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科学と聖書にまつわる随想(13)
「調和と音楽」
科学者には音楽好きが多いように思います。かのアインシュタインもバイオリンが非常に上手だったそうです。楽典を学ぶと、音楽は数学や論理的な思考と親和性が高いことが分かりますので、それがこの理由の一つではないかと思われます。科学は本来、自然界の被造物に記された“神(創造主)のことば”を読み解こうとする知的活動、というのがその原点ですから、秩序と調和の取れたものに対して向き合うという点において、音楽は科学者の感性によく馴染むのだと思います。
音は、空気の振動(骨伝導というパターンもあります)が聴覚を刺激して生まれるものです。振動数(周波数)の大きさが音の高さに対応します。いろんな周波数の音を並べることで音階ができますが、どのように異なる周波数を配列するかによって、いろいろな音階になります。周波数が簡単な整数比になる音に注目して並べたのが純正律ですし、周波数比2:3の完全5度の音程と1:2のオクターブの音程に注目して並べたのがピタゴラス音律、隣り合う音の周波数の比が全て同じになるように並べたのが平均律です。それぞれの音律でドレミファソラシドの音階を作ると、各音の周波数が微妙に異なる結果になります。筆者のような素人にはその違いが聴き分けられませんが、訓練を受けた人ならちゃんと区別できるそうです。一般に、ピアノは平均律に調律されます。一方、バイオリンなどのフレットの無い弦楽器や声楽では音程は自由に調節可能ですから、純正律で演奏することもできるそうです。
周波数(高さ)の異なる音を組み合わせてできる“和音”は、音楽の構成要素の一つですが、複数の音が同時になった時、上手く溶け合って美しく響くか(協和音)、そうでないか(不協和音)は、構成各音の周波数の比に依存します。話が単純ではないのは、実際の音には必ず倍音が含まれますので、倍音の周波数の関係も絡んでくることです。倍音が全く無いのは、音の波形が純粋に正弦波の場合に限られます。純正律の場合は周波数比が有理数(分母・分子が整数)になりますから、少なくとも基本波の音(倍音の基になる一番周波数の低い音)については、和音の構成音の周波数比がきちんと整数比になって完全協和音を作ることができます。しかし、平均律の場合は周波数比がそもそも有理数ではありません(半音の違いは2の12乗根倍)から、完全協和音を作ることは原理的に不可能ということになります。ですが、ピアノで和音を弾いても美しく響いて聴こえるのですから、私たちの耳はかなり誤魔化され易い、ということだと思います。
不協和音が美しく聴こえないのは、いわゆる“うなり”が生じているからでしょう。“うなり”は不快ですが、同じ周期的な揺らぎでも“ビブラート”は不快でないのは不思議です。“うなり”は機械的ですが、“ビブラート”には演奏者の気持ちが込められている、ということによるのかも知れません。ノン・ビブラートの音は無表情ですが、ビブラートを加えることで表情が豊かになります。私たちの心は、揺らいでいるものに共感を覚えるのかも知れません。ちなみに、いわゆる“1/f揺らぎ”は人に安らぎを与えるということは、実際にも効果が認められているようです。“1/f揺らぎ”とは、言わば、“ゆっくりと大きく、細かく素早く”振動する揺らぎで、ロウソクの炎の揺れや風にゆらめく木の葉の動きなどがこれに当たります。教壇から見える、授業中居眠りしかけている学生の頭の動きもちょうどこれなので、“1/f揺らぎ”=“安らぎ”ということには、さもありなんと筆者は感じています。
不協和音は、それがずっと続くと耳障りですが、音楽の中では無くてはならない働きをするものです。例えば、ドレミファソラシドの音階で、“ド・ミ・ソ”は主和音(T:トニカ)、“ソ・シ・レ”を属和音(D:ドミナント)、“ファ・ラ・ド”を下属和音(S:サブドミナント)と呼び、これらが主要三和音です。これら3つは協和音で、T-S-D-Tの順が和声進行の基本形(終止形:カデンツ)になります。いわゆる学校での「起立・礼・着席」の時の伴奏は、T-D-Tのカデンツです。DはTに移行することで安定します。これは、Dでは基本音のドが、半音下のシと一音上のレに挟まれているので、Tに移行する時にシとレが合体してドになることで落ち着き感が生まれるからだと思われます。カデンツがTで終了することを“解決”と呼びます。そこで、Dにファの音を加えると、ミの半音上のファが加勢しますから、ファがミに落ち着くことで、解決した時に“安定した”という感じが強まります。ファはDの根音(和音の一番下の音)であるソから7度上の音に当たるので、ソ・シ・レ・ファの4つの和音を属七の和音と呼びます。この属七の和音はファが加わっているので不協和音になります。しかし、不協和音になることで、主和音への解決感がより強まるのです。ちなみに、SからTに移行して解決するのが、讃美歌の最後に付けられる“アーメン終止”です。
不協和音である属七の和音は、“うなり”を生じる、言わば、調和の無い乱れた状態です。しかし、それによって最終的には協和音である主和音に至ることによって、調和がとれて“解決”に向かおうという指向性が強まるのです。
現代の社会も、かつて二度の世界大戦を経験しても、今だに戦争も核兵器も無くならない、人間の罪と愚かさの露呈した乱れた状態にあると言えると思います。であるからこそ、なおさら、やがて起きる、新しい天と新しい地の到来による、天地創造の初めの状態への回復が待ち望まれるのだと思います。
「あなたは はるか昔に地の基を据えられました。 天も あなたの御手のわざです。これらのものは滅びます。 しかしあなたは とこしえの方です。 すべてのものは 衣のようにすり切れます。 外套のように あなたがそれらを取り替えられると それらはすっかり変えられます。」
「見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。先のことは思い出されず、心に上ることもない。」