見出し画像

ある人の人生①

その人は、1937年1月15日に生まれた。
家は、代々続く農家。
米や野菜を作り、養蚕や養鶏もしていた。
茅葺き屋根で平屋の入口の横には家畜小屋があり、
馬や牛を飼っていた。

戦争時は小学生。
お腹がすいて、雑草を食べてしのいだという。
その地域には1980年代まで防空壕が残っており、
それを見るたび、まわりの人が亡くなったという
戦争の話をしてくれた。

中学校を卒業後、薬局で働く。
若いころの写真を見ると
びっくりするほどきれい。
大型バイクの免許も持っていたらしく、
バイクとともに写る写真を見たこともある。

そして、当時、鉄工所で働いていた人と恋愛結婚をする。
まわりからは反対されたらしい。
その人は次男だったが、両親と一緒に住んでいたため
舅・姑と一緒に暮らすことになる。

幸せだった時間もあったのだろう。
1962年3月11日には長女が生まれた。
しかし、人格者だったという舅は早くに亡くなり、
姑は習い事や旅行三昧で孫には関心なく、
会社を継いで鉄工所の社長になった夫は
趣味人で外に出かけることが多く、
そしてアルコール依存症だった。
子どもも好きではなかったようで、
子どもと遊んでいる姿は一度も見たことがなかった。

1966年12月26日に次女が生まれる。
夫にもう子どもはいらないと言われ
長女のあとに妊娠した際は中絶したらしいが、
そのときはどうしても産みたいと思って産んだらしい。
夫は「また女か」と言って病院にすら来なかった。

孫に関心のない姑、
子どもに興味のない夫と同じ家に住み、
2人の娘を育てた。
入学式や卒業式には、実家の蚕からとった絹糸を織り
京都で染めてもらったという美しい着物を着て参列した。
子どもの関心があることには力を注ぎ、
レコード店が主催するレコードコンサートに
何度も足を運んだ。

成長した娘は、
「どうしてお父さんと結婚したのかわからない」
という母に
「嫌だったら離れたら?」と言うようになった。
娘も、父のことが嫌いになっていた。
子どもと話をしたり遊んだりしない父。
アルコール依存症で精神病院に入院したり、
行方不明になってパチンコ店に迎えに行ったり、
家で酔っ払ってはわめき散らす姿を見たり。
怒りから、お酒をすべて流し台から流したこともあった。

娘と、当時働いていた会社の社長に背中を押され、
1983年に別居、1987年に離婚。
その後、その社長と再婚することになる。
社長は営業代理店として公共施設の工事を多数受注し、
会社主催のゴルフコンペも毎年開催。
子どもの手が離れてからは、
2人で毎日忙しく働いた。

その社長も心臓の病気が見つかり手術、
その後は家からあまり出なくなってしまい、
2016年12月に死去。
2階建ての家にたった一人で暮らすことになる。

きょうだいが多く、集まれば笑い声が絶えなかったが、
今はみな高齢になってしまい、
集まることも少なくなった。
絵がとても上手で、以前は絵や絵手紙も描いていたが
それもできなくなり、
大好きな花や植物の世話をしながら毎日生きている。
遠くに住む孫やひ孫に会えるのは年に数回だが、
子ども好きなその人は、それを楽しみに
いろいろと助けてくれるまわりの人に感謝しながら
日々、つつましく暮らしている。

いいなと思ったら応援しよう!