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ある人の人生③

その人は、1937年10月10日、
熊本県八代市で生まれた。
高校までは柔道に打ち込んでいたらしい。

高校を卒業後、日立製作所に入社。
トップセールスマンだったらしく、
茨城県で結婚し、娘も息子もいたが、離婚。
その理由はわかっていない。

その後、会社を辞め、
静岡のほうで文房具の会社をやったり
いろいろなことをしていたようだ。
どういうきっかけかわからないが、
郡山市で会社を始めることになった。

公共事業と、工事を請け負う会社の間に立ち、
無事に入札できたら受注金額から手数料をもらう
営業代理店のような仕事だった。
仕事は順調で、事務員も雇った。
その後、事務員が娘2人を連れて夫と別居することになり
その人は金銭的な援助をすることになる。
このとき、高1の次女は初めて
「もう自分は家で男性の役割をしなくていいんだ」と
思うことができたし、
大学進学の学費も出してくれたので、
親戚一同のなかで初めて大学に通うこともできた。
その人はのちに、事務員と再婚する。

会社には、仙台や東京、名古屋など
いろいろな地方から来客があり、
甘いものや陶芸品のおみやげをよくいただいた。
また、毎年、誕生日には会社主催のゴルフコンペを開催。
関係者が一堂に集まるにぎやかな場で、
事務員も娘2人も、景品の準備や受付など
いろいろな手伝いをした。

しかし、仕事での無理がたたったのか
あるとき声が出にくくなる。
耳鼻咽喉科に行っても呼吸器内科に行っても治らない。
もしかすると心臓では、というアドバイスから
他の病院で診察を受けると、
心臓のバイパス手術が必要な状態になっていた。

ゴルフが大好きだったが、手術後は家からあまり出なくなった。
数年後には仕事も廃業し、
テレビを観るぐらいしかしない状態が続く。
そして2016年12月、79歳で息を引き取った。
その数時間前、「○○○ちゃん、ありがとね、ありがとね」と、
妻となった事務員の手をとって伝えたらしい。
死期を悟っていたのだろう。

柔道をやっていたとは思えないほど痩せて細くなったその人は、
太くて短い人生を生きた。
福島県の公共施設に納められたたくさんの陶芸の壁画は、
その人の生きた証として今もひっそりと残っている。

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