母との思い出
最近「久しぶりに母と話した」という記事を書いて、そのあとも母と少し話したんです。
会話の内容は、俺が高校生の頃の話でした。
中学生の頃いじめで不登校を経験したと、今までに何回も書いていますが
実は高校生になってからも先輩からの脅しや、金銭の要求、同じクラスの不良から脅されたりと、問題は山積みでした。
特別目立つような格好はしていなかったですが、自分と友人含め
身長が180近くあったので目立っていたのでしょう。
出る杭は打たれるって感じですかね。
まぁ簡単に言うと、少し不良校だったんです。
高校の中で一番怖いと言われてる先輩が、後輩たちから集金していて
逆らったら拉致られるという噂があったのですが
俺たちは金を渡さなかったです。
ちょっとヤケクソになっていましたけど…
やれるもんならやってみろと俺の友人達は言っていましたが
俺は内心怖くて仕方なかったです。
それは中学のいじめが心の根底にあるから、また暴力を振るわれたらどうしようって思ったわけです。
想像しただけで足が震えました。
また乗り越えなければいけない壁ができた。
そして、学校でこういうことがあったと母に説明しました。
あの頃、父は長い間単身赴任だったので家に居なくて、相談するのは必然的に母でした。
もう高校が嫌になったから正直辞めてしまいたいと伝えました。
そうしたら、休みの日の昼間に車で川へ連れて行ってくれたんです。
そしてこう言うんです。
「川って見てるといいよね。心が洗い流されるようで。」
こうも言っていました。
「川の流れには逆らえないように。人生もなるようにしかならない。」
と。
「学校、負けそうな時もあるかもしれないけど頑張ってみようよ。」
と。
俺は何故か川の流れを見ながら、自然ともう少し頑張ってみよう。
それでうまくいったら、そのもう少しを積み重ねてみようと思ったんです。
俺の性格上「川の流れには逆らえない」と言われたら
そこで「ああ、だから諦めてどこまでも流されていよう」と思うはずなんだろうけど、その頃は若さの勢いもあったように思いました。
それに、こいつはこんなところで諦めないだろうと
俺のことを信じて言ってくれた言葉でもあったのかなと
今思います。
あともうひとつ。
半年間引きこもってた中学時代。
その頃家族からきつく当たられたり無視されましたが、高校に入学してから
母は毎日弁当を作って持たせてくれました。
自分の仕事もあって忙しいにも関わらずです。
詳しくは書きませんが、俺は中学の頃自分を守るために、二度といじめられない為に人を傷つけた。
高校になってからも道を踏み外しそうになったり、間違ったこともした。
留年しそうにもなった。
それでも母は毎日弁当を作ってくれた。
高校の卒業式の日、俺は母に言いました。
「色々迷惑かけたけど、無事卒業できたよ。かーちゃん、毎日弁当作ってくれてありがとう。」
と。
母はそれを聞いて泣いていました。
俺は馬鹿だから、一度嫌なことされたり裏切られたり、一生のトラウマになるようなことされてもまた信じてみたりするんですよ。
今までと、今日書いたのは母との因縁や愛情のことだと思いますが、
それは「家族」だからということではなく、愛情を全く感じられなかった時期もあったけど、時には愛情も与えてくれたから「家族」という言葉は関係ないのかなと思いました。
正直「愛」ってなんだ?とずっと思って生きてきましたが、母と話して思い出すことができました。
だって言葉ではなく、忙しいのに高校の3年間も弁当を作ってくれたんですよ。
「料理は愛情」って言うじゃないですか。
細かい意味は調べません。
響きが好きだから…!
母の弁当おいしかったです。