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科学と聖書にまつわる随想(11)
「食物と味覚」
近年は、省エネルギーへの意識が高くなってきて、家電製品を省エネ型に買い替えると年間いくらお得、などという話もよく耳にします。いつも使っている家電製品の消費電力がどれほどなのか、ということにも普段から意識が向くようになってきました。ところで、電力の単位はワット(W)ですが、1 Wというのがどれほどのものか、ということについては具体的なイメージはお持ちでしょうか?
電力とは仕事率、つまり、単位時間にする仕事のことです。物理学で言う“仕事”はエネルギーや熱量と同じ意味と考えてよいでしょう。ですから、電力とは、1秒間にどれだけのエネルギーを消費したかを表す量、ということです。エネルギーの単位は[J](ジュール)ですから、単位の関係は、[W]=[J/s](ジュール/秒)になります。ところで、1 J の仕事(エネルギー)は、物体に1 N(ニュートン)の大きさの力を加えて距離1 m だけ移動させた時の仕事です。質量1 kgの物体に働く重力が9.8 N ですから、1 N の大きさの力というと、1 kg のおおよそ1/10、つまり、約100 gの重さの物体に働く重力の大きさと考えるとよいでしょう。ですから例えば、高さ1mのスーパーの陳列棚から床に落ちてた100 g のお肉のパックを、拾って持ち上げて元の位置に戻したとしたら、その小さな親切の仕事量が約 1 J ということになります。そして、その持ち上げる動作を「よっこらショ」と1秒かかって行ったら、その時の仕事率(電力)が約 1 W です。
人が1日に食物から摂取が必要なカロリー(熱量)は、年齢や性別によって異なりますが、ざっくり2400 kcal としてみましょう。熱量と仕事量は物理的には同じ意味で、熱の仕事等量は1 cal =4.19 J です。ですから、人はだいたい 2400×1000×4.19 J のエネルギーで1日生活しているということです。1日は24×3600秒ですから、人の生活の仕事率(電力)は、
(2400 × 1000 × 4.19) / (24 × 3600) = 116.4 J/s (W)
ということになります。つまり、大雑把に言って、私たちはだいたい100 W の電球と同じくらいのエネルギーを消費しながら生活している訳です。私たちの体が暖かいのは、体内でだいたい100 W の電球が灯っているから、というイメージになります。
それだけのエネルギーを私たちは全て口から摂取する食物を消化することによって得ている訳ですが、身の回りの家電製品で同じくらいの電力で動くものを見渡してみると、生物の体というものが如何に効率良く活動することができるように造られているか、ということに改めて驚きを感じます。1日に食べた食事の内容を思い出してみて、例えば、それらを全部燃やした時の熱でどれだけのお湯が沸かせるだろうか、ということを考えてみると、大したこともない量のように思えます。たったそれだけを元手にして1日生きてこられた訳です。ロボットは電気で動きますが、仮に食べ物を口から投入したら動くロボットが作れたとしても、人と同じ量の食べ物で同じだけの仕事をさせる、ということはおそらく無理ではないかという気がします。
私たちが食物を口にするのは、単にエネルギー源を得るというためだけではありません。おいしい物を食べた時の幸福感は、他の何物にも替え難いものがあります。テレビでグルメ番組や料理番組が無くなることは無いでしょう。味覚には、塩味・甘味・酸味・苦味・うま味の5味があると言われていますが、世の中のありとあらゆる食べ物の様々な味を、たったこれだけの要素の組み合わせて全て感じ分けることができるというのも、少し不思議な気がします。
世の中には様々な食材、調味料、スパイスなどがあって、その組み合わせ方によってあらゆる種類の様々な料理が生まれます。テレビのグルメ番組で、出演するタレント達が「おいしい!」「ウマい!」「まいう~」などと言って食リポする場面をよく見ますが、人の五感というのは人それぞれのはずなのに、こと味覚に関しては、同じ食べ物に対して皆一様に同じように快感を覚えるのはどうしてなのだろう、と考えてしまいます。もちろん、食べ物によっては好き嫌いがあったりもしますが、例えば、甘いお菓子やケーキなど、絶対に嫌いな人など居ないような万人受けする食べ物もあるでしょう。人によって感じ方はそれぞれ違ってよいと思うのですが、食べ物をおいしく感じるということについては誰にも共通していますし、有毒物や食用に適さない物は別として、世の中のありとあらゆるものを食べたら“おいしい”と感じることができる、というのも驚くべきことのように思います。ちなみに、筆者はカニやエビを見るたびに、どうしてこんな奇妙な形の生き物がおいしいのだろう、と不思議に思ってしまいます。
食べるということは、肉体の生命維持に直結する問題ですから、その行為自体が苦痛になってしまうと大変です。ですから、その行為を通して基本的には快感と喜びが生まれるように、そのように創造主が配慮して人の体を造ってくださったのではないか、と筆者は思います。
「そこであなたがたは家族の者とともに、あなたがたの神、主の前で食事をし、あなたの神、主が祝福してくださった、あなたがたのすべての手のわざを喜び楽しみなさい。」
「あなたが食べて満ち足りたとき、主がお与えくださった良い地について、あなたの神、主をほめたたえなければならない。」
ただ、私たち人間には、肉体の生命維持のための食べ物だけでなく、神の“似姿(かたち)”として造られたものとして、さらに必要な食べ物があることも忘れないようにしなくては、と思います。
「イエスは答えられた。『“人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる”と書いてある。』」