【Fトーク#14】人生120年。年表で描く伊達公子さんの人生設計とは。
今回Fトークに登場いただくのはテニスプレーヤーの伊達公子さん。ホストを務める株式会社Fの久保田万美とは同世代で京都出身という共通項も。伊達さんとは1度目の引退後にアディダスのウィメンズアンバサダーになって頂いた縁でつながり、初のフルマラソンデビューをサポート。セカンドキャリア、そして二度目の引退の後のサードキャリアについて、人生プランの描き方について51歳になった伊達さんに聞いてみた。
プロフィール
1970年9月28日京都府生まれ。6歳でテニスをはじめ、インターハイではシングルス、ダブルス、団体の三冠。1989年にプロとしてデビュー。WTAランキングシングルス最高4位、WTAツアー通算でシングルス8勝(日本選手歴代2位記録)、ダブルス6勝。1996年に引退するが、2008年、37歳で「新たなる挑戦」を宣言し現役復帰。2009年には13年ぶり8度目のWTAツアーでの優勝を果たす。2010年東レ パン・パシフィック・オープンでは前年優勝のマリア・シャラポアを破った。2017年に膝の故障により二度目の引退。その後、2018年に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に入学し、1年間の修士課程を修了。現在はジュニアの育成、テレビ解説などのほか、テニスコートやスポーツスタジオのプロデュース、またベーカリーをプロデュースするなど多方面で活躍。
人生120年の「未来予想年表」
万美:持ち回りで連載しているこのFトークはFantasticな方々とFreeにトークする対談なんです。なのでごゆるりと。そうそう、伊達さん、岡田武史元監督とのYoutube、見ましたよ! 今後の人生についても語っていて、え~、伊達さん120歳まで生きるつもりなの~! ってびっくり(笑)
伊達:うふふふ。最近よく言っているんですよ、120歳まで生きるって。
万美:ということで今日は伊達さんの未来予想図、Futureがテーマです。ほらほら、ホワイトボードもここに用意しましたよ。さっそく伊達さん、ここに50歳からの「未来予想年表」を書いてみてください。
伊達:え? なになに? またなんか難しいことを~! ええと…(と戸惑いながらも、すらすらーと長いラインを描いて右端に120の数字をまず記入)
万美:やっぱり寿命は120歳なんだ!
伊達:110歳まで『自分で立って暮らせる』ことが目標。(と力強く書く)そして100歳ではまだにテニスをしている。伊達家女系はみな長寿なんですよ。祖母が98歳、曾祖母が103歳、本家の1人は108歳まで生きたので108歳を超えるのはマスト! 最低110歳まで生きるから120歳くらいかな、と。そして100歳になってもテニスをしている…(と同じく力強く記入)
万美:なるほど~。自分の足で自由に動けるOver100ですね。ふむふむ。
伊達:そしてね、日本のどこかでテニスアカデミーを設立して、クラブハウスのテラスなんかでテニスに疲れて、昼寝なんかしているんですよ。そこを通りかかるジュニアたちに『あの人、昔、強かったらしいよ』なんてうわさされたりして…
万美:あはは。伝説の人に! ビジュアルが見えてきますね。でもそのテラスでのんびりって私も思い描いている理想の未来。私は、三味線の音が聞こえるお稽古場の隣の部屋でのんびりしてたい。いつか京都に踊りのお稽古場を作りたいんですよ。ええと…私の場合、71歳でローンが終わる予定だから、そこまではしっかりお仕事しつつ...、60代くらいでお稽古場を作って、そこで踊りや三味線などお稽古する人たちを見守りながら、お茶なんか出したりして。
伊達:日本舞踊って年齢を重ねて踊れるものなの?
万美:若いころのような動きはできないけれど、年をとったらとったなりの所作や味が出てくるものなんですよ(練習を重ねていれば笑)。伊達さんは120歳だとして、私は110歳?いや100歳までは頑張るとして、私も90歳までは踊れるよう、自分の足で立つことを目標にします。(と伊達さんの年表の下に自身の未来年表を書き込む)
伊達:私は、90歳くらいではのんびり過ごしているとして…遡って70~80歳くらいではグランドスラムのセンターコートのファミリーボックスに私が座っている。それが未来に描く姿かな。
万美:へえ。ファミリーボックスってどんなところなんですか?
伊達:それが私もわからないんですよ。試合に出たことはあっても座ったことはないから(笑)
万美:ははは。何と贅沢な。
伊達:ごく限られた選手のチームだけの応援席ですね。ウィンブルドンだと8席かな? そこでプロジェクトで関わっていく選手を応援するという。60歳くらいでアカデミーを立ち上げて…
万美:それは国内?
伊達:そうですね。国内です。アジアの玄関口でありたいから、どこだろう。福岡? 国際線も乗り入れる空港に近い場所がいいかなあ。メインの大きなアカデミーと都内など都市部の小さなアカデミーもあって…65歳になるころには、そのジュニアたちが世界へと進出する…あ、もう実際に育ち始めているんですよ。グランドスラムジュニアに出場する選手が。
万美:もう始まっているんですよね。ええと、早稲田大学スポーツ科学研究科の大学院を卒業したのが2019年3月、2021年にその研究をまとめた『コートサーフェス研究』を出版されたんですよね。そして2018年には[リポビタンPresents Kimiko Date x YONEX Project ~Go for the Grand Slam~]が始動したという。
伊達:引退してYONEXに『生涯契約』をしていただき、でもすぐに何をしたらいいか決められなかったので、しばらくどうしようか、考えていたんです。
万美:アスリートの生涯契約って何歳までなんですか?
伊達:それがね、定年の60歳までなんですって。え~ じゃあ、あと10年しかないの~とあわてたんですが、その後、生きている間、文字通り「生涯」に変わったんです。
万美:だって伊達さん、120歳まで生きるから(笑)そこまで、YONEXさん頑張ってラケットとプロジェクトをサポート頂かないとですね。このプロジェクトは何歳くらいのジュニアを対象としているんですか? 選考も伊達さん自身がしているんですよね。
世界に進出する女子選手を育成
伊達:12歳から16歳くらいです。1期が2年間で、もう2期生が集まってきています。選考するなんて私も初めての経験で、もちろん選手としての実績は大切だけれど、あまりそれに捉われないように私はしました。私自身、遅咲きだったし、環境が整うことで芽が出て、力が引き出される選手はいると思ったんです。例えばある小学校6年生の女の子は空手一家で、お兄さんも空手の選手、自身も世界チャンピオンになったのだけれど、テニスを始めたら楽しくて空手よりテニス!とテニスの道へ。最初は、はちゃめちゃなんですよ(笑)。でも光っていた。空手をずっと続けていたから体幹も強く、勝ちたいという気持ちや、やり切る力、力の使い方が際立っていたんです。このまま伸ばしたらどうなるのかな、という興味を持ちました。
万美:大学院で学んだことがこのプロジェクトを立ち上げることに関連していたりはしますか?
伊達:直接はないけれど関連していることはあります。選手の育成という言葉そのものには最初はピンとこなかったのですが、日本の女子選手がもっと世界で活躍してほしい、自分の知見を生かしたいということには自分のアンテナがピピと反応したので、そこになら自分のエネルギーを注げるかな、と。今までは自分だけのために力を注いでいたけれど、人に向き合い、指導することにこんなに夢中になるとは正直、思いませんでしたね。
マラソン挑戦でみるみる現役の眼に
万美:そういえば伊達さんがロンドンマラソンに参加したときも、伊達さんが初マラソンなのに3時間30分を切ることを目標にかかげて、すごいプロジェクトになっていきましたよね。
伊達:3時間半を切ることがそんなに難しいとは知らず、やるなら目標も少しハードル高い方がいいかなって。(笑)
万美:(アキレス腱の怪我の後でもあったし)裏ではとりあえず初めてのフルマラソンを無事に完走してくれたらいいなあ、くらいの気持ちだったのに、今や都議として活躍しているトライアスリートの白戸太朗さん、青山学院駅伝部のコンディショニングも担当している中野ジェームズ修一さん、マラソンランナーの市橋有里さんも参加して、そうそうたるトレーナー陣とスペシャリストが一丸となってサポートして、伊達さんの顔つきがどんどん精悍になっていって…
伊達:勝負師の顔になってた?(笑)
万美:そうそう。やっぱりこの人は「現役」が似合うんだなあと思ったもの。そして有言実行で3時間27分40秒で完走。今だにあの時のメンバーとは定期的に集まっていますよね。(その翌年に伊達さんにインスパイアされてマラソンに挑戦された作家の甘糟りり子さんも一緒によく集まっている)
伊達:プロセスが好きなんですよ。なにか目標をたててそこへ向かっていくその時間が。でもゴールが見えてないと頑張れない。だからいつも私はゴールを決める。
万美:あれから本当に現役に復帰して、世界を転戦して、それから今があるとするとサードキャリアですね、今は。人生120年だとフォースキャリアもありますね。どのタイミングから準備といおうか、100年以上の人生プランを描き出したのでしょう?
伊達:2016年に離婚したことがひとつのきっかけですね。17年も一緒に暮らしてきたし、仲が悪くて別れたわけでもないし。今まで50年生きてきて、これから倍? 50年以上の人生がこれから続くんだ、とはっとして。まだまだいろんなことができるし、今はまだ体も元気だし、人生を長いスパンで考えられるようになりましたね。自分が子供のころにイメージした60歳とは明らかに今の60歳は違いますしね。
30歳前夜はミソジブルーに
万美:確かにそうですよね。伊達さんってめちゃめちゃポジティブだし、未来に対してもすごく精力的ですよね。年を重ねることは怖くはなかったんですか?
伊達:実は、私、30歳で人生終わると思ってました(笑)30歳を迎える誕生日の前日は自分の人生は終わったと思いましたから。すごいミソジブルーで。
万美:え~! そのころは人生30歳だと思ってたんですか!(爆笑)私は29歳から30歳に変わる夜に、楽しく六本木のテキーラバーで飲み明かしていましたよ。
伊達:ははは。万美さんらしい。でも実際に30代を迎えてみると、当然、なにが変わるわけでもないいし、あれ、なんだか楽しいぞって。10代20代よりもそれなりに体力も落ちてきますし、選手としてのファーストキャリアは終わって、人生で感じたことのなかった重力というものにも直面したりするんですけれどね(笑)。でも経験が蓄積となって、今までより深くものごとを見られるようになって、こんなに楽しい。ということは40代、50代はもっと楽しくなるんじゃないか、と興味を持つようになって、年を重ねることに抵抗がなくなりましたね。
実現するにはまず「口に出す」
万美:私ね、すごく妄想癖があるんですよ。90年代のアメリカの青春映画が好きで、私、絶対ここにいるんだ、プロムに行かなきゃ、と妄想して、それで留学決めたんですよ。実際にアメリカの大学に進んだら、プロムは高校のパーティなので間に合わなかったんですけれどね、ちょっと遅かった(笑)。その後、海外で働いてみたいという妄想からメキシコで仕事さがして勤務し、もっと都会の、ビルに囲まれたところで働いてみたいな、という妄想がアディダスの東京オフィスそのものでした。そのために緻密になにかをしたかというと、そういうわけではないんだけれど、人生の岐路ではそのイメージビジュアルにつながる方向を選んでいると思いますね。この先に関しては、まだ妄想で終わっているから、実現に向けてはどうすればいいのかなあと。
伊達:私は…意外と思い付き(笑)思い付きで動き出すんですけれど、それを思い始めたら口に出す。そうしたら自分のなかの意思の塊が育ってくるんだと思いますね。
万美:なるほど。「ゴール」がなにかを言葉にする。そういえば伊達さん、年表も「ゴール」から逆算していましたね。
伊達:だいたい逆算。これはテニスの経験からの発想かな。試合の時間は決まっているから、それに合わせて休み、食事をし、家を出て、と行動することが習慣になっていましたから。
万美:今はトレッキングにも熱中しているのだとか。登山はなんで始めたんですか?
伊達:テニスは週1回くらいの頻度で膝がいい時もあれば悪い時もあるし、ランニング継続しているんですが、それもいつまでできるかわからない。そこでトレーニングの一環として登山を始めたんです。山が好きだから趣味でもあり、ずっと続けられるトレーニング。春夏秋は登山、冬はスキーを楽しんでいます。
万美:は! もしかして山登りも120歳まで元気に動く「ゴール」のための準備?
伊達:うふふふ。そうなのかなぁ。でもね、私は好きなものと好きな人に囲まれて生きていきたい。それだけなんですよ。
万美:ですねー(激しく共感)
同年代だけれど、心から尊敬し、私をインスパイアし続けてくれる伊達公子さん。
これからの人生(50年?60年?)が私も楽しみになってきました。そのためには心身ともに健康でいることが大事ですね。今回、ここには書きれない程の楽しい話をしてもらいました。これ、動画にすればよかったなとちょっと後悔。また次回チャンスがあれば、またお話に来て頂きたいなと思います。今度は、120歳まで元気でいるためのトレーニングについて話に来てもらいたいな。
最後におっしゃっていた「好きなものと好きな人に囲まれて生きていきたい」これは心から共感する言葉でした。伊達さん、ありがとうございました!
そして、トークをまとめてくれた同年代の友人でありライターの間庭典子さんにも感謝!