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世界恐慌から太平洋戦争まで〜「軍港の子」の予習〜


世界恐慌

世界恐慌:1929年、ニューヨークの株式市場で株価の暴落が起き、アメリカの景気が急速に悪化した。また、ヨーロッパをはじめ世界中に広がった。

恐慌への対策

【アメリカ】
ニューディール(新規まき直し)政策:公共事業をおこして失業者を助け、労働者の権利を保護するなど、政府が積極的な不況対策を実行した。
【イギリス・フランス】
ブロック経済:多くの植民地との貿易を拡大しながら、他国の商品をしめ出す経済圏(ブロック)をつくった。→自由な貿易は難しくなり、貿易に頼る国々の経済が苦しくなる。
【ドイツ】
民主主義を否定し、ナチ党が勢力を伸ばした。→ヒトラー首相は他の政党を解散させ、独裁体制をつくり上げた。→国民の言論・思想を奪い、人種差別思想を唱えてユダヤ人を迫害→軍備の拡張による景気回復により、国民はヒトラーを支持。
【イタリア】
・ムッソーリー二の率いるファシスト党が政権に就く。(独裁政治)→恐慌の影響で経済に行き詰まると、エチオピアに侵略して併合した。
ファシズム:民主主義や基本的人権を否定し、軍事力で領土を拡大しようとする独裁政治。
【ソ連】
・レーニンの死後、スターリンが独裁体制を築き、工業化や農業の集団化による社会主義政策を進めていた。
・「五か年計画」により、直接的な影響は受けなかった。⇨強引な政策に反対したり、スターリンを批判したとみなされた人々が、多数弾圧された。

一方で日本は...
・第一次世界大戦から続いていた日本経済の不景気+関東大震災による打撃→一層、深刻になった。
・1920年代後半 金融恐慌:中小銀行が不良債権を抱えて経営に行き詰まり、預金の引き出しで倒産に追い込まれる銀行が多発。
・世界恐慌が発生すると、都市では多くの企業が倒産。→失業者が溢れた。
・農村→農作物が値下がり+アメリカへの生糸の輸出減→特に養蚕農家が大打撃
・冷害で大凶作に見まわれた北海道や東北地方等→借金のための「娘の身売り」、学校に弁当が持参できない「欠食児童」が社会問題になった。
・都市→賃金の切り下げや解雇に反対する労働争議が頻発
 農村→小作争議の激化
 ⇨政府:治安維持法を改正(最高刑:死刑)=社会運動の取り締まりを強化
・大銀行は中小銀行と合併→財閥の中核として大きな力を振るうようになった。
・財閥の汚職
⇨国民の間には、政党政治や財閥に対する不満と不信が広まる。

満州事変から国際連盟脱退へ

中国が国民政治によってほぼ統一された→日本の権益が集中する満州にも影響が及ぶようになった。
【日本】「満州は日本の生命線である」として、武力を用いてでも日本の権益を守り、広げようという主張が高まった。
満州事変:1931年9月18日、満州に駐留していた日本軍(関東軍)が奉天(現在の瀋陽)付近の柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破し(柳条湖事件)、これを中国側の仕業であるとして攻撃開始。→日本政府:戦線をこれ以上広げない方針、日本軍:政府を無視→他国も日本に対して不信感を持つ→国際連盟は、イギリスなど5カ国の代表者からなる調査団を現地派遣→1933年2月勧告「満州での日本の権益を認めるが、満州国は日本がつくらせてもので独立国と認められず、日本軍は占領地から撤兵するように。」→日本は無視→3月国際連盟の脱退を通告→ドイツも脱退→国際連盟の役割が弱まる→アメリカ・イギリスなどと締結していた軍縮条約の廃棄を通告+海軍の軍縮会議から脱退=軍備の増強=国際社会から孤立
満州国:日本軍がつくらせた清の最後の皇帝だった溥儀が元首。恐慌で生活に苦しむ農民が、日本から集団で移住。

軍国主義の高まりと日中戦争

1932年5月15日 五・一五事件:海軍の青年将校等が首相官邸などを襲い、犬養毅首相を射殺。→政党内閣の終了
1936年2月26日 二・二六事件:陸軍の青年将校等が約1400人の兵士を引き手反乱を起こす。→大臣の斉藤実や高橋是清らを殺傷→東京の中心部を占拠
共産主義の勢力に対抗→ファシズムを進めるドイツに接近→1936年 日独防共協定を締結
1937年7月 日中戦争:北京郊外の盧溝橋で、日本軍と中国軍の武力衝突(盧溝橋事件)が起こったのをきっかけに開始。→日本軍は、重慶を爆撃し、中国各地を占領。→中国民衆の粘り強い抵抗により長期戦へ。

戦時中の国民生活

国民精神総動員の掛け声→軍事費のために、国民は節約によって物資の不足に耐え、戦争に協力しなえればならないという風潮が強まる。
1938年 国家総動員法:政府は、議会の承認なしに、戦争遂行のために必要な人・物資を動員可能になった。→国民は、軍縮品の工場等で働かされたり、生活全体にわたって厳しい統制を受けた。
1940年 大政翼賛会:1940年に残った政党や政治団体をまとめた団体。(例:隣組、大日本産業報国会)
1941年 小学校→国民学校:軍国主義を支える教育。
・生活資源が配給制や切符制になり、価格も統制。
・「ぜいたくは敵だ」という標語のもとで、贅沢品の製造・販売が禁止になった。
皇民化政策:植民地の朝鮮の人々に対して、日本人に同化させる政策。日本語の使用、神社への参拝、創氏改名。(台湾でも)

第二次世界大戦

1930年代後半 枢軸国(日本・ドイツ・イタリア)が、国際協調を否定して国際連盟を脱退。
1937年 三国防共協定を締結
1938年 ドイツが、軍事力を背景に、オーストリアやチェコスロバキアの一部を併合。イギリスとフランスは、ドイツの拡大からポーランドの支援に変更を表明。
1939年 ドイツが、ソ連と不可侵条約を締結し、9月にポーランドへ侵入。→イギリスとフランスはドイツに宣戦し、第二次世界大戦が始まった。
1941年 ドイツが不可侵条約を破ってソ連に侵攻し、独ソ戦が始まった。
【ドイツ】レジスタンス:ドイツ軍の作戦を妨害したり、迫害された人を助けたりする抵抗運動。
1941年8月 大西洋憲章:ローズベルト大統領(アメリカ)とチャールズ首相(イギリス)は大西洋上で会談し、民主主義を守る、国際社会の新たな原則を発表。

太平洋戦争

・中国との戦争が長引いていた→アメリカやイギリスの補給路を断ち、資源を得たい!
1940年 フランス領インドシナ北部へ侵略開始→三国防共協定のつながりを強化+アメリカ参戦を抑えたい!
・ドイツ・イタリアと日独伊三国同盟を結成
大東亜共栄圏:アジアから欧米の勢力を追い出し、アジア民族だけで繁栄していこうとするために提唱した。
1941年 日ソ中立条約:北方の安全を確保しながら南進を続けるために、ソ連と結んだ条約。
ABCD包囲網:日本がインドシナ南部に侵攻すると、アメリカは日本への石油・鉄などの輸出を禁止し、イギリスやオランダも協力して、日本を経済的に孤立させる。→日本:「打ち破るには早期の開戦しかない」という強硬論が高まる。→日米交渉するも、日本軍の撤兵を求めた。=交渉が難航
1941年10月 東条英機が首相になった→戦争の準備を進め、昭和天皇が臨席する御前会議で開戦を決定。
12月8日 陸軍:イギリス領のマレー半島、海軍:ハワイの真珠湾にあるアメリカ軍基地を奇襲攻撃。→日本がアメリカ・イギリスに宣戦=太平洋戦争開始
最初は順調だったが、6月のミッドウェー海戦の敗北を堺に不利になる。→国民は情報を知らされないまま「正しい戦争」と信じ、政府の政策に進んで協力。批判的だと「非国民」と非難。
【国民生活】
・政府や軍部の注文を受ける一部企業は大きな利益をあげた。
・生活物資は欠乏。
・戦争末期には全食料が配給制になった。
・農具や肥料が不足し、徴兵で働き手不足になり、食料不足。
勤労動員:工場や鉱山などで、中学生や女学生までが動員された。
学徒出陣:理科系や教員養成系以外の大学生・専門大学生に対しても、徴兵の猶予を停止し、多くの学生が学業半ばで戦場に送り出された。
学童疎開:空襲が激しくなり、都市部の小学生は親元を離れ、地方の農村などに集団で疎開。

1945年2月 ヤルタ会談:アメリカ・イギリス・ソ連の首脳が、黒海沿岸のヤルタで会談。ソ連が日本に対して参戦することや、千島列島を領有することなどを秘密に取り決めていた。
1945年3月 アメリカ軍が沖縄に上陸→中学生や女学生を含む多くの県民が、激しい戦闘に巻き込まれた。6月後半に、日本の組織的な抵抗は終わったが、戦闘は9月7日まで散発的に続いた。(沖縄戦)
1945年7月 三国の首脳が再びドイツのポツダムで会談→日本は無視
8月6日 アメリカが広島に原子爆弾(原爆)を投下→死者20万人以上
8月8日 ソ連が日本に宣戦し、満州や南樺太などに攻め込む
8月9日 アメリカが長崎に原子爆弾(原爆)を投下→死者10万人以上
8月14日 ポツダム宣言を受け入れて降伏
8月15日 昭和天皇によるラジオ放送で、敗戦を国民が知る。
【戦争の影響】
・中国にいた日本人の中には飢えなどで亡くなったり、残留孤児として現地に残されたりした人々も数多くいた。
・シベリア抑留:満州などで降伏した約60万人の日本兵が、ソ連軍によってシベリアに送られ、強制労働などで5万人以上が犠牲になった。