世界遺産 四川-九寨溝へ。 (下巻)
黄龍 2014.8.13
海抜3100ー3600m。
世界有数のカルスト地形。石灰華( 石灰質の科学沈殿岩 )が作り出すさまざまな表情を見ることができる。峡谷の遊歩道は約4km、徒歩のみの移動。(ロープウェイもある)
湿原地帯に一本の木製の遊歩道が渡されていて、皆がそこを歩く。
昔歩いた、日本の尾瀬の遊歩道を思い出した。
わずか4km、緩やかな登山と侮るべからず。私は富士山の山頂にいるようなものだ。
ヘロヘロぼんやりしながら、頭痛を堪えて歩き続けた。ところどころ、酸素吸入スポットが用意されていて、帰りの道中に試すが効くのかどうかよくわからないという感想。
空模様が目まぐるしく変わる。時折小雨、時折陽射し。
登った先には、道教の寺院と、仏教の寺院がある。二つを合わせて、黄龍寺と呼ぶらしい。
” 藏族五彩旗 zang zu wu cai qi / ザンズ ウーツァイ チー "
登った高台から、山々の頂を見下ろすことができる。さらに高いところ、険しいところにも5色の連なった旗が何箇所にも渡ってかけられている。(写真に収めていない) チベット族の伝統の祈祷旗 = ”タルチョー "というものらしい。
5色は世界のエレメントを表していて、世界平和への祈りの象徴とも言える。
経文を書くこともあり、それらの旗が風ではためく事で、その経を読み上げるのと同じことになるので、徳が積まれるということらしい。
こんな高いところから山々を見下ろすと、社会というよりは、世界のあれこれを考えて平和を願わずにはいられない。私ですら、そんな気になる場所でした。
小さな食べ物達
▲ 歩けば歩くほど体重が増える謎の答えはこちら。
旅で出会った、ちょっとした食べ物達。特にコメントは無しで。
九寨溝 最後の晩餐
” 香锅牦牛 xiang guo mao niu シャングオ マオニュウ "。
丸の唐辛子も無ければ、輪切りの唐辛子も無い。さらには赤味を帯びたラー油も浮いていない。他の地方の" 香鍋 "よりもかえって辛さがない。
九寨溝の料理は、四川にありながら殆ど辛いものが無いようだ。
強いて言えば、黄龍の唐辛子粉まぶしソーセージくらいか。。。
少数民族の宗教色が濃い地域なので、ひょっとしたら、辛いものを腥(なまぐさ)とするような宗教観などと関係してる? などと考えたり。
最後の夕食の、取りを務めるのは、
四川省の特産を山盛りの " 炒松茸 chao song rong チャオ ソンロン "。
一皿、300gは入ってるな、コレ。こんなにぶりぶりもりもり松茸を食べるのは最初で最後でしょう。
料理人の私は、何も言いません。
旅人の私は言います。『 確かに四川の山に来た。。。感動。』
高山病
中国語は " 高原反应 gao yuan fan ying ゴーイェンファンイン "。
高原病、海抜2500m越えあたりから、出やすいようだが、基本的に症状が出る人、出ない人で分かれるようで。
症状として私は、もっぱら頭痛。こめかみと目の奥にグッと痛みが入る感じ。
旅の前も睡眠不足の蓄積、連日のアルコール摂取などがあり、なんとなくの気だるさがあっても当然な感じもするし、二日酔い的な雰囲気で旅の終始を過ごした。
吐き気は全く無いが、ホテルで眠る時に頭痛が続いたのは少し辛かった。
食欲は全く衰えなかったが、二日酔い的なぼんやり感からか、酒を飲みたい気分にならなかったのは確か。
3割ぐらいの人に、症状が出るというデータもあるようだ。
私は、1 / 3 の確率で、高原病ガチャに負けていたのだろうか? 移動高度を加減するなどの対策も有効であるようだが、今回は飛行機でいきなり海抜3400mあたり。仕方がない。
出る人は、また再発する可能性が高く、この度でその烙印を押された気分。
トラウマとなり、この後に雲南省やチベットへの旅を計画できなくしてしまった。
” 红景天 hong jing tian ホンジンティエン "
抗高山病の口服液。
2000m−3000m級の高山に生える植物の漢方薬である。初日の空港から九寨溝の方へ移動するタクシーで不自然な眠気が差したので、それを話すとすぐに薬局へ向かってくれて、『これを買って飲めばいい』と勧められた。
やはり、多くの人もこれを求めて薬局に来るようで、人が多かった。薬局のカウンターには " 紅景天 "が山のように積み上げてあり、それはまるで駅弁売りの光景のようだった。一箱2000円くらいはしただろうか、私は高いと思ったが、来る者全てその値段で買っていく。家族連れなんかは、4箱5箱って、まるでシューマイ弁当が売れていく感じだった。 多分、小さな薬局一軒につき、100万円 / 日は余裕で売れてそう。。。旅の景色としてはそれもまたインパクトのあるものだったな。
土産には、乾燥のマカ、とか冬虫夏草とかを購入、サフランや乾燥松茸などが気になったのも覚えている。
旅の友 2014.8.14
記事の終わりに。
旅をサポートしてくれた、現地少数民族の運ちゃん。ありがとう。
礼儀正しい、男前の当時27歳。ちょうど10年前、ええおっちゃんになっとるやろなぁ。
以上