宗教家の両親の元に生まれたものの
一般的な流れだと同じように信心し、染まっていくか馴染んでいくのでしょうね
誰の言うことも聞かない頑固者の自由人?の私は、逆に自己の確立促進へと働いていき、思春期の頃にはこの家を出て生活自立!というのが人生の目標となるまでに
小学生の低学年の頃、100点取ったのは、自分が勉強した結果と思い、褒められたいとまで思っていなかったけれど、まさかの言葉に驚いた
お父さんが毎日拝んでるからだよ!
え〜〜〜???ってなりません?
何をしても上手くいくと、その言葉が返ってくる我が家
上手くいかないと、私が拝んでないからとか、生命力が足りないからだと言われて育った
とはいえ、良いこともあった
幼い頃から気づけば世界平和の言葉が身の回りにいつもあったこと(*´꒳`*)
戦争の記録映画のようなものを観たり、未だに戦争中だという国に慰問に行く人の記録映像を目にする機会があったこと
純粋に世界平和を願う思いは育ち、その為に自分は今何ができるのか?と考えるようになっていた
平和な日本に感謝し、この平穏な生活を続けていきたい思いも膨らみ、こころが汚れることを恐れるようになった
怒りの感情を基本持たないようにもなっていき
人を好き嫌いの基準で見ることも出来なくなっていた
13歳の夏には、今の思考に仕上がってたように記憶している
必要とされる人に、とまでは考えていなかったけれど、世の中に少しでも役に立つことができる人になりたいという思いは持っていた
役に立つということは、生きている意味がある!とそこに自分の存在している意味を持たせたかったようにも思える
ある意味、そこまで楽しみがなかった思春期だった
殺生は良くないこと、してはいけないこととの刷り込みがあり、自分のことも殺してはいけないと強い思いがあり、生かすことを最優先に考えるようになっていた
どうしたら生きていられるのか?
何をしたら生きていけるのか?
明るい性格は一番の救い
そのように生んでくれた両親に感謝🙏
その能力を活かしてる自分、お見事♫
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