太宰治「津軽」を通してRAY津軽よされ節を解する
初めに
こんにちは。bedlam_revelerです。
前回、Meteor派なる謎noteを書いたのですが、
自分の好きなものについて文章を書くのはいいですね。
私の中の文学部卒としての残滓に響くものがあったので、
こうやってまた駄文を連ねることにしました。
ところで、換骨奪胎という言葉をみなさんご存知でしょうか?
比較文学というものを専攻していた私の指導教官がよく口にしていた言葉です。
今振り返ってみると、この言葉はオルタナ/シューゲイザーというものをアイドルの文脈の中で再構築してきたRAYにぴったりだなと思ったわけです。
そこでいつか比較文学的観点からRAYについて何か書けたらなあと思っていたところ、
津軽よされ節という格好のネタが見つかったのです。
伝統的な津軽よされ節をRAYはどのように自分たちの文脈に納めたのか、
それを津軽を代表する人物太宰治に触れつつ書いていこうと思います。
津軽よされ節の歌詞
まずはRAYよされ節と本家よされ節の歌詞を並べてみます。
本家よされ節の歌詞を載せるのですが、
ちょっと驚いたのはよされ節の歌詞というのはほんとにバリエーション豊かなんですよね。
全部を取り上げるのは無理なので、RAYのよされ節に近しいものを取り上げます。
郷土津軽の景観を歌っています。桜の名所、弘前城に始まり、花見をしながら盃を片手に城越しに見る津軽富士こと岩木山。夏になると舞台は水辺に移り、日本海沿岸の大戸瀬深浦から青森市より東の浅虫、そして秋田との県境の十和田湖へと青森県の西半分をぐるっと一巡りします。こう見るとRAYのよされ節はだいぶ短くなっているのがわかりますね。ちなみに以下のサイトには多種多様なよされ節の歌詞が載っています。
では、なぜRAYのよされ節がこの切り取り方になったのかを考えていきましょう。割とエクスペリメンタルな本家よされ節はYouTubeで検索すると5分以上の動画もざらなので、3分のアイドルソングとしてまとめるためというのはまちがいではないでしょう。ただ、私はここでみなさんに太宰の津軽の一節を見ていただきたいのです。
どのような過程を経てRAYのよされ節の歌詞が作られたのかはわからないものの、この太宰を一節を読めばいみじくもRAYが津軽の魂の本質だけを取り出していることが伝わるのではないでしょうか。もちろん大戸瀬深浦も浅虫も十和田湖も素晴らしいところです。ただ、地理的には太宰のような生粋の津軽人からすると少し離れた場所になります。一方、岩木山は弘前城と並ぶ津軽のシンボルです。そんな岩木山をも排してRAYは津軽の本質に一直線に迫りました。歌詞だけに注目すると、RAYのよされ節はもともとの歌詞をおさまりの悪いところで切っているように感じられます。「霞に浮かぶ津軽富士」の部分がないと日本語として不完全です。あえて省略しているのですが、省略することで岩木山の不在をより感じさせているかというと、そうではありませんね。そのような効果を発揮するためには、受け手である我々が続く歌詞と岩木山の情景を知っていなければなりません。ですから、よされ節において彼女たちは春、それも津軽の中でも弘前城というピンポイントにフォーカスを絞りに絞って表現していることがわかります。すべてを網羅するのではなく、視野を狭めることで津軽の本質を捉えたのです。その徹底ぶりは視線が上を向いているCDジャケットでさえも岩木山を排し、弘前城と桜のみを描いていることからも伝わってきます。
なぜよされ節が選ばれたのかという謎
北東北出身の私にとって津軽は身近な土地柄で、その文化については子どものころから聞いた覚えがあります。津軽民謡についても耳にした記憶がうっすらあるのですが、そのとき聞いたのは津軽じょんから節だったと思うのです。津軽じょんから節、津軽よされ節、津軽小原節で津軽三大民謡と呼ばれていますが、その中で一番有名なじょんから節ではなく、なぜよされ節が選ばれたのか。それはメロン氏が語らない限り明らかにはならないと思いますが、よされ節だからこそ持つ意味というものをここから書いてみます。
「よされ」の意味
こちらのページによると「よされ」には3つの意味があります。
①「夜去り」説
今夜を意味する古語「夜去り」を語源とする説。古語では去るには「来る」という意味があり、夜が来ることを意味する。
②「世去れ」説
貧しい暮らしに苦しむ庶民が、苦しい世の中が早く過ぎ去ってほしいという思いを込めた「世去れ」を語源とする説。
③「よしなさい」説
特に南部よされ節において提唱されている説。
ちなみに以下のサイトではまったく別の説も載っていて、上記の三つの説を否定しています。
このように「よされ」の本当の意味というのは断定できません。しかし、断定できないからこそ解釈の余地というものが生まれるのであり、ここでもう一度太宰の津軽に戻ってみます。
「よされ」の意味・語源は断定できないものの、この津軽の人々が耐え抜いてきた圧倒的な悲惨さを前にすると「世去れ」説をとりたくなるのが人情というものではないでしょうか。語源としては「世去れ」ではなかったとしても、よされ節が津軽に根付いていく間に「世去れ」という願いが込められるようになったと推測することはできます。
RAYのライブにおけるよされ節
私はにわかRAYオタなのでライブにはまだ8回しか行ったことがないのですが、幸運なことにそのうちの3回でよされ節を見られました。昨年の内山バースデーと2月の大阪遠征の2,3日目に見たのですが、二回目以降からはよされ節の三味線が鳴った瞬間にオタクの「おめでとうございまーす!!」という謎のコールが入るようになったんですよねw
コールの是非という厄介な問題はここでは無視しますが(個人的にはオレはやらんけどみんなはやりたきゃやればいいんじゃね派)、この「おめでとうございまーす!!」は悔しいことによされ節の特徴を捉えているかと思います。それはよされ節の持つ独特の祝祭感です。三味線とよされ節の独特なリズムは日本の伝統的なお祭りを感じさせます。また、ライブという非日常的な場は我々オタクにとってのお祭りですよね。曲の持つ特徴と非日常的な場の雰囲気が合わさって、思わず「おめでとうございまーす!!」と叫び出したくなるのは理解できるなと感じました。
ここからは恣意的な解釈になってしまうのですが、やはりRAYのよされ節にも「世去れ」要素はあると思うのです。我々オタクはそれぞれが日々どんな生活を送っているかは知りません。ある者は実社会で成功を収めているかもしれませんが、一方で実生活では忸怩たる思いを強いられている者もいるでしょう。特に後者のパターンの人が、普段の辛く苦しい日々を忘れたい、いっそのことそんな世は去ってくれたらいいのにという思いを抱えてRAYのライブに来ることはままあるでしょう。
つまり、津軽の人々が自然的要因で生まれた日々の暮らしの苦しみを忘れ去るために歌ったよされ節は、現代社会に生きる我々オタクがRAYのライブという祭りに集まり、日々のストレスを忘れ去るための曲に変容したと言えるかもしれません。その象徴となるのが「おめでとうございまーす!!」の謎のコールなのです。
アイドルの持つ津軽人的性質
ではなぜ我々オタクがそれほどまでにRAYのライブに思いを託せるのかというと、それはアイドルがもともと持つ津軽人的性質から説明することができるかもしれません。これはRAYだけでなく、あるゆるアイドルに当てはまることです。もう一度太宰を引用します。
このくだりを読んで、我々オタクは身に覚えのある感覚にならないでしょうか?この熱狂的な歓迎ぶりは我々がチェキを撮りにいったときにそれぞれの推しから受けるものに近しいと言えると思います。もちろんこれはRAYに限らず他のアイドルにも言えることなのですが、RAYでは私は特に内山さんと琴山さんの歓待ぶりに驚かされますね。この二人は本当に微に入り細に入りというところまでオタクのことを覚えています。琴山さんなんて私はチェキを3回しか撮っていないのにTwitterのアカまで覚えてくれていて驚愕しました。太宰の言うところの関東・関西の人にはむしろ敬遠されるかもしれないというのは、非アイドルオタクには敬遠されるかもしれないと言い換えることができるかもしれません。しかし、このアイドルがもともと持っていた、津軽人と共通する熱烈な歓待があってこそ我々オタクは津軽よされ節に祝祭感を覚えることができると思うのです。
最後に
ここまでのおさらいです。私は太宰の津軽を用いることで、RAYのよされ節について以下のことを述べたかったのです。
①RAY津軽よされ節は弘前城とその桜のみにフォーカスすることによって津軽人の本質に迫った
②かつて津軽人の「世去れ」の思いがこめられたこの曲は、今RAYのオタクたちの「世去れ」という思いが込められたものになりつつある
③我々オタクがRAYに熱狂するのは、彼女たちがよされ節以前から持っていた津軽人的熱烈なもてなしによるところが大きい
こんなところでしょうか。
最後までお読みいただきありがとうございました。
まだまだ書きたい事が、あれこれとあったのですが、RAYと津軽よされ節の雰囲気は、以上でだいたい語り尽したようにも思はれます。
私は虚飾を行わなかったはず。
読者をだましはしなかったはず。
さらば読者よ、命あらばまた他日。
元気で行こう。絶望するな。では、失敬。