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『法善厳一郎 拾うは生者の反響』   第一話 巡り合わせ

【あらすじ】
 五月下旬のある日のこと。雨上がりの河川敷公園で日課であるジョギングを終えた霧野文和は、見ず知らずの女性──和田優希に声を掛けられ、ある相談事をお持ちかけられた。聞けば兄のように慕っていた近所の男性が行方知れずになってしまい七年の月日が流れたのだが、つい最近夜中に近所のコンビニに出掛けた時、その家の前を通ったら兄のように慕っていた男性の声が聞こえたと言うのだ。霧野は幽霊だと決めつけ怖気付いたが、優希を放っておく事はできず、二人で調査に向かった。しかし、結局何もわからず仕舞い。そこで霧野が頼ったのが本作の主人公である『法善厳一郎』だった。厳一郎は数少ない情報から推理を組み立て真相に辿り着いた。 

「日が傾き天高く敷かれたキャンパスが色を変えていく。始めは黄梅のような朝日が川面や窓を照らし、それが山百合のような雲が映える天色あまいろの空へと変貌を遂げる。後を継ぐは秋風に戦ぎ収穫されるのを待つ穂の金色。束の間を彩るは多種多様な生き物がすれ違う歩道に植えられしツツジの紫。終いは物静かに佇む外灯だけが存在を主張する静夜の漆黒。見渡す限りでは生命の存在など皆無と同等に思える世界。だがどうであろう、一度聞き入れば『自分』という個体以外の万物が確かにそこに在り、主張することなくただ黙々と天寿を全うしようと励んでいる。故に私はこう思い至る。例えどんなに無頓着で尊大な人間であろうとも、他者から出ずる微かな心中の末端にさえ触れることができれば、己の犯した不徳と向き合い、猛省し、改心する機会を得られるのでないかと。さすればこの世は清浄な人間で満ち溢れ、生命を無下に扱う者は居なくなるであろう」 
  霧野文和きりのふみかずはジョギングを終えたばかりの荒々しい息遣いで呟いた。重く湿った風が河川敷公園を吹き抜けていく。俺にしては上出来だろう。あとは……これを元に……短編小説を書けば……ってさっきから息苦しいな……ちょっと喋り過ぎたか。霧野は緩徐かんじょに流れ行く雨雲を見上げ、深呼吸を始めた。そっと目を閉じ、鼻から空気を吸い込んで、吸った時間と同じくらいゆっくりと息を吐く。これを数回繰り返した。
 ふう、だいぶ落ち着いてきたな。霧野は首から下げていた白いタオルを手に取り、顔にかいた汗を優しく拭い去った。それから前方約三十メートルほど先に立っている樹木へと目をやった。暑くなると紫色の実をつける不思議な木である。その傍らには木目柄の綺麗な屋内時計が一つ、鉄の棒に紐で括り付けられ物静かに佇んでいた。どれ、最後に時間を確認して帰りますか。いつも通りS川河川敷公園と記された丸太状のオブジェから、その樹木へ向かおうと一歩を踏み出した時、
「あの、すみません。小説家の方ですか?」
 と後ろから声をかけられた。ドキリとした霧野は一瞬頭が真っ白になり、彫刻の様に固まってしまった。が、そこは霧野も三十を過ぎたいい大人である。どう対処すべきか直ぐに思考を巡らせた。しかし……ちょっと待てよ。さっきの声、女の子だったよな──しかも若い。なんということだ。ここで元来の女好きが発動してしまった。霧野は目を細くし周囲の状況を確認した。俺以外誰も居ない。ということは間違いない。彼女は俺に話しかけている。霧野は怪しまれないよう爽やかな笑みを浮かべ、軽やかに振り返った。
 そこに立っていたのは二十歳前後の若い女の子だった。ポニーテールの黒髪にメッシュ生地の白い帽子を被り、上半身には一回り大きい水色のスポーツパーカーを、下には黒で揃えたレギンスとハーフパンツを履いていた。ピンク色のランニングシューズも年相応の可愛らしさがあり似合っていた。
「着こなしが上手いな。結構お洒落じゃん。それにルックスも素晴らしい。小顔に絶妙な肩幅、細身で平均よりも高い身長。うん合格。それで、どこに行く?」
「あの、そういうことじゃなくてですね……」
 女の子は呆れた口調で返してきた。若干怒りの籠った目をベージュ色のマスクと白い帽子の間から覗かせている。マズイな。機嫌を損ねちまったか。霧野は直ぐに姿勢を正し、真面目な表情で、
「ごめん。そういう意味で言ったんじゃないんだ。許してくれ」
 と女の子に謝罪し頭を下げた。
「お詫びと言っちゃあなんだが、先程の質問に答えよう。正解だ。君の見立て通り俺はプロの小説家だよ。いや、お見事」
 霧野はショートヘアの茶色い髪の毛を右手でき上げた。
「やっぱり。まあ質問に答えてくれたから許すとしましょう。因みに私の歳はちょうど二十歳です。まあいいか私のことは。話を元に戻します。宜しければお名前を教えて下さい。ペンネームでも可です」
「名前は霧野文和。ペンネームは使ってない」
「ジャンルは何ですか?」
「主に純文学を書いてる」
「作品名は?」
「色々書いてはいるけど、一番売れたのは『好きなればこそ』かな」
 女の子は右の顳顬こめかみに指を当て、何やら考え込んでいたが、だんだん表情が曇っていき、最終的にはガクッと肩を落とし、項垂れてしまった。かと思えば、いきなりムクっと顔を上げ、
「純文学を書いているとおっしゃいましたが、他のジャンルはどうですか? 例えば──推理系とか」
 閃いたという表情で目を輝かせながらいてきた。
「うーん、謎解きかあ。俺は純文学と恋愛と人情小説以外書いたことがないからな。ちょっと、そっちの方はうといかな」
 時折右手の人差し指で顎の先を撫でながら、霧野は淡白平明に答えた。

「ああ……そうですか……」
 和田優希わだゆうきは消え入りそうな声で答えた。万策尽きたか。そりゃあそうだよね。私が独自に作り上げた小説家名簿の中に、霧野っていう名前も『好きなればこそ』っていうタイトルの小説も載ってなかったもんね。もしかすると推理とかミステリーとかも書いてるのかなと思って訊いてみたけど……駄目だったかあ。というのも現在、優希はある問題で頭を抱えていた。それを解決できるのは、『本格』ミステリや『本格』推理小説などを書いている博識で頭の回転が早い、まさに名探偵と呼ぶに相応しい書き手なのであった。そうなると……悲しいかな、霧野はお門違いということにる。うーん、どうしよう。駄目元で話すって選択肢もあるけど……いや、でも、純文学だしな。いつの間にか優希は、終わり無き自問自答へと陥っていた。物言わぬ静けさが二人を包み込む。口火を切ったのは霧野の方であった。
「何か訳ありって感じだな。俺で良ければ相談に乗るぞ」
 余りにも的を射た問いかけに、優希の心臓は強く脈打った。
「どうしてわかったんですか?」
 優希は無意識の内に萌え袖状態の右手で口元を覆い隠していた。
 霧野は右手に持っていた白いタオルを四つ折りに畳みながら、優しい口調で続けた。
「俺もプロになって数年が経つ。声を掛けられたのも今回が初めてじゃない。だがらいきなりプロですか? と聞かれても特段驚きはしなかった。違和感を覚えたのはそのあとだ。普通小説が好きならば作品の内容や執筆作業、或いは原稿料や印税等について根掘り葉掘りいてくるもんだが、君はそれらには一切触れず、矢継ぎ早に俺の事ばかり訊いてきた。なぜそんな事をしたのか。考えられる理由は二つ。まず一つ目。君は何かしらの問題を抱え悩んでいるが、その問題は事件性がないため警察には相談できない。かといって自分で解決することも不可能。だから解決してくれる人を探していた。そんな時、目の前に小説家らしき人物が現れた。君は期待を込めて声をかけた。二つ目は……俺に惚れたから。まあ、君の反応を見る限り望みは薄そうだが、俺は諦めてないぜ。とはいえ、普通に考えれば前者だろうな」
 あれ、もしかしてこの人……優希の目に微かな希望の光が灯った時、タオルを畳み終えた霧野が諭すように言った。
「兎にも角にも打ち明けてくれないことには何も始まらない。それに──もし俺達の手で解決できないと判断した時は、アイツに助けを求めればいい」
「アイツとは?」
「親友だよ。アイツのことだから、きっと何かしら策を授けてくれるだろうな」
「親友……何をされている方ですか?」
「小説家だよ、俺と同じ。それも君が所望していた本格推理小説家。当然謎解きもお手の物。それに確か、警察の捜査にも協力しているとかなんとか……」
 優希は心の中でやったああああああ! と歓喜の雄叫びを上げ、人生で一番力強いガッツポーズをした。うん? ちょっと待って。私の様子が変なことには気付いていたんだしょう。ナ、ラ、バ。
「それを先に言って下さいよ!」
 優希は自分でもわかるくらい顔をほころばせながら、霧野に叫んだのであった。

 話が一段落いちだんらくしたところで、
「わかりました。私の悩みを打ち明けます。ただ……ここでは誰か来た時に聞かれてしまうかもしれないので、歩きながらでも構わないですか? その方が気もまぎれますし」
 自分達の車が止まっている砂利の敷かれた駐車場を横目で見ながら、優希が小声で言った。
「いいね、その意見には俺も賛成だ。ちょうどダウンもしたかったところだし」
 決心を固めた優希の眼差しは真剣そのものであったが、先程とは違い、口元には朗らかな笑みが見て取れた。おおお、ようやく笑ったか。やっぱり可愛い女の子には、笑顔が一番だな。もっとも、肝心なのはこれからだが……果たして俺一人で解決できるか……。不安が頭をよぎった時、霧野の脳裏に親友とのやり取りが蘇った。
《本格推理小説の心得その一。まずは相手の話を聞くこと。内容を把握しないことには、何も始まらない》
《成る程な。それで、そのあとは》
あせっちゃあいかんよ。この時一つコツがあってね。それは──聞いている最中から、ある程度推理を組み立てること。その方があとの展開が書き易くなる》
《ふーん、技みたいなもんか》
《まあ、そんな感じ。最初は難しいけどね》
《習うより慣れろってか》
《そう言うこと》
 窓外そうがい映るは地べたう落葉。それを撫でるは吹き荒れる乾風からかぜ。書斎に響くは物書きの談笑。昨年十二月末の出来事であった。
はあ……わかったよ、お前みたいに上手くできるかわからんが、物は試しだ。一丁やってみるか。二人は目を合わせ、所々に水溜りが残る遊歩道を歩き始めた。
「ところで、一つ聞きたいんだが」
「なんですか?」
「俺の名前と作品名に心当たりはあったのか?」
「ゔぅ……」
 途端に優希は引きった笑顔を見せた。
「その様子だと、知らなかったみたいだな。まあ、無理もない。人気ないからな、純文学は」

「すみません」
 これ以外の言葉が思いつかなかった。優希は申し訳なさそうに上目遣いで霧野の顔色を窺った。
「時代の流れさ。君が気にすることじゃない」
 霧野は気にも留めない調子で軽く受け流した。やっぱり良い人だなあ。さっきもそう。悩みを打ち明けると言った時、嫌な顔一つせず当たり前のように快諾してくれた。優希はにっこり笑いたくなる衝動を抑え、澄ました表情を保ちながら、ピッタリと霧野の側に寄り添うのであった。

第二話 悩み事

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第三話 嵐の前の静けさ

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第四話 確証とは 一

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第四話 確証とは 二

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第四話 確証とは 三

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第四話 確証とは 四

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第五話 遅くばせながら 一

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第五話 遅くばせながら 二

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第五話 遅くばせながら 三

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第六話 本題

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第六話 反響

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第六話 全容 【完】

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