認知と同じように東西で違うもの、どちらも素晴らしいもの
この2年くらいの私の疑問でした。
日本の演技って、あまり評価されていないのだと思っていて、それは国内外のその業界でお仕事をしている方からのお話を通して感じたことです。
一方で、どこかで東洋的な何かが眠っているのでは?ということが、私がいつか誰かに聞いてみたいと思っていたこと。ふと、大事な友人からいただいた記事から答えをいただきました。
こちらの記事なのですが、本当に興味深くって、、、
記事の中では、平田オリザさんの演劇の取り組み、関わりについて紹介されています。
大学の心理学の教科書にも、オリザさんの演劇について出てきたんですが、そこから読み取れるのは「最初は意味を分からなくてもいい、型をなぞるように動いて、話しているうちに分かるようになってくる」ということでした。(尚、私は演劇未経験です)
私の周りには、どちらかというと西洋の演劇論・演劇指導を学んだ方が多いので、歴史的背景や人物についてのリサーチを大事にして、自分の中に演じる人を育てるということをよく聞きます。対して、日本の演劇は、型が決まってそこにはまろうとする「紋切り型」と批判も込めて言われているのも聞きました。
そこから踏まえたら、やっぱりオリザさんの演劇は紋切りに入っちゃうじゃないか?とか、西洋と東洋では、物事の捉え方に違うがあるのと同様に、演技のアプローチの仕方にも違いがあるのではないか?と考えたりしていたのですが、
この記事を読んでみての私の結論は、「型をなぞる」というところに誤解があるんだということでした。
セリフを言えないのには、その俳優個人に問題があるのでなくて、その状況が分からなくなる環境の方に問題がある。だったら、環境の方を変えていけばいい。そのようなアプローチをされるそうです。
「型をなぞる」は、稽古場でのことではなくて、どちらかというと実社会の中に身を置いてやるということなのでしょう。
そして、個人に対してではなく、環境へのアプローチというのは、主要な中心的オブジェクトを捉えやすい西洋に対して、周辺環境を認識しやすい東洋的アプローチだなと、とても好きになりました。
以前から、インタビューの記事などで平田オリザさんのことには触れたことがあったのですが、そして、そのときとても好意的な印象を持ったことも覚えているのですが、、、心理学の教科書を読んで以来、「どういうことなんだろう?」と、ちょっと引っかかっていたものが2年くらいあって。
この記事を読んだら、するするっと納得したのでした。