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科学と聖書にまつわる随想(42)

「消せるボールペン」

 鉛筆で書いた字は、消しゴムで消すことができますが、ボールペンで書いた字は、一般には消すことができません。鉛筆で書いた字の場合は、黒鉛の粒子が紙の表面に付着しているだけなので、消しゴムで擦ると黒鉛の粒子が絡め取られて字が消えるのに対し、ボールペンや万年筆のようにインクで書いた字の場合は、インクが紙の繊維に染み込んでしまっているので、容易には消すことができない訳です。ボールペン用の消しゴムというのもありますが、これはザラザラした面で紙を擦って紙の表面の繊維ごと剥ぎ取るものなので、消すと紙が少し薄くなって跡が残ります。ですから、ボールペンで文字を書く時に間違った場合、昔は、白いペンキのような修正インクで上塗りをして、それが乾くのを待ってから書き直す、という手間が必要でした。

 一方、PILOT社から出ている“フリクション”シリーズのボールペンは特殊なインクが用いられており、ペンの端に付いているラバーで擦ると字が消せるというものです。この特殊インクは、1970年頃に、秋に木の葉の色が紅葉して変化するところから着想して生まれたという、“温度で色が変わるインク”を基礎の技術として開発されたものだそうです。消せるボールペンのインクの場合は、約60℃の温度で、色が変わるのではなく発色が無くなる訳です。ペン端のラバーで擦ると摩擦(フリクション)で生じる熱で温度が上がり、そのため色が消えて文字が見えなくなる、という仕組みです。ポイントは、温度が上がって発色が消えた後、元の温度に戻っても消えたままの状態が維持される、というところです。

 日本では、学校で勉強する際の筆記具としては鉛筆を使うのが当たり前ですが、ヨーロッパでは万年筆やボールペンなどのインクのペンを使うのが一般的だそうで、この“フリクション”シリーズのボールペンは、先ずヨーロッパで爆発的にヒットしたそうです。鉛筆で書いた字を消しゴムで消すと消しカスが出ますが、“フリクション”シリーズのボールペンはラバーで擦るだけですから、消しカスが出ないところも良いところです。

 ただ、これは筆者の個人的な見解ですが、ボールペンで書いた字は、消せないからこそ良いのではないか、とも思うのです。間違えたところを消して書き直す、ということが必要な場合ももちろんあります。特に、試験の答案を書く際などには、間違いに気付いたら絶対に訂正しなければなりません。そういう時には、やはり鉛筆(あるいは、シャープペンシル)を使う方が良いでしょう。しかし、自学自習で自分自身のためにノートに書くような場合、つまり、書いたものを他人に見せる必要の無いものの場合は、普通のボールペンを使って書いて、書いた文字を消さない方が、頭の中を整理して思考を進めるためにはベターなのではないかと思っています。もし、書き間違えてしまった場合は、消すのではなく、取り消し線を引いたり、大きく×印をして、別の場所に正しいことを改めて書き直すのです。そうすると、見た目はあまり美しくはありませんが、間違えた履歴が残るので、後から見直した際に、どこで何を間違えたかということを振り返ることができ、これが記憶の定着に繋がって学習効果が上がるのです。ちなみに筆者は、研究ノート(つまり、自分用の雑記帳)に筆記する際には黒・赤2色のノック切り替え式ボールペン(消せない普通の)を愛用しています。

 人類の歴史の中で最大の間違いを犯したのは、最初の人アダムとエバが“善悪の知識の木”の実を採って食べたことで、そこから私たちに“罪”が入り込んだ訳ですが、残念ながらこの間違いは擦っても消すことができません。

 かつて、ダビデも、罪からの“きよめ”を願いました。

「ご覧ください。私は咎ある者として生まれ 罪ある者として 母は私を身ごもりました。 確かに あなたは心のうちの真実を喜ばれます。 どうか私の心の奥に 知恵を教えてください。 ヒソプで私の罪を除いてください。 そうすれば私はきよくなります。 私を洗ってください。 そうすれば 私は雪よりも白くなります。」

(詩篇51:5~7 )

しかし、儀式による“きよめ”は形式的なものに留まります。

 唯一、“罪”を贖うことができるのは、イエス・キリストの十字架の血のみです。

「雄やぎと雄牛の血や、若い雌牛の灰を汚れた人々に振りかけると、それが聖なるものとする働きをして、からだをきよいものにするのなら、まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。」

(ヘブル人への手紙9:13 , 14 )

「もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。」

(ヨハネの手紙第一1:7)

 このことを信じて己の事として受け止め、十字架を仰ぎ見る時に、“いのちの書”に名前が記されることなります。そして、書かれた名前が消されることはありません。

「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。またわたしは、その者の名をいのちの書から決して消しはしない。わたしはその名を、わたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。」 

(ヨハネの黙示録3:5)

 イエス・キリストの十字架の血によって、“罪”は赦されはしますが、キリストの愛によって覆い隠して頂いているのであって、私たちの“罪”が消えて無くなった訳ではありません。

 “フリクション”シリーズのボールペンで書いた文字も、ラバーで擦ると消えはしますが、これは単にインクの発色が無色に変化して見えなくなっただけであって、インクそのものは紙に残っています。ですから、温度を下げて-20℃以下にすると再び文字が出て来るそうです。
 しかし、私たちを覆うキリストの愛の温度は冷めることが無いでしょう。

「愛は決して絶えることがありません。」

(コリント人への手紙第一13:8)


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