武田信玄の勝負哲学
先日、元メジャーリーガーのイチロー氏が日米同時に野球殿堂入りという快挙を成し遂げ、MLB史上2人目、さらには野手史上初の“満票”での殿堂入りが期待されましたが、満票まであと1票届かず得票率が99.7%となり大きなニュースとなりました。
その際のイチロー氏のコメントで
「1票足りないというのはすごく良かったと思います。不完全であるというのはいいなって。生きていくうえで、不完全だから進もうとできるわけでね」
というのが印象的で多くのマスコミがこのコメントを取り上げました。
この検討の余地を常に残すというのは、慢心せず探求していくためには必要不可欠なことだと思います。かつて戦国武将の武田信玄も同じような事を言っていたそうです。
武田信玄(1521-73)は言わずと知れた甲斐国(山梨県)の武将です。風林火山の旗のもと信玄率いる武田軍は戦国最強とも言われ、あの織田信長でさえ直接対決を避けようと常に下手に出ていたとされ、常勝不敗の名将といったイメージを持っている人もいるかもしれません。しかし、信玄は勝負に関してこんな考え方を持っていたようです。
勝負の事、十分を六分七分の勝は十分の勝なり、子細は八分の勝はあやふし、九分十分の勝は味方大負の下地なり
実際順調に領土拡大をしていた信玄も、上田原の戦いや砥石城攻防戦では大敗し、多くの家臣を失っています。
勝って兜の緒を締めよといいますが、勝ちすぎると油断が生じ大負けの原因となる。長い目で見た時、勝負は60~70点取ることが100点の勝ちの意味をもつということなのでしょう。
士気や意欲を維持する為には万事「ちょっと足りない」という枯渇感が大事な様です。