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3代目の闘い⑩〜米粒一粒に神は宿る〜


「米粒一粒に神様がいる」

「だから一粒一粒残さず食べろ」

幼少の頃よりそう教育され、
齢四十三となった今でも
ある種の信仰に近い形で私の潜在意識に
刻まれている

農家ではないが、
米どころ新潟でこの世に生を受け、
また学校教育でも農家の方と触れ合う機会も少なくなかった私にとり、「米」には神性を感じている

また生来不器用で鈍臭い私は、
風雪に耐えながらも稲作に励み、私の生命を維持させてくれている農家の皆様に敬意の念が絶えない


高校時代の課外研修で「田植え」と「稲刈り」を経験させてもらったことは「稲」と「土」の「温もり」と「有り難さ」を体感させていただいた僥倖であったと言える

高校時代の勤労体験(田植え・稲刈り)


時が経ち、
私は経営者となった


いわゆる「会合」続きの毎日だ

会合が終わり、宴席を見渡せば
おびただしい量の食事が残っている

溶けかけたアイスクリームはどこか淋しげだ

残された肉や米を見るたび思うことがある

我が子のように牛や豚を育て、
食肉用に売られていく彼らの姿を目にし、
涙を溢れさせて見送る畜産業の方を想うことはないのか

突如死の恐怖と苦痛にさらされる動物たちの気持ちを考えたことがあるのか

厳しい修行を経てシェフとなり、
生産者の皆様への感謝と動物たちへの祈りを捧げながら1ミクロンでも美味しい食事を届けようと粉骨砕身の想いで料理を創る方々が、目の前で無惨にも料理が残飯として捨てられる無念を想像することはないのか

農家の方や畜産業の方がその様子をみたら
どんなに嘆かわしい気持ちになるか

米どころ新潟県人として米を残すことを
恥とは思わないのか


金儲けのためにお客のご機嫌を取る前に

己が権勢を誇ろうと豪放磊落な体をして
料理に手をつけず酒を煽る前に

「人脈作り」とかわけわからんこと言う前に

やるべきことがあるだろう

生産者の皆様の労苦

動物たちの悲哀

料理人・スタッフの魂

飯が食べたくても食べれなかった
或いは食べられない人達のこと

身を粉にして働き
うまい飯を食わせてもらい育ててくれた
祖父母や両親のこと

そうしたことに涙し
感謝と敬意の気持ちをもち、黙々と美味しく目の前の料理をいただく

米粒一粒残さずにいただく


米粒一粒一粒を大事にできない人間に

語れる夢はあるのか

歌える歌はあるのか

偉そうにSDGSのバッジなんか
つけてんじゃねえよ

まあ俺はこんな性格だから
商売も下手だし、結婚もできねえ

そして嫌われる











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