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感性に足があるなら、それを地につけるような対話

今月はお久しぶりの方と、これからのお仕事などについてお話していました。ちょっと寄り道したり、休憩していた方も、また元の道に戻ってきたような気配を感じています。

私自身もそうなのですが、体調を崩されていた方も調子が戻ってきたり。

ある方のお話を伺っている中で、対話型アート鑑賞についてお伝えしておくと良いな、と思ったことがありました。

その方のやりたい事が、創造性や子どもとの対話を大切にしているものだったので、一度体験したり、その対話のしかけを知っていただくと良いなと思ったからなのですが、そうしたしかけの存在の意義を、改めて感じた次第です。

特に、アートや芸術のような、決まった形のないもの、形をとどめないもの、感覚・感性に比重を置いたものについては、ふわふわとしすぎて、掴み所がないものになってしまうと思います。

知識を大事にする人にとって、受け入れがたいものになってしまう、毛嫌いするのは、そういう理由ではないかと。

自由な発想・発言を伴う場では、そうなっていくリスクは避けられないもの。ふわふわ飛んでいってしまいそうな、感性をつなぎ止めておくものが必要で、その役目をファシリテーターが担っています。

問いかけ、応答、再びの質問…等々によって、感性の足が地に付くようになると、納得感が生まれて、途端に共感を生むようになり、同時に、別の新しい視点が出てくる(しかも、共存している)。

という場が出来上がります。
私のお仕事そのものも、対話のことばに限らず、その人の使命や存在そのものを、そうやってつないでいくことなのかもしれません。

「感性を働かせる」こと
本・星・アート・心と身体から伝えています。

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Hiromi T
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