーは錨を下してゆったりと波間を漂っている。
火照った頬に夕暮れの海を渡る風が心地よい。
同じ出版社の同僚でもあるジェーンに誘われてギリシャまでやって来たのは、偶然のようなものだ。
リックとの仲がうまく行っていないのも一因だ。本当なら今ごろオンタリオ湖畔のコテージで、彼とバカンスを過ごしているはずだった。
リックは広告代理店に勤めているのだが、最近仕事が行き詰まっているらしく、パンドラにもとげとげしい態度を見せるようになった。
「お前はいいよな。笹食ってタイヤにぶらさがってりゃ、ストレスなんてどっかいっちまうんだから」
夏の休暇を一緒に過ごす約束を、パンドラのほうから反故にしたのも、リックのそんな言葉が原因だった。
そして、女友達とこのエーゲ海に面した町にやって来たのだ。
おとといの夜、ホテルのバーでジェーンと上役の悪口を言いあっているところへ声をかけてきたのがエドワードだった。ギリシャ生まれのくせにイギリス風の名前なのは、貴族趣味の父親のせいらしい。もう一人のアリストテレスという、外国人は驚くがギリシャでは珍しくもない名前の友人と釣りを楽しんだ帰りということだった。
四人はすぐさま意気投合した。夜遅くまで楽しく騒いで、その夜は二日後にエドワードの持つ船で遊ぶことを約束して別れた。
今日、ホテルまで出迎えにきたエドワードとアリストテレスに港まで連れてこられたのだが、パンドラはそのクルーザーを見て驚いた。何フィート級というのだろう、大きなキャビンには寝室だけで三つもあり、二人のほかにも五名のクルーが忙しそうに立ち働いていた。エドワードがオナシスの遠縁にあたるというのもあながち嘘ではないのかもしれない。
その大きな船でエーゲ海に出た。船には専属のシェフまで乗っており、魚介類をメインにした豪華な食事と最高級の白ワインが何本も出た。パンドラのためには、どこで手に入れたのか中国産の最高級の笹が大量に用意されていた。
ジェーンはアリストテレスがお気に入りのようで、二人はすぐに親密になった。食事中もぴったりと寄り添うように座り、今はキャビンのソファでキスとコーヒーを交互に楽しんでいる。
それもあって、パンドラは酔いをさますわと甲板に出てきたのだが、自分はエドワードのことが気になって仕方がないのを自覚してもいた。
なんだか夢のようだわ。パンドラは甲板をごろごろと転がってみた。前脚を舌で舐めながら顔をぬぐうと、潮風に吹かれていたせいかしょっぱい味がした。
あぐらをかくように座って、一人で甲板の手すりを揺さぶって遊んでいると、不意に後ろから抱きすくめられた。
「退屈かい?」
エドワードだった。首にまわされた彼の腕からも潮の香りがした。
「とんでもない。こんな素敵なバカンスになるなんて」
沈む夕日がパンドラを大胆にしたのかもしれない。パンドラは首をねじって思わずキスをせがんでいた。リックのことはすでに念頭にない。
エドワードは一瞬驚いたようだったが、目を閉じるパンドラに積極的に応えていた。パンドラの愛くるしい姿に出会ったときから心を奪われていたのだ。パンドラの体をを自分のほうに向けた。お互いの背に腕を回して、自然、長いキスになった。
しかし、唇を離すとパンドラはエドワードの胸に前脚を当てて押しのけた。さすがに爪は立てなかったが、その前脚にはエドワードにも意外なほどの力がこもっていた。
「どうしたんだい」
エドワードの目には驚きがこもっていた。パンドラは目をそらすように、恥じらいとも後悔とつかぬ色を顔に浮かべてうつむいた。
「だって、わたしはパンダだし……」
声音に涙がにじんでいた。
エドワードは悲しげな彼女の肩を強い力で引き寄せた。
「何言ってるんだ。大丈夫さ、僕だって……」
エドワードは毛深い腕を差し上げて見せた。
「シロクマなんだから」