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【自己紹介】ガチ恋おじさんふちりんの普通にはなれなかった人生


ごあいさつ

 noteに記事を書きはじめたけど、まだ詳しい自己紹介をしていないことに気付いたので、自己紹介をすることにします。はじめまして、こんにちは。はてな村からやってきた、ふちりんと申します。本名は田中太志です。よく「たいし」と読まれるけれど、「ふとし」です。「ふっち」というあだ名がありますが、もっと可愛くしたいと思って自分で「ふちりん」というあだ名を考えました。

 太志という名前は、昔からあまり好きではありません。子供の頃はガリガリに痩せていたので、いじめっ子たちに「太志のくせにガリガリだな!」とか「名前を細志に変えたほうがいいんじゃないの?」とか言われてとてもつらかったです。「骨と皮だけふとし肉~♪」という不愉快な歌をつくる者もいました。また、「田中太志です」と名乗っても「人志さんですか?」と訊き返されることが多くてわずらわしいです。一度だけ父親に「どうして太志なんて名前にしたの? もっと普通の名前がよかった。光一とか」と抗議したことがあるけど、「こういち? 高校一年生みたいだな!」と笑い飛ばされてむかつきました。

 そんな僕は童貞のまま30歳になったため、魔法使いになりました。覚えた魔法は「ほいみ(回復魔法)」です。「40歳になれば『べほいみ(もっと回復する魔法)』が使えるようになるだろう」と思っていましたが、39歳の時にひょんなことから童貞を喪失したため、「ほいみ」しか使うことができません。もしあなたに何かつらいことがあったら「ほいみ」してあげるので、いつでも言ってくださいね。はてな村という恐ろしい所からやってきましたが、僕は悪い魔法使いではありません。

 好きな人と物・事は、元モーニング娘。の石川梨華ちゃん、元AKB48の指原、メイドカフェ、大宮アルディージャ、サンボマスター、法律と英語の勉強、読書、ベースギターを弾くこと、ウォーキングなどです。

幼児・小・中学時代

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可愛すぎる幼少の頃のふちりん

 「生い立ちを書き始めたら長くなるな~」と思いましたが、なんだか書きたい気分なので書くことにします。しばしお付き合いください。できるだけ短くします。僕は1980年の4月10日に生まれ、3歳くらいの時に物心がつき、3兄弟の末っ子なのでひどく甘やかされて育ちました。下の写真は、小学6年生のときの写真です。

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小学校6年生のピュアなふちりん

 小学生のころ、勉強はよくできたけどスポーツはいまいちで、よくいじめられていました。中学校ではいじめられないようにしようと思い、剣道部に入りましたが、結局は将棋部の永持君にいじめられました。中1の終わりごろに剣道1級の試験を受けたけれど、1年生が10人くらいいるなか、僕1人だけ落ちました。試験後に剣道の偉い人が講評を述べて、そのなかで悪い例をいくつか挙げたんですが、その悪い例すべてに僕が当てはまっていたので「わはは! そりゃ落ちるわな!」と思いました。

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不登校しまくっていたふちりん

 父親の仕事の都合で、中2の1学期が始まる前に浦和から大宮へ引っ越すことになりました。僕は中2から別の学校の剣道部に入る勇気が出ず、帰宅部になりました。学校になじむことができず、不登校にもなりました。中3のときに、学校で一番強い不良と仲良くなりました。そのため、中3のときにいじめられることは一度もなかったです。その不良には今でも心から感謝しています。彼は今ごろ何してるんだろうなあ。元気でやっていればいいんだけど。

高校時代

決意・計画・継続のない生徒が多い高校

 勉強はほとんどしてなかったし、遅刻や欠席も著しく多かったので、僕は定時制の高校に行くことにしました。埼玉県立大宮中央高校という、不良と元不登校しかいないと言っても過言ではない、知る人ぞ知る最底辺の高校です。偏差値は測定不能なほど低いと思います。28くらいかな。名前さえ書ければ入れるんじゃないでしょうか。僕は定時制の高校を4年間かけて卒業しました。4年もかかったのは、そこが大学のような単位制の高校で、僕が不真面目な生徒だったからです。

 友人は高校4年間で1人しかできませんでした。軽度の知的障害があるとおぼしき男の子でした。その子は頭に浮かんだことを何でも口にするので、化学の授業中、「ゴジラの血液はどんな成分で出来ているんですか?」と真面目に尋ねて先生を困らせたりしました。僕に対しても「田中くん、口が臭いよ」などとはっきり言うのでつらかったです。今でも自分の口臭が気になって他人と上手く会話することができません。しかし彼は基本的には良い人間でした。今ごろ何をしているのかなあ。元気で生きているといいんだけれど。

 僕は高校2年生の終わりごろ、唐突に獣医さんになることを決意しました。当時、家で可愛らしいシーズー犬を飼っていて、動物を救う人間になりたいと強く思ったからです。うちは裕福じゃないから、私立大学の獣医学部には行けないだろうなと考えました。近くの国立大学で獣医学部があるのは東大しかなかったため、僕は無謀にも東大を目指すことにしました。学力がほぼゼロの状態から東大を目指すというのだから、無謀にもほどがあります。

 しかし僕の獣医になりたいという意志は強く、死ぬ気で勉強をし始めました。中1の英単語の学習から始めて、高校の数学3Cまで勉強しました。でもどうしても数学や化学の成績が上がらないため、高校4年生の半ばで東大はあきらめました。国語と英語と生物で受験できる、日本大学の生物資源科学部の獣医学科に第1志望を変更しました。広末涼子が好きだったし、文学や哲学にも興味があったので、第2志望として早稲田大学の第二文学部(受験科目は国語・英語・小論文)を受けることにしました。

 死ぬ気で勉強しつづけた僕は、日本大学の獣医学科、早稲田大学の第二文学部、両方に合格することができました。獣医学科に行きたかったけれど、家庭の経済事情により、あきらめざるを得ませんでした。第2志望の早大二文に行くことになりましたが、そんなに落ち込んではいなかったです。というのは、大好きな広末涼子と同じ大学に行けることが嬉しかったし、早稲田大学のキャンパスの雰囲気がとても気に入っていたからです。

大学時代

 偏差値30くらいの最底辺の高校から、一流大学とされる早稲田大学に入った僕は、当然のことながら、学生たちの頭の良さと意識の高さに驚かされました。高校では友人が一人しかできなかったけど、大学では友人がたくさんでき、共に勉学に励み、共に語り合い、共に酒を飲み、時にはみんなで肩を組んで「都の西北」を歌いました。この校歌を歌うと、心の底から熱い気持ちが湧いてきて、「僕は大なる使命を担って立っているんだ! がんばるぞ!」という強い思いを抱きます。第二文学部では4つの専修から一つを選ぶことになっていて、僕は「思想・宗教系専修」を選択し、毎日のように中国古典(漢文)を読んでいました。

 広末涼子とは、結局のところ大学近くの交差点で一度すれ違っただけでした。しかもそれは他人の空似で、広末涼子ではなかったかもしれません。その一方、当時第二文学部にいたそのまんま東とはよく校舎内ですれ違ったし、同じ授業(宗教学)を受けたこともあります。そのまんま東は他人の空似ではなく、明らかにそのまんま東であり、ジャージ姿で授業を受けていました。学生たちは、そのまんま東がいることに気付いていたに違いないんだけど、軽薄に話しかける者は一人もいませんでした。「さすがは早稲田の学生だ! 浮薄さがない!」と思ったものです。

 大学5年生のときには、設立されたばかりの「早稲田大学モーニング娘。研究会」というサークルに入りました。僕はその頃に石川梨華ちゃんにガチ恋したと記憶しております。そこでは色んな学部のモーヲタと仲良くなり、交友関係と見識がずいぶん広がりました。そして2005年、大学6年生の秋に、ひっそりと大学を卒業しました。僕は深いわけがあって9月卒業をすることになったのです。その日、西早稲田キャンパスはひどく閑散としており、まるでお通夜のような雰囲気でした。でも大学1年時のゼミで仲良くなった友人ら3人が僕のために集まり、焼き肉屋で卒業祝いを催してくれて、とても嬉しかったです。下に載せた写真は、卒業式の日に両親が撮ってくれたものです。

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早稲田大学の卒業式にて。ふちりんシュッとしてる

ニート時代

 「芥川賞をとって小説家になり、石川梨華ちゃんと結婚したい!」と思って、就活を全くしなかった僕は、9月に大学を卒業後、しばらくニート生活を続けていましたが、同年10月くらいに魚民のアルバイトになりました。兄に「おまえ働けよ! パソコンを窓から投げ捨てるぞ!」と言われてケツを強めに蹴られたからです。しかしその魚民は翌年の1月につぶれてしまい、僕は再びニートになりました。そして友人たちや社会からの冷たい視線を受けて精神を病み、精神科に通うようになりました。その頃の心の支えは、3人組のロックバンド・サンボマスターの熱く優しい歌と言葉たちでした。ボーカルの山口さんはMCで、「ニートもクソもあっか! あんなものはな、支配したいだけの奴がな、あんたがたに付けたんだよ! 完全に無視してくれよそんなことは!」とニートを全肯定してくれました。僕は夜な夜な、真っ暗な部屋の中でDVDを見ながら、その熱く優しい言葉に涙を流していました。

 父親が保険関係の自営業をやっていたため、僕はそれを少し手伝うことになりました。しばらくすると父親が「行政書士の資格を取ってくれないか。今の仕事に必要だから」と言うので、法律の勉強は大学でちょっとやった程度だったけれど、行政書士試験のための勉強も始めました。あまり真剣に努力しなかったのと、試験がかなり難しいのもあって、4回も落ちました。そのため、いい加減父親に怒られて、真剣に勉強をやりはじめ、5回目でやっと受かりました。

そして現在へ

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行政書士になったふちりん。後ろに積み上げられた服が気になる

 そして行政書士の登録をしました。登録をする際に、行政書士会の偉い先生が家にやってきて面接を受けました。僕があまりにも覇気がなかったため、「君、大丈夫? もっと元気を出さないとやって行けないよ」と心配されました。「もっと元気を出さないとやって行けない社会って、なんか嫌だな。僕みたいな覇気のない人間でも普通に生きて行ける社会になればいいのになあ」と思いました。

 それから僕は資格の勉強が面白くなり、仕事を申し訳程度にやりつつ、簿記2級、宅建、社労士の資格を立て続けに取りました。社労士の勉強は本当に苦しかったです。最後のほうでは「どうして俺はこんなにつらい思いをしているんだ?」と泣きながら勉強していました(これは誇張表現ではなく、本当に涙を流していました)。試験当日は、午後の試験中にパニック発作が出て、あやうく途中退室するところでした。ギリギリのところで踏みとどまりました。なんとか合格できて良かったですが、維持費などにお金がかかるため登録はまだしていません。今は、父親の自営業を手伝いながら、たまに行政書士の仕事をしています(事務所のブログはこちら)。また、資格試験の勉強の経験を活かして、初学者がどうやったら効率的に合格できるかについて記事を書いたので、もし社労士・行政書士・宅建士に興味があればぜひご購読ください。

石川梨華ちゃんへのガチ恋

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梨華ちゃんの直筆サイン入り生写真たち

 もし「日本で一番有名なガチ恋ヲタクは誰か?」と訊かれたら、「それはたぶん僕なんじゃないかしら」と答えることになると思います。僕はそれくらいヤバいガチ恋ヲタクでした。上述のように、梨華ちゃんに恋をしたのは大学時代です。それからとても長い年月が経ちました。今では梨華ちゃんは、あるプロ野球選手と結婚して2児の母となっています。一方の僕は未だに独身で、かすかに梨華ちゃんのことを想いながら、メイドカフェやアイドルカフェに通っています。

 2014年8月5日、梨華ちゃんの熱愛報道が出たときには、精神が崩壊しそうになり、すぐに精神科に駆け込みました。しかしその精神科の主治医は黒縁メガネをかけた若いイケメンで、「こんなモテそうな男に僕の恋の悩みなんてわかるわけがない!」と思い、精神科を変えました。

 変えた先での主治医は、元AKBの大島優子似のとても美しい女医さんでした。その女医さんには当初、「梨華さんにも1人の女性として幸せになる権利があるんですよ」とたしなめられたりもしたけど、基本的にはすごく優しく診察をしてくれました。そのおかげもあって、今では梨華ちゃんに関する鬱はほぼほぼ乗り越えています。まだパニック障害の症状が出ることはありますが。

 僕が梨華ちゃんへのガチ恋に苦しんでいた頃、株式会社リットーミュージックさんから依頼があって、「耳マン」というサイトの「たのしいドルヲタ図鑑」のインタビューを受けました。それをきっかけとして、同サイトで「推しメンが結婚しそう日記」を連載することになりました(その後タイトルが「推しメンが結婚しちゃった日記」に変更された)。連載期間は、2017年3月から2019年10月までの長きにわたりました。連載回数は全70回くらいです。まだ「耳マン」に記事が全て残っているので、もしよろしければお読みください。

 「たのしいドルヲタ図鑑」に載ったことや、「推しメンが結婚しちゃった日記」を連載したことにより、ガチ恋に関するトークイベント等にお呼ばれするようになりました。男性俳優を推しているめりぴょんさんのイベントに呼ばれたり、地下アイドルの姫乃たまさんのイベントに呼ばれたりしました。貴重な経験をさせて頂き、ありがたく思っています。

 僕のガチ恋について興味がある方は、はてなブログ『ふっち君の日記。』のほうも読んでみてください。これは大学生だった2004年から書き続けています。えげつない下ネタが多いので、そういうのが苦手な方は気を付けてください。X(旧Twitter)は2009年からやっています。

追記(2023年10月29日)

 2022年2月に、YouTubeチャンネルを立ち上げました。チャンネル名は『ガチ恋おじさんふちりんの切ない日常』です。切なさの中で日常を生きている僕の姿を覗き見ることができる、そんな動画をのんびり投稿しています。もしお気に召したら、チャンネル登録と高評価ボタンをお願いいたします。まるでYouTuberのようなことを言ってしまい、すみません。

 2022年7月に、noteメンバーシップにおいて『ふちりんファンクラブ』を開設しました。立ち上げた理由は、このあまりにもギスギスしたインターネットに、心の癒される空間を作りたいと思ったからです。月額は380円となっています。ファンクラブ限定記事を毎週金曜日に投稿したり、掲示板でX(旧Twitter)には書きづらいことをつぶやいたりしています。

 僕のことが気になった方は、とりあえず無料記事(日記風エッセイが中心です)を読んでみてください。無料記事はこつこつと書き溜めて、現在100本以上あります。無料のマガジンに全てまとめてあるので、ぜひご利用ください。もし僕に連絡したい方がおられましたら、gorikaikudasai@hotmail.comまでメールしてください。

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