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愛という資産を増やして、私は豊かになろうと思う。

はじめに

私は小学生の頃、自分の子どもの名前を考える遊びが好きでした。

誰かに共有した記憶はないので、おそらくひとりで(笑)

私のつける名前には、男の子にも、女の子にも、“夢”か“愛”が入っていました。
そんな、パッションしかない(?)人間です。

そう、きっとあの頃から私の2大テーマは“夢”と“愛”。

高校1年生でハマっていたindigo la Endの「夜明けの街でサヨナラを」という曲にはこんなフレーズがあります。

潤った愛す声で 夢を潜って溺れた

この曲全体の意味に強く共感したというよりは、このワンフレーズの美しさに取り憑かれていました。

同じくindigo la Endの「夢のあとから」とか、スピッツの「愛のことば」とかも好きで。

意識していないのに、そんな運命。

それで、というわけではないが、私は愛についてよく考えます。
決して恥ずかしいことだとは思いません。

特にハタチの私は重く深く(といっても年齢的に経験が浅すぎるのだが)愛について思考したので、ハタチのうちに、ハタチ時点の考えをまとめようと思いnoteを書いています。

考え方や価値観の話をしますが、私を含むすべての人間に、ここに書いてあることを押し付けるつもりはありません。

私も変わっていく可能性があり、でも、だからこそ、自分のために記録します。

愛をイメージする

みなさんは、自分や他人の“愛の総量”について考えたことがあるだろうか

愛を自分がもっているひとつの資産としたとき、
その資産の量や性質は変化する?それともしない?

あなたの“愛”という資産が、今、100あるとして。

30は両親に、もう30は友人に、もうもう(?)30は恋人に、

残りの10を細かく分けて、
目の前で道に迷っている旅人に
いきつけのごはん屋さんのおばちゃんに
SNSでいつも絡んでくれるフォロワーさんに

愛の対象はアイドルだって人もいるだろうし
飼っている猫やヤドカリという人もいるだろう

生き物じゃなくても、存在していなくても問題ないので
車や洋服、空想の世界とかも大アリやね

単位は個?キログラム?それとも円?

自分がもっている100の愛を、対象全員に(均等にはならないが)分ける。
他に好きな人ができたから、容量オーバー。あなたとはサヨナラ。

妻への愛はキログラムで、会社への愛は円。的な

これは偏見かもしれないけれど、日本人のマジョリティは愛の総量がなんとなく決まっていて、関係によって愛の性質が決まっている気がしている。

関係にも、家族や先生、上司・部下、推し、ペットなど名前がついている人が多い国だ。

個の感覚の精度よりも文化が強え

というお話の導入。

私は大学1年生で“価値観”という存在に気が付いた。

価値観とは、何に価値があると認めるかに関する考え方。価値(善・悪、好ましいこと・好ましくないこと、といった価値)を判断するときの根底となる ものの見方。(Wikipediaより)

価値観という言葉はその前から(もちろん)知っていたが、その存在が腑に落ちたといえば伝わるだろうか。

固定観念がどうこうって、まずは自分に価値観や考え方が“ある”ことを認知しないと始まらない。

固定観念は人の経験や得てきた知識から形成され、思考の基盤にはなるが自由な発想を制限する。(Wikipediaより)

それは、東南アジアをひとりでフラフラしていて、多様な人間と交わったのがきっかけだ。

ミャンマーで小学生くらいの子どもたち(しかも集団)に詐欺られ、
人って笑顔で嘘をつける生き物なんだ、とひとり絶望した。

取られた金額とかどうでもよくて、信じてきたなにかを失ってシンプルに病んだ。
(私は純粋さをここで失った可能性が高いw)

(私の“当たり前”ではこれは詐欺で、悪いことで、人を傷つける行為だけど、そう認識しているのは自分で、傷ついているのも自分だ。)

(彼らの“当たり前”と私の“当たり前”が違っただけで、彼らは悪いことだと思ってなかったのかもしれない…!)

子どもたちを正当化するしか自分の心が救われる方法がなかったので、強制的に“人にはそれぞれの価値観がある”ということを覚えた。

これで私の“価値観”に対する“価値観”は無事にぶっ壊れてしまった。

私の思考の自由度は大きく高まったのだが、しかし
つい最近まで、私自身さえも気付いてあげられていない価値観があった。

愛は増えていく資産である

私は、つい先々月まで愛の総量が決まっている世界で生きていた。
(ここでいう総量は全体ではなく個人のこと)

だから、生きているということは人に出会うということなのに
愛せる人数には限りがあると思い込んでいたのだ。
だって時間は有限でしょう?と身体は一つでしょう?と

当然苦しい。
何にモヤモヤしているのかすら分からない日々が続いた。

だけど、だから、私は1年以上考えた。
考えることを諦めなかった。

親だと思っていいのは2人まで
異性として好きな人は1人まで
親友は1人、もっと仲良い子ができたら交代

いつかの誰かがそう決めたとしても、なにか契約をして生まれてきたわけではないので、従う義務はない。
もちろん共感することも問題ない。

言葉では簡単に言えてもなかなか腑に落ちないこと。

(あーこれ、一生考え続けるテーマなのかも…)
と20歳にして解決を諦めかけていたのだが
この動画がきっかけで、私はモヤモヤの正体を知り、受け入れられるようになった。

その時代のフィルターじゃ今のウチらは盛れないの

愛の捉え方は人それぞれ。
正解も不正解もない中で、私は愛という資産を増えていくものだと定義している。現時点では。

出会いの数だけ、愛の総量が増える世界

この人を大切にしたい、笑顔にしたい
この人には悲しい思いをしてほしくない
愛の対象が増えるって、単純にハッピーなことなのではないだろうか。

法律上結婚は異性1人としかできないが
結婚したいと思えるような人間に1人以上出会える人生って幸せだよな、と私は心から思う。

私はパパとママに100ずつ、弟に100、友人にも100、好きな人にも100、愛猫さくらとおかかにも100ずつ

目の前の人に全力100%
それは、私の感覚では、悪ではない。

親であってもパパとママは別の人間だし、友人といってもひとりとして同じ関係性の人はいない。
正直、親や友人という言葉では、もうラベリングができないから、
愛に単位も優劣もない。

弟だから大好きなのではなく、仲上晃生だから大好きみたいなところあるよね。
とか、そんなことを、関わるすべての人に感じながら生きている。

“こんな愛”というのが対象それぞれにあって、競争しない世界

そんなんみんなそうでしょ!と思う人もいるかもしれないが
同じラベルの人の中で愛を分割している人は結構いるんじゃないかな。

知らんけど(笑)

これからも生きていく予定なので、もちろん人と出会い、その度に私の愛が増えていく。

愛という資産でインカムゲインを得る

好きな人がいたら、たくさんの愛を注ぎたいと思う人もいるだろう。
(対象は人間でなくても問題ない)

そして、自分の資産を他人に渡すとき、多くの人間は見返りを求めてしまうのではないだろうか。
聞こえをよくすれば、win-winの関係を望む状態だといえる。

私があげた愛の、対価をちょうだいよ

見返りがあったときはもちろん嬉しい。
喜びは二倍に、悲しみは半分になるのかもしれない。

ただ、他人は他人。自分の意思どおりに動かない。
見返りが無かったとき、自分がすり減っていかないか、嫉妬や憎悪が生まれないか。
愛という尊い資産をもつことで、傷つくなんてなんかムリィ。

私は、愛を注ぐ、とか、あげる、とか
資産を渡さなくても運用できるのではないかと考えた。

元々そういう価値観だったわけではなく
誰かを、なにかを愛することでしんどくなるって、しんどくね?(当たり前)
と思ったので、考えた。

愛という資産は私がもった状態。
ただそこに“ある”だけ。
時間や限りがあっても、身体が一つでも、大きな問題は生じない。

対象に注ぐより、あげるより、穏やかなものになってしまうかもしれないが
私自身が愛をもっているだけで世界は1mm幸せになると思う。

上質で、包み込むような
激しく燃えていないかもしれないけれど
灯り続けているような

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私の愛の対象や、そこに価値を感じてくれる人が
私とwin-winな関係になる可能性は大いにある。

“無償の愛”が与えられる人も、精神がインカムゲイン型に近いのかもしれない。

ただし、きちんと運用する必要はある。
マンションの一室をもっていても貸していなければお金は入らないのと同じ。

愛をもっていても、伝わらないと状態は良くならない。

おわりに

ハタチ・仲上風花のテーマは間違いなくコレでした。

考えがまとまりだしたのはkemioの動画に出会ってからのここ1ヶ月。

それまでは、自分のもっている愛を疑ったり、否定したり
簡単に他人に相談できるテーマでもなく
気付いたら1年以上毎日モヤモヤと向き合っていました。

同じ人間は一人としておらず、考え方や価値観は他人のものを完全に当てはめることが難しいです。

私から生まれる言葉から、受け取り手が感じるものも、きっと私の感覚と完全一致することはないでしょう。

それでいいと思います。
自分を愛することができていれば、正味なんでもいいんです。

私には、価値観は違う(大前提)(当たり前)けれど
「風花の感覚は腑には落ちないけど、(意味は)分かるよ」
と受け入れてくれる人がいます。

だから、強くいられるし
こうして誰かに自信をもって伝えることができるのです。

ここに、ハタチの私を記録できたことを嬉しく思います。


2020/11/8 
仲上風花

ありがとうございます♡