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旅はなにも変えてくれない。だけど大丈夫にはなれる。

2年ぶり4度目のマレーシアでも哲学アップデートできたのでまとめ。


哲学(philosophia)は知への愛だ。


旅とはなにか


この旅で知ったこと。

私は海がすき。

決して新事実じゃないけど、たしかにこの旅で知ったこと。


地球上には、私の愛せる光景や時間、人が存在するということ。

この地で知ることは、すでに自分の中にある、根強くて大切なこと。


なぜ、旅をつうじて自分のもっともコアな部分を知るのか。

それは遠くにきているから。


旅は器を買い替えない。広げることもない。ただ長らくとどまっている間に積み重ねたイロイロが器の柄や凹凸を隠しており、それを一時的にとっぱらえるのが遠く。


以下、具体例を(個人差のある話)

私の旅は、日本以外がしっくりくる。決して日本以外>日本と位置づけているワケではない。日本で生活してきた=日本人の私には、日本以外に一時的に行くことが推奨される。それはなぜか。

日本の文化・国民性・価値観・倫理観・アタリマエ・優先順位・常識・理論 etc.,

自分(たち)のこの生き方「以外」でも、人間って生きていく(生活する)ことができるんだと認識できるから。

それが、誰に指示されたわけでもなく精神の在り方や考え方を縛られている自分 を際限のない世界へ解き放つ手段。

広く思考でき、柔軟な視野となる→快い意思決定が可能になる→生きやすさを感じる→精神的な自由が手に入る

そしてようやく自分のもっともコアな部分を知る(再認識する)。

そんなところ。


さあ、あなたの旅はなんでしょうか。


旅の留意点

いつかどこかのタイミングで私と同じ感覚を得る人もいるだろうな。

旅はマインドや世界観を変えることはできるが、現実はなにも変わらないのだと。

げん‐じつ【現実】
(頭の中で考えるだけの事でなく)現に実際こうであるという状態・事実。

Oxford Languages

3度目までは表面化しなかったこと。この旅で何度も自分の中でテーマとなった、とても前向きなこと。

地位を手に入れたわけでも、収入が増えたわけでも、友だちが増えたわけでもない。

=旅をしたからといって、すごくなれるわけじゃない。

もちろん旅として過ごした時間の中で、地位や収入や友だちを手に入れることは可能だが、それは旅が生んだのではなく、自分自身がそれらをつくりだす行動をしたのだ。別の話である。

そう、

旅はなにかを変えてくれるわけじゃない。

私は革新的な何かに生まれ変わるワケじゃない。

現実を変えていくのは、豊かになった心で、信じることのできる強さで、現実と向き合う今この瞬間の自分自身。

決して旅は魔法じゃない。祈りが救われることに直結しないように。


しかし矛盾しているようで、これは旅の産物なのだ。

自分を取り巻くものはなにも変わっていないけれど、旅を経て力強く手足を動かせるようになるのではないだろうか。

それで狙いどおり。大丈夫。

自分のもっともコアな部分を知る→自分の好きや得意を力強く信じられる→自信をもってエネルギッシュに行動できる→現実を推し進められる、変えてゆける


向き合う覚悟が決まるまで、何度でも旅に出ると良いだろう。

ふわふわとした旅を肯定しつつ、地に足のついた健全な考え方でしょ。



恋人とシーシャを吸いながら話したこと。

「『描いたゴールから逆算をしよう』」

「あーそれ、できないんだよね…」

「結果を求める場合には正しい考え方であるよね。」


(描いた?ゴール?

ああなりたい。こうなりたい。私の夢は○○を▲▲することで・・・

そんな「求める結果」って、どう導き出すの?どこにあるの?)


沼。


現職の代表のことばを借りるとそれはギフトであり、「ゴールを描こう」といわれて頭を使い始めた瞬間に、自分には贈られていないことがわかる。

でも大丈夫。

贈られてない人には、この2つをやればいい。


  1. 過去〜現在の一つひとつの点に論理をつける

  2. 未来の点に論理を持ち込まない

一つ目は、いわゆる自己分析で、実はゴール(現在)から逆算して打ったわけでもない点(出来事・経験)をゴールに結びつけてあげる作業だ。論理的に不可能ではない。なぜかというと、自分というひとりの人間が地続きにその点から現在に至っているから。なんの脈絡もない人生を送っている気がしている人は、脈絡を認識するだけで豊かさ(気持ち・見せ方)を得ることができる。

二つ目は、「逆算」ということばを教わってから少し経って、行動できにくくなった人に向けて。ことばが滑り止めになることは往々にしてある。暴走を止めてくれるなら感謝だが、押さえつけられて生きづらくなっている場合は外してあげよう。自分の人生なのに、ことばの人生にしない。一つ目が自分自身もまわりも納得させてくれるんだから、安心して思いがけないところへポーン!と点を打て!その意思決定はあなたの愛すべき感覚から生まれている。


自分の感覚を信じられない状況はさすがに肩身がせまくて、下を向いてしまうから息が苦しい。

苦しい。前に進みたい。自分を解放したい。だけどすぐに酸欠で動けなくなる。苦しいよ。


安心して。思わぬ点を打ってしまったあとで、十分考えられるから。走りながらでも呼吸できるから、安心して。感覚を信じて。


今あなたが未来に打とうとしている点は、何でできている?


論理で導き出さず、思いっきり打つ未来への点。それが旅ではないだろうか。



おわりに

偉そうなこと言ってすみませんでした。平謝り程度だけどほんとうにそう思ってます。

過去自分が生み出した哲学は化石みたいになっている。

1年後は想像を上回る。

化石を恥ずかしいとも思わないし、誤っているとも思わない。だけど自分自身がひと回りもふた回りも覆い被さってくるだろうから、このnoteが一時の断言だということを平謝り程度にすみませんと伝えたい。


そんなおてんばを許した人生をこれからも生きたい。


2022年7月14日

ありがとうございます♡