関西人の腰
僕らが関西人なのは
「大阪に住んでるから」ではなく
ちょっと小気味いい関西弁をつかってるから?
僕らが日本人なのは
漢字と平仮名の混ざったこの言葉で
やりとりしてるから?
定義とかでは、まあ全然違うでしょう。
どっちだろうと、このノートには関係ない、つもり。
さて、話始めとしては
自分の国の言葉には多分、「性格」があって
日本語を使う僕たちにしかないニュアンスもある。
関西弁をわきまえる僕たちにしかないニュアンスもある。
意味が理解できるかどうか以外にも、
「関西弁が攻撃的で怖い」なんて人もいるし
言葉は心のふるさとみたいなもんだから
それぞれが落ち着く先は
誰しも、そう多くは持ち合わせてない。
それに、言葉には「性格」もある。
しかもそれは「文化」とリンクしてる。
どんな場面で謝罪の言葉が出る?
ありがとうって言うべき?
そこに日本人らしいバランスが僕にも出てる。
すみません/ごめんなさい を多用するのも
まあ良いんだけど、
中国人の友人と話すときは
すごく丁寧に翻訳する。
すると意外にも、そう簡単に謝らない。
というより「無駄に」謝らない。
面白いよね。
謝ると寧ろトラブルになるような
気がしちゃう事もあった。
こうやって、人と出会って、付き合って、
自分のパーツが増えてく。
使う言葉も変わってくし、
安全な口喧嘩の方法も知っていく。
関係を深めるためには
「ケンカ」が必要って考えの人ともよく出会う。
わからないでもないけど、
ケンカ腰ってだけでは挑発にしかならない。
正しく言葉を使う事は相手への気遣いの連続だから。
優しくなるしかないんだよ。
自分に嘘をつく事のない、
偽りの無い詩を書きたいんだったら
優しくなきゃダメなのだろう。
歌はリスナーを選べない。
気遣いをし過ぎる事なんて無い。
ケンカ腰や、及び腰や、へっぴり腰
心の姿勢も腰つきであらわそうとする僕らです。
腰痛には気をつけないと。
ぎっくりは、一回やると再発の癖がついちゃう。
優しい人の体は心配。
その点、典型例のような関西人は
少しだけ姿勢が良いような気もするね。