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声にならない自己主張

昨日、自分を信じることと、相手への信頼を育てる、人生で一番はじめの体験について書きました。

何か自分の状態が崩れたとき、調子が出ないとき、どんな自分でも受け止めてくれる誰かがいること。それが、自分はそれだけの価値がある人なんだと認知する、自分への信頼につながります(アタッチメント理論)。

私の場合は、0歳くらいのときこそ泣いていたかもしれませんが、記憶にある限り、幼稚園では困っても助けを求められず、ずっとだまって園庭のすみに居たり、教室ではぼんやりと天井を眺めていたり、いじめられても「反応したら相手を助長するから黙ろう」という決断をする幼児でした。

誰かが発見してくれるのを待つとか、嫌なその時間が過ぎ去るのを耐え忍ぶような。そんなわけで、その後の友だち関係にも難しさを感じていたり、頼る人はだれも居ないと思っていたので自分ひとりで何でもやる癖がなかなか抜けませんでした。

子どもたちが泣いて、怒って、思う存分機嫌を損ねているのをみると、「私にはそんなことできなかったよ!!」と尊敬してしまいますが、そういう自己表現は人間関係をつくる上での確固たる土台なのでしょう。

そういうお子さんは、自分への信頼をつくる第一歩を踏み出しているわけなのですが、ある一定数、私のように、もしかしたら、「言ってもしょうがない」「自分の欲求を伝えてはいけない」と諦めているお子さんがいるのではないか?とも思います。

よく、おとなしい子こそ、見逃されてしまう、というのは、そういう現象ではないかと思う次第です。


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Hiromi T
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