愛しい思い出の中に
忘れっぽいのに、頭にこびりついたままの君。
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久しぶりに大学に行くと、2年前の光景が戻っていた。
駅の改札から出口までの長蛇の列。
渋谷から3駅の立地らしく、流行の最先端を余裕で着こなす学生たち。
(そういえば、こんな感じだったなあ。)
卒論を書かなければいけないのに、脳内が過去に引き戻されてしまう。
卒業間際の私には、構内でふらっと会える友人はもういない。
後輩に連絡をし、テキトーな地べたで太陽の光を浴びながら昼食をとる。
「彼女とは別れたんですよね〜んで今複雑な関係です」
みたいな話を、ダラダラとする昼休みはとっても幸せだ。
(傷心で二日酔い抱えながら昨日と同じ服で登校するくらいが、痛々しくて、大学生らしくて良いんじゃないの。)
後輩を見ながらそう思うのも、半年後にはできなくなるのか〜なんて少し切なくなる。
コロナ禍による空白期間で、なぜか大学生活のすべてが「懐かしいこと」になっていた。
このおかしな大学生活について振り返るのには、やっぱり大学や、田園都市線や、この土地が適切な場所だ。
総じて、大学みたいな場所があり続けてほしいな、と思った。
許してくれる人に、いつも食堂で無茶苦茶なことばかり言っていた。
最近あったこと、サークル活動はどんな感じか、これから行きたい国、私の自由気ままな空想・・
内容がまとまってからじゃないと、報告も、連絡も、相談も受け付けてもらえない、そんな社会に出るとできないことだ。
失恋してとてもひとりでいられなかった時には、下宿先最寄りの駅にあるマルイで、すき家の牛丼を食べながらひたすら話を聞いてもらった。
辛い、どうして、これからどうしよう、不毛な嘆きを繰り返しても、呆れないで聞いてくれた友人には死ぬまで感謝したいと思っている。
私のまわりはやはりなんとも不思議で、いわゆる「変わっている人」が溶け込めるコミュニティが形成されていた。
理解できない言動があっても、それがハブりに繋がらないって、実はすごいことだと思う。
そんな、私の過ごした大学生活のようなあたたかさや、優しさや、安心感や、ワクワクのある場所が、不安定な世の中で戦うみんなにも、それぞれあり続けるといいなあ。
今の私が、どれほど他者にプラスの何かを与えられるかというと、正直自信がない。
まずは自分の足場をかためないとな、という気持ちでいっぱいいっぱいだから。
でも、いつか、できるだけ早く、具現化させたいとも思っている。
より多くの人が、安心して人生を快走できる場所を。
ここまで火を絶やさず、(良い意味で)超えるべき壁の高さを知り、現在地点まで辿り着けたのは、まさしく君のおかげです。
でも、時々、私の癖のせいなのだけど、君が思考を埋め尽くして鈍足になることがある。
時々と表現すぎるには、多すぎるくらいかもしれない。
振り切りたくて、冷静でいられなくなったり、泣きそうになったりする。
どうしても、振り切りたい気持ちだけが叶わない。
時の流れを感じる度に、どこかで、いつまで私はここに立ち尽くしているんだろう、と思う。
ちゃんと進んでいるところもあれば、まったく進めないところもあって、そんな自分自身に苛立ってしまう。
文章を書くのは、ただの八つ当たりです。
忘れっぽいのに、どうして頭から離れないんだろう。
救われないのに、どうして離れてもくれないんだろう。
それでも、君と出会えない人生だとしたら、全然おもしろくないと思ってしまう私ってなんなんだろう。
大学生活を愛するからこそ、それに矛盾する感情が苦しい。
まだダラダラとどうしようもないホウレンソウを聞いてもらうことが許されているうちに、前に進めるといいな。
久しぶりに大学に行くと、もう君はいなかったけれど、私はちゃんと4年間大学生をやったんだなと思わされた。
2021年11月6日
ありがとうございます♡