心の中にいるもう一人の私
注意書き
今回の記事は普段より痛度がすごいです。
1,私と妄想
アラサー超えてサーになりつつある私だが、物心ついた時からずっとしていることがある。
それは「妄想」だ。
巷では厨二病なんて言葉がある。
いわゆる「なろう系小説」はこういったところから作品として昇華されているのではないかと感じる。
さて、この妄想。一度はしたことあります、っていう方も多いと思う。
ただ、世の中でいう妄想というのは
学校一のイケメンから告白される
ずっとあこがれていた上司と飲みに行くことになって…!
と、いうようないわゆる主語が「私」であるものが多いのではないだろうか
もちろん、私のお仲間の中には推している人やモノ、キャラクター同士の妄想を繰り広げる方もいらっしゃるだろう、が、これに関しては自分自身が介入してこないケースがほとんどなのでいったん割愛させてほしい。
ここからは本当に自分としてはあんまり形にしたくないのだが、1億2千万人ほどいる日本の中には必ず仲間がいると信じて、言葉を続ける。
私がする妄想は
別人格の私が活躍する
ものである。
2,私と彼女
さぁ、意味の分かる方はようこそこちらへ。
意味が分からなかった方もどうぞモノを投げつけず、嘔吐物はこらえて聞いてほしい。
まず、妄想する世界線であるが、これははファンタジーでもリアルでもどちらでもよい。
特徴的なのは主人公が「私」ではなく、私が作り出した別人なのである。
幼少期から妄想はしていたが、小さい頃は、私自身が妄想の主人公でいた記憶がある。それが思春期を迎えたころからだろうか、とある名前をもった「彼女」が私の脳内に現れ、少なくとも15年近くは居座っていると思われる。
3,彼女
彼女のスペックを話しておこう
身長は160㎝から165㎝。(私より背が高い)
きれい系の顔。
(美貌でちやほやされることは少ないが、相応の実力は持っている)
圧倒的「できる」女、強い。
彼女は私にできないことを何でもできる。
人の話をよく聞き、人を導き、人から愛される。
世界線によって立ち位置は変わるし、よくないことが起きることもある彼女だが常に楽しく私の脳内を駆け回ってくれる。
4,彼女が出てきた日
さて、彼女が表れたきっかけを思い返してみようと思う。
きっとたぶん、という言葉にはなってしまうが、中学時代、きっと中学3年生のころには明確に存在していたのではないかと考えている。
私は小学生の頃より、比較的容姿に関していじられることが多かった。
男の子からは「メガネザル」や「眼鏡デブ」、なんて言われていたと思うし、目つきの悪さで女の子から「やだ、こわーい」なんて言われることもあった。
そしてこれが中学生になってなると「好きな人いじり」(○○ちゃん、××くん好きでしょー、からの××君に嫌われるくだりがあった)に変化するようになり、最終的にはハブセにされることとなる。
私は誰かを好きになっちゃいけない。
と、真剣に悩んだこともあった。し、それは今でも私の心に大きなしこりとして残っている。トラウマといっていいと思う。
5,彼女と愛
さて、それがどうして妄想の彼女につながるのか。
妄想の世界ですら自分を思い通りに描いてあげられないからである。
自分のことを卑下するのが得意な私、
自分自身をしっかりもっていて前を向いている彼女
人間関係に悩んでふさぎ込む私、
人を愛し、愛される彼女
私じゃなく、彼女にだったら、私は私がしたいことをすべて注いであげられる。私にしてしまうと怖いのだ。ひどく気持ちの悪いことのように感じられてしまう。
もしかしたら私の自己愛はすべて彼女に向いているのかもしれない。
6,彼女と私
彼女が活躍する物語を考えているときは全部を忘れられる。
悩みが学校のことから仕事のことに変わった今でも、私が散歩をしているとき、暇さえあればずっとそれだけを考えてる。
彼女は私を救ってくれた。
感謝もしている。
強いストレスを感じていた中学生のころ、いじめられて一人で帰らなければならなくなってしまった時、家までの長い道のりを毎日違う妄想を楽しみながら歩くことで乗り越えられ、学校生活を送ることができた。
彼女と彼女が活躍するストーリー、しかも大体の妄想では私はすべてのキャラの思考までも同時に動かすことが多く、永遠に現実逃避ができるからである。
だが、最近は少し困った、というか別にやりたいことができた。
7,私と私
最近の私は自分に向き合いたいと思っている。
自由が利く社会人になって、自分がやりたいことを選べる、選ばないといけない時期になっていると気づいた。
私が生きているこの世界で、私はどうなりたいのか、どう生きていきたいのか。
人とのかかわり方を考えたいと思ったし、そのために自分の心の動き方も考えたい。
私は結構自分のことを卑下する、いわゆる自己肯定感が低いと呼ばれる人間らしかったが、そこもそう決めつけてるだけかもしれないし、よくわかっていない。
とにかく、自分で自分を理解する時間を設ける必要があると感じた。
その時間を作るのに彼女と彼女がいる世界のことを考えてしまうと自分のことが全部よそに追いやられて自分のことを忘れてしまうのだ。
あくまでも周りから見たら普通に生活しているのだが、その実、夢中になっていることや、その時しなくてはいけないことがあるとき以外は基本的に妄想していることが多い。
過去に向き合ったり、今の自分を向き合うのには相当な時間が必要で、集中しないといけないからこそ、彼女と彼女のいる世界からは少し距離を置くことも必要だと感じ始めている。
小さいころから当たり前のようにしてきた妄想が、自分の想像力を作り上げる一方で今を生きている自分の思考を阻害してたのかもしれないなぁということもこうやって文章を起こしていると感じる。
8,私と彼女と自分
正直自分という苦しいものに向き合うときに彼女が逃げ道のように出てきてすがってしまう自分もいると思う。
彼女のいる世界に私が浸るのはすごく楽だ、幸せな彼女を動かしているだけでいいのだから。箱庭みたいなものだ。
おもちゃと違って片付ける必要もなければお気に入りの本を読むかの如く何度も同じストーリーを描くこともできる。
ただ、正直言って年々妄想するストーリーの味気無さ、ありきたりさも虚しさを助長させているのだ。
彼女の年齢は時によってさまざまだが、大体私と同年齢で少し上だったのだが、最近は20代半ばで止まっている。
無尽蔵の体力と精神力を持つ彼女も、年齢という波に押し流されてしまう可能性を私は怖がっているのかもしれない。
(年齢という概念のない妄想をするときももちろんあるが)
9,おわりに
今の私は自分のことを考えたい。苦しい自分を、吐きそうになるかもしれない、怖い。それでも変わりたい自分がいるんだと思う。
もし、脳内にいる私、ではなく彼女と暮らしていたことがある方は教えてほしい。です。
今日はこれでおしまい。週半ば、私とおんなじ残り2日、まだまだ長いですが、頑張りましょう。
「金、土土土、日日日」 とげのは。
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