今日は、お寺のお不動さんが気になったから何故かと思ったら、不動護摩供だった
タイトル通り、何故か朝から時々行かせてもらってるお寺のお不動さんが気になるなぁ。と思ったら、なるほど。今日は、28日。不動護摩供(ふどうごまく)の日でした。
本当は、やらなきゃいけない仕事があるし、不動護摩供は、例祭より長いし(←そこ!?)どうしようか迷ったのですが、前日の神社参拝の件もあったし(実はどちらも同じ地区にあり場所も近いんです。きっと、山としては同じ山なのではないかと思っています😊)思い切って護摩供に参加してきました。
お寺に向かう車の中で、すでに色々な気付きがあり、護摩供が終わるまでの約2時間、じっくり自分と向き合う事が出来ました。
ぶっちゃけ、お不動さんに呼ばれたし、今回も、何かあるのかなって思っていましたが、本当に、ただただ自分と向き合う時間でした。
例えば、(これは車の中での気付きだったのですが)娘は、私や旦那をおだてる時、
『ママは、パパより優しい♪』
みたいな、人と比較して誉めるんです。私は、そのことが嫌なんだけど、でも、娘にそうさせてしまったのは、私達の言葉がけが、原因だっていうことまでは、気付けてはいたんですけどね。
なぜ私が、そのような言葉がけをしてしまっていたかまでは、考えていなかったのですが、今日、明確に知れたんです。
私自身、小さい時から人と比較されて育って(特にダメ出しさせるとき)、だから知らず知らずのうちに、
誰かと比較して誉める方が喜ぶ
という常識が作られていたみたいなんです😳😳😳
こないだの怒りの権現もそうなのですが、きっと今は、自分と向き合う事が大切な時期なんだろうなって。
あー、そいえば。護摩供養中、(見えない)誰かが隣に来たなぁと思ったら、何故か閃いた名前が
親鸞聖人
🤣🤣🤣🤣🤣
護摩供の様子を見て、
良きかな良きかな
的な、にこやかなオーラで見守ってる感じで。
なんでやねん!!イヤイヤ、ここは真言宗を立ち上げた、え~っと、え~っと…。
あれ?真言宗の開祖であるあの和尚の名前が出てこない😱😱😱
そうなんです。この時、何故か空海さんの名前を全然思いだけなくて😳
ちょっぴり不思議な体験でした(笑)
親鸞聖人と真言宗って、何か関係あるのかしら??
なんやかんやで護摩供が終わり、副住職さんの説法。
要約すると、どこにフォーカスするかが大切っていうお話しで。
最近、このフォーカスに関して、私の課題として、よく上がっている気がするんですよね。
きっと、今私が乗り越えるべきは、例えばどこかにフォーカスをおくのではなく、そこをフラットにすることがテーマなんだろうなぁ。
いや、違うな。陰陽で例えると、どちらか一方にフォーカスするのではなく、陰が出てきたら、その事を認め、受け止めながら、陽に転じる。
うん、この言い方がしっくりきます。
怒りや悲しみ、恐れなどの気持ちが出てきた時、それを否定するのではなく、その気持ちを認め、受容したあと、逆サイドにフォーカスする。
それが、今の私に必要な事なんだと思います。
なんだろう。2時間近く瞑想状態にあったからか、なんだかまだ脳の中が、ポワポワしてて、とっ散らかった文章になってる。
いや、それはいつもの事か(笑)
ではでは。